中ノ丁(なかのちょう)
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京都府宮津市中ノ丁 京都府与謝郡宮津町中ノ丁 |
中ノ丁の概要《中ノ丁の概要》 市街地の中央部で、宮津小学校敷地が大部分を占めている。大手川下流右岸で、「なかんちょう」ともいう。元は監獄があったそうで、もしかしたらチミには懐かしい所かも、今は宮津地方合同庁舎があり、検察庁、法務局、ハローワークなど国の出先機関がある。東は吉原、西は馬場先、北は外側に隣接する。旧宮津藩士家老の門、宮津城太鼓門(現宮津小学校裏門)などが旧城下のおもかげをわずかに残す。 中ノ丁は、江戸期〜明治22年の地名。宮津城下のうち。川東武家屋敷地の一部。外側の南にあたり、地内を東西に中ノ丁道が突きぬけて西は馬場先に至る。戸数は明治維新以前24軒、明治19年20軒、同21年は16戸。同22年宮津町の大字となった。 中ノ丁は、明治22年〜現在の大字名。はじめ宮津町、昭和29年からは宮津市の大字。 《中ノ丁の人口・世帯数》 《主な社寺など》 《交通》 《産業》 中ノ丁の主な歴史記録《丹後宮津志》(地図も)
関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『宮津市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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