中津(なかつ)
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京都府宮津市中津 京都府与謝郡栗田村中津 |
中津の概要《中津の概要》 上司から栗田半島側へ入った所の集落。東は栗田湾に面する。主に農業や漁業。 中津村は、江戸期〜明治22年の村名。丹後国与謝郡のうち。慶長検地郷村帳には村名はみえないが、栗田村に含まれていたと考えられ、延宝三年郷村帳に「栗田中津村」、はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。村高は「延宝郷村帳」134石余。 栗田諸村のうちでも早くからいわし地曳網・はえ縄・漬漁業など多様な漁法が展開されて、幕末には捕鯨漁も開拓されたという。今も漁村らしい景観を留めている。明治22年栗田村の大字となる。 中津は、明治22年〜現在の大字名。はじめ栗田村、昭和29年からは宮津市の大字。昭和30年府道栗田半島線の西側一部が銀丘となった。 《中津の人口・世帯数》232・90 《主な社寺など》 銀丘団地裏手の小字宮ノ谷のある この丘陵は戦国期の堀江伊予守の山城と伝える。 曹洞宗中津山神宮寺は堀江伊予守の開基と伝える。藤原期の本尊木彫十一面観音、鋳銅宝塔入子安地蔵菩薩像1体ならびに鋳鋼子安地蔵菩薩像唐金版1枚を蔵する。唐金版には康永3年正月4日の銘と春屋妙葩の銘がある。 子安地蔵堂。 両墓制が残る。 《交通》 《産業》 中津の主な歴史記録《丹哥府志》
《丹後宮津志》
《与謝郡誌》
《与謝郡誌》
神社と寺院からは、ここは鉄の地だとしか言いようもなくなってくる。式内社の宇良神社説もある浦宮神社は確か最近の祭日は9月18日(天目一箇神の祭日)だったと記憶するのだが、確かではない。少童命は小人のことだろうし、十一面観音は白山神社系だろうか、眼病たちどころに治癒する、というのだから、鍛治屋達の信仰したものとみて間違いはなかろう。 田楽谷の地名もあり、かつては田楽も行われたと思われる。栗田は全部花崗岩の地であり、近くには七仏薬師の成願寺もある。かなりの規模の鉄の地であろう。 白山神社は全国に3000社近くもあるそうであるが、京都府下はあまり多くない、ここの祭神は白山姫で、菊理媛という。伝説には龍とか唐女、仏教化すると十一面観音になる。菊理媛はククリヒメと読む。高句麗から来た姫(巫女)と見る向きもある。そうだとするなら久理陀のクリも高句麗のクリかも知れない。 中津の小字中津 アザミ谷 アザミ谷上 アザミ谷中 アザミ谷下 アザミ谷口 榎谷口 木綿田 ハケ下 内垣下 内垣中 内垣上 田楽谷 ケカチ口 シリ谷口下 シリ谷口上 シリ谷口 シリ谷口焼杉小谷 焼木+久口 焼杉 浜苗代 焼杉谷 焼杉谷小谷 焼杉谷下 焼杉谷上 シヨメ谷 シヨメ谷奥 シヨメ谷口 子フリ谷ロ カワラケ谷口 カワラケ谷 広畑谷 広畑口 広畑 サウブノ谷 コウノス 長尾谷 堂後口 堂ノ後 和田 和久原 和久原奥 深田下 深田上 深田 砂入 和田 シヤナ原 ヨ毛代口 ヨモシロ下 ヨモシロ上 ヨモシロ口 ヨモシロ谷 ヨモシロ口上 下山下 下山上 水ケ尻 水ケ尻山根 水ケ尻上 赤熊 宿ノ田 九反田 古田 鍬差 生ケ下 生ケ上 生ガ 堂ノ谷 子安下 ドンデン 堂下 ワトチ セウカ 山崎 五人組 古森口 古森 薬師谷 薬師谷奥 ハカノ下 九郎右ヱ門田 コウシヤ 宮大門 宮谷 寺ノ堀 林ノ下 宮ノ谷 百度石 宮ノ下 扇鼻 寺浦下 寺ノ浦 寺ノ脇 家カエ 家カヱノ下 センマイ原 小田宿深田 大尻田 薬師前深田 日焼田 大協下ノ田 大脇 宿野十町場 焼木+久上 田楽谷奥 内垣 ケカチ ケカチ小谷 子つり谷 広畑 メキリ谷 広畑奥 梶ケ山 ソウケ谷 舟山 浜 山戸垣 コウジヤ 榎ノセト 松ノ下 宮ノ谷堤ノ下 苧漬場 扇ケ鼻 寺浦上 家ノセト 家ノ脇 寺ノ浦 カバンヤシキ 中荒神 薮ノ後口 薮ノ後 榎谷 下セト ダイラ 下ダイラ 森ノ下 森ノ下浜 谷口 大畑ケ センマイ原 タモノ木 地浅 堂谷 子安谷 堀切 宮ノ谷堀谷 宮ノ谷奥 宮カヘ 石サキハナ 石サキ谷 榎谷オク 宮谷口 小森谷 ソモリ谷 コブリ谷 ソウフ谷 セウメ谷 長尾ゼウメ谷 焼切尾ナル 広畑奥 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『宮津市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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