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下川合(しもかわい)
京都府福知山市三和町下川合


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京都府福知山市三和町下川合

京都府天田郡三和町下川合

下川合の概要




《下川合の概要》

土師川支流川合川の流域に位置する。標高400~500mの山々に囲まれた河岸段丘の集落。
下川合村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。はじめ6か村からなる河合村のうち。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」とも河合村に含まれているが、「巡察記」「旧高旧領」では6か村別々の石高を掲げて、当村は368石余。
明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年川合村の大字となる。平成18年から福知山市の大字。
下川合は、明治22年~現在の大字。はじめ川合村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。
大正7年に、地内の小字シテノ・水無田・ヒラヲ・三本松・トビノス・シデノ・丸石・釜ケ池は細見村に編入されて、同村の大字梅原となる。


《下川合の人口・世帯数》 112・60


《主な社寺など》

宇麻谷神社
宇麻谷神社(下川合)

馬谷大明神  河合村之内下河合ニ建
祭神  渋谷土佐坊ノ馬也  祭礼九月九日
本社巳ニ向 篭家 華表
境内凡五十間四方 宇麻谷大明神ト篇セリ
村老ノ説ヲ聞ニ土佐坊ノ馬於此所死後祟アルユヘ祭之ト云伝ト云リ 上河合ノ内稲葉ト云所ニ長左エ門ト云者土佐坊ノ鎗刀脇差ヲ所持ス按ニ村老説古土佐坊ハ文治ノ此ノ人ナリ此所ニ来リ無拠然トモ今説ヲ記置
(『丹波志』)

村社 宇麻谷神社(馬谷とも) 同村字下川合小字上ヶ山
祭紳、宇麻志麻遅命、
社殿、流造正面千鳥唐破風、勾欄付、  境内 四十八歩、山林 二反歩。
祭日、 例祭 十月九日、祈念祭 三月十六日、新嘗祭 十二月廿三日。
末社、 岩神社  祭神大物主命。  金神社 素佐雄命。
氏子、 九十六戸。
(天田郡神社記)祭神は宇麻志麻遅命又可美真手命とも書く。饒速日命の第二子で御母は御炊屋姫と申す。神武天皇の御東征の時御父と共に帰順なされた。天皇は深くお悦びなされ特に御褒美として神剣を下し賜うた。この後物部を率ゐて四方の夷どもを平げられた。天皇の御即位あそばされた時に此の命は御祝ひの璽を献じ又神楯を立てゝお悦びを申し上げられた。天皇はますます御機嫌よくましまし特に近く御殿の内に侍せしめたまうた。 因ってスクネ(宿禰、少兄、足兄、叔尼等の字を充つ)と号し常に天皇のお側近く奉仕せられた。そこで内物部を引率して威儀おごそかに盾矛を構へ道臣命の来目部と並び立って専ら禁衛を守護する任務を盡された。二年春二月天皇功を定め賞を行ひたまへる時先づ此弟に勅して「汝の功勲既に成れり。今より肱股の職に任じ永く不貳の美を伝へよ」とて特に御剣を授けたまうた。此より以後世々其職を辱うせられた。命は又味間見命とも申す。当社は土佐坊の馬を祭れりともいふ。
○郷土史料に云 古老の曰く土佐坊の馬死後祟りをなしゝより之を祭れり。又上川合小字稲葉に長左ヱ門といふ者あり。土佐坊の槍、刀等を所持せりといふ。
○こゝには土依坊とのみあれどもこは昌俊なるべし。昌俊は人も知る南都の僧暴行を爲して終に土肥実平にあづけられたり。もし果して此辺に来れりとせば此間の事ならんと思ふ。今も川合に土佐といふ苗字のあるは之に因めるか、而して渋谷神社に土佐坊の霊を祭り、馬谷神社に其馬を祭れりといへるは蓋し故なきにあらず。
○動物を祭るは迷信であって我が神社威聖を汚すものと神社攻撃の最良武器とせる無識者もあるがこれは我が国民性を解せぬ徒輩である。例へは馬や犬か主人の危難を救うたから之を神として祭るこれ即ち下を愛する忠恕愛憐の発露で所謂動物愛護の美徳である。三州碧海郡六ツ美村上和田に犬頭神社といふのがある。是昔大久保彦左ェ門の祖先左ヱ門五郎忠茂が曾て出猟しある岩窟の下に坐睡して将に大蛇に呑まれようとした時に死を似て其危難を救うた犬がある。之を祭ったと伝へてをる又仙台市片平町に在る馬上神社も昔藩祖貞山公に殉した馬を祀つたといふ。 かういふ意味から動物を祭る神社は全図を通じて沢山あるとおもふ。徒に勝手な理窟をつけて迷信としてはよくない。当社に馬を祭ったわけは明瞭でないが、ともかく気ついたから一寸記しおく。
(『天田郡志資料』)

