川向(かわむかい)
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京都府宮津市川向 京都府与謝郡宮津町川向 |
川向の概要《川向の概要》 市街地の西部、如願寺川左岸で白柏と杉末の間、以前の国道178号線に沿った両側町、東は漁師に接する。「かむかい」とも。 川向町は、 江戸期〜明治22年の町名。宮津城下川向町組の1町。東は猟師町に接し、白柏町の北に続いて南北に走る町筋。元禄16年は南北134間余、宝暦年間も南北の間数は変わらず、道幅は2間余であった。家数は、元禄16年149軒、宝暦年間100軒余、明治維新以前93軒、明治19年85軒、同21年77戸。 明治22年宮津町の大字となった。 川向は、明治22年〜現在の大字名。はじめ宮津町、昭和29年からは宮津市の大字。 川向町は広い意味もあり、その場合は江戸期で宮津城下六町組の1組。如願寺川の以北で、町筋が南北に走る地域になり、町組は、元禄16年の御城下絵図には川向町・猟師町・杉ノ末町・小浜とある。家数は、寛文6年119軒、元禄16年182軒、寛保4年131軒(793人)、宝暦年間230軒余、明治維新以前225軒。 《川向の人口・世帯数》 《主な社寺など》 《交通》 《産業》 川向の主な歴史記録《丹後宮津志》(地図も)
関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『宮津市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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