宇麻谷神社
三和町字下川合上ケ山に所在し、宇麻志摩知命を祀る。『丹波志』には「馬谷大明神」と社
名を記し、祭神は「渋谷上佐ノ坊ノ馬也」と記し、「宇麻谷大明神ト篇セリ」とある。さらに「神社明細帳」には字麻谷神社祭神は、宇麻志摩知命とある。『川合村史』は、宇麻志摩遅命と記している。『天田郡志資料』にも前記の命と記し、『天田郡神社記』にも同様の祭神が記されている。さらに「又可美真手命ともかく、命は又味間見命とも申す、当社は土佐坊の馬を祭れりとも云」と記されている。
『丹波志』には、「村老ノ説ヲ聞ニ、土佐坊ノ馬於此所死後崇アルユユ祭之ト云伝ト云リ、上河合ノ内稲葉ト云所ニ長左衛門卜云者、土佐坊ノ鎗刀脇差ヲ所持ス」と記され、源義経を狙った土佐坊の馬が殺され、その祟りを鎮めるために祭神としたこと、上川合の稲葉の者が土佐坊のものとの伝承がある刀や槍を所持していることを伝えている。
 規模・構造は一間社流造、軒唐破風付で柿葦とする。内部は前後に間仕切り、内々陣を奥に設けている。身舎は円柱粽付、出組で軒を支える。向拝は几帳面取、平三斗である。縁は木目縁で平三斗、詰組を組む。身舎と向拝は海老虹梁でつなぎ、手狭もつける。妻は尾垂木付二手先で一段持ち出す。
現在の本殿ほ、天保十年(一八三九)八月の神殿造営の棟札があり、様式的にも当時のものとみられる。覆屋内には、同年の仲秋の「奉納発句合」「四季花取」と題する句額があげられている。なお、弘化二年(一八四五)に鳥居が建立されている。
(『三和町史』)

マ谷だろうか、鉱山系か。

曹洞宗安昌山新福寺
新福寺(下川合)
安昌山心福寺  河合村 下河合
曹洞宗船井郡胡麻村 末寺
(『丹波志』)

安昌山 新福寺 (曹洞宗)  同村字下川合
本尊  地蔵菩薩   開基 孤嶽桂峻首座(寛文四年九月寂)
創建  不詳  再建元治元年三月廿一日
(『天田郡志資料』)

安照山新福寺
新福寺は、下川合小字アラタに所在する曹洞宗の寺院である。『丹波志』には「安昌山心福寺、曹洞宗、船井郡胡麻村末寺」とあり、「寺院明細帳」には「本尊地蔵菩薩で、丹波国船井部下胡麻村龍沢寺三世磨逸和尚、承応元壬辰年建立」とされている。開基は『丹波志』『天田郡志』ともに、孤嶽桂峻とされ、桂峻は寛文年中(一六六一~七三)の人である(『天田郡志』には寛文四年九月寂とある)
新福寺には薬師堂があり、本尊薬師如来を安置している。この堂は、かつては小字踏掛山に建立し、寛文十一年(一六七一)この地に安置された。『川合村史』によると、本尊は地蔵菩薩、開基は孤嶽桂峻主座、正保二年(一六四五)下川合小字アラタに曹洞宗寺院として創立され、慶安三年(一六五〇)創建されたとされており、明細帳に承応元年(一六五二)建立とあるのは、完成の年月と考えられる。文久元年(一八六一)に落雷により伽藍全焼、四年後の元治元年(一八六四)に現在地に移転、再建された。
(『三和町史』)


世界一の巨大ブランコ
「22.May.2011」にギネスより、高さ世界一のブランコの認定を受けた。しかし福知山観光協会発行の「福知山観光ガイドマップ」(2014.1発行)に記載されていない。別に悪口を言おうとするのではないが、今後は観光で生きていく、観光人口目標何百万人など、どこかのマチのトップなども口先ではネゴトを言うのだが、その担当先頭突撃部署はイエイエそうした覚悟はありまへん、これまで通りのテキトーですの場合がけっこう見られる。トップのみがあやしげな浅ましげな際限もない妄想界に突入したというだけで、実践部隊はかえって正気なのか、アホクサと気にもしてないのかも。「原発避難計画」ラベルの正気とも思えないようなものであろうか。いずれにしても土地勘のない場所でのカンコーの実践経験ゼロのようすである、どちらにコロンでも観光客は来まい。オマエらホンマ、タノムデ。

三和の世界一ブランコ

59号線沿いだが、入口がわかりにくい、国道9号線の芦渕交差点(三和荘下の交差点) から、土師川に架かる橋を渡り、そのまま約2キロメートル、下側から行けば「京都庵」(食品加工会社とか)の少し先、左側である。控えめな入口看板がある。

小さい方のブランコは高さ11・3メートルあり、2009年に農場のシンボルとした作ったという、テレビにも取り上げられ人々がたくさんやってくるので、たぶんこれは世界一だろうと、ギネス申請をした。
ワタシの住んでる近くの公園にもブランコがあるが、あれは2メートルくらいしかない。しかし世界は広く、カナダに20・8メートルのブランコがあった。
クソーと、カナダを1・5メートル上回る、22・9メートルのブランコを作ったという。世界一のブランコの利用料は200円だそう。


《交通》


《産業》


《姓氏》


下川合の主な歴史記録


『綾部市史・資料編』「巡察記」
下川合村 土性淡赤埴少シク塩土混テ壌ヲ為ス
処多シ 田方十三町九段五畝十二歩畑方十五町
六段四畝二十七歩 高三百六十八石八斗二升五
合 家数八十七軒人別四百二十二人牛五十九疋
有リ
当村百姓ノ産業上川合岼村等ニ異ナルコト無シ
山野林薮甚タ広キヲ以テ茅ヲ苅リ出スコト其ノ数
岼村ニ三倍シ薪木ヲ売ルモ岼ニ倍ス 烟草ヲ出
スモ百駄ニ及フ 村中ヲ大原出流レ川岸ニハ竹
林茂り桑ノ木モ多シ 故ニ蚕児ヲ養ヒテ繭ヲ売
ルコト七十貫匁ニ余ルコト多シ 蒟蒻ヲ作ルコト少カ
ラズ 此ノ村内ニ百合田原ト云フ処アリ其ノ野
ノ土性ハ赤埴ニ少シク塩土錯テ壌ノ質ヲ為シ地
深ク土肥テ諸作物ニ宜シ 故ニ土人此ノ野ヲ開
発シテ蒟蒻ヲ作リ数多ノ球ヲ得テ売リ出ス 又
川ノ東ニ梅ケ原ト云フ枝村アリ此ノ処ノ野地土
性モ亦赤埴墳ニ腐塩ヲ混ジ諸作物ニ宜シ 土人
漸々此レヲ開発ス 且ッ此ノ村ハ山谷深ク上ニ
説タル物産ヲ興スベキ地ナリ 後々ハ大ニ富ム
ベキ村ナリ 今モ既ニ内福ナル様子ニ見ユ 泉
原法ヲ厚ク積マシムルト雖ドモ可ナリ 然レド
モ庄屋ハ富人ニテ吝嗇者ト思ハル 総テ富豪ナ
ル吝嗇人アルトキハ近隣小百姓ノ種々患害ヲ為ス
者ナリ 可也不ル察七哉

伝説




下川合の小字一覧


下川合(しもがわい)
ツクタ コウダ 下田(しもだ) 木坂(きさか) 福谷(ふくだに) アラタ カバサ川(かばさがわ) クツカケ カツヲ コノ ユリ俵(ゆりだわら) 藤巻(ふじまき) 百町田(ひゃくまちだ) 馬刺(うまさし) 西滝谷(にしたきだに) 鏡石(かがみいし) 松尾(まつお) 大石(おおいし) 上ケ山(うえがやま) 赤尾(あかお) 東ユリ俵(ひがしゆりたわら) 東滝谷(ひがしたきたに) 北ツクダ(きたつくだ) 向佃(むかいつくだ) 坂ケ市(さかがいち)


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『三和町史』各巻
その他たくさん



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