丹後の地名

大原(おおはら)
京都府与謝郡伊根町大原


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京都府与謝郡伊根町大原

京都府与謝郡朝妻村大浦

大原の概要




《大原の概要》

観光でにぎわう伊根浦の方からだと、バイパス終了点から国道178号線で北へ向かって大きな峠を越えたところの集落。編幅岳(311m)と丸山(186m)にはさまれて位置し、東南部で若狭湾に開ける。西は宮津市に接して、東は若狭湾に面している。朝妻川の原料部にあたる。国道から東へ延びる道路沿いに上地・下地の集落があり、早くから漁業が行われていた。
大原村は、江戸期〜明治22年の村名。慶長6年から宮津藩領、のち寛文6〜9年・延宝8年〜天和元年の間と享保2年以降は幕府領。
明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年朝妻村の大字となる。
大原は、明治22年〜現在の大字名。はじめ朝妻村で昭和29年からは伊根町の大字。

《大原の人口・世帯数》 124・46

《主な社寺など》

氏神は小字岡ノ上に鎮座する八坂神社
八坂神社(伊根町大原)

八坂神社
朝妻村字大原小字岡ノ上、村社、祭神須佐之男命もと八阪なる祇園牛頭天王竝にその八王子を祭りしも維新の改廃により八阪神社と號し明治六年村社に列せらる。氏子八十戸、例祭四月三日、外に無格社愛宕社あり。
(『与謝郡誌』)

八坂神社 大原小字岡ノ上(旧村社)
祭神 建速須佐之男命(元牛頭天王と八王子を祭る)
例祭 四月十五日
社殿 本殿流造、上屋切妻造
沿革 二条天皇徳治二年(一三○七)三月十五日、下垣三郎太夫が京都八坂祇園社より勧請し、自己の所有地に社を建立すると伝えられる。
明徳 三年(一三九二)三月 再建
天文十四年(一五四五)三月 再建
天文二十二年(一五五三)火災により焼失し後再建
 上棟式には奉行大村騏牛軒、代官小谷弥右衛門列席し、代官より社領寄進、岡氏治左衛門より鳥居寄進、大工棟梁は藤原治良左衛門宗次
元禄 八年(一六九五)九月 岡氏治左衛門再建
嘉永 七年(一八五四)八月二十二日 老朽により再建し現在に至る。
明治 六年(一八七三)二月 村社
大正十三年(一九二四)神饌幣帛料供進神社に指定される。
昭和三十七年(一九六二)十一月 萱葺を板金葺に葺替える。
石灯寵一対 元文二年(一七三七)十二月奉納
  他に狛犬一対舟鳥居(木造・石造)がある。
祭礼 往時は太刀振りが奉納されたが、振り手の怪我をしたことが動機となり廃止され、一時相撲が奉納されたが現在は行われていない。また雅楽の奏上もあったが戦後中止となり、過疎化と共に行事は衰微している。
(『伊根町誌』)


曹洞宗大原山洞雲寺
洞雲寺(伊根町大原)
本尊弥陀三尊。境外に文殊堂があり、丹後三文殊の一とされる。洞雲寺は天和2年(1682)の丹後国寺社帳に名がみえる。

大原山洞雲寺 同村字大原。本尊弥陀三尊、境外文殊堂ありて九世戸文殊と宇川の穴文殊と共に丹後三文殊の称あり毎
年縁日には振宗寺末の僧を聘し盛大なる法会を修行し賽者頗る多しと。
(『与謝郡誌』)

龍谷山洞雲寺(曹洞宗) 大原小字上地 檀家六五戸
本尊 阿弥陀如来
開山 養山文育
由緒 寺伝によれば藤原保昌建立の四十九院の一つと伝えられ、元真言宗安養浄土院と称され、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂としてあった。
文禄元年(一五九二)振宗寺七世養山文育が堂宇を再建し、曹洞宗に改宗した。
翌文禄二年(一五九三)正月二十八日養山文育は振宗寺を退院し、阿弥陀堂に閑居して龍谷山洞雲寺と称した。
寛永元年(一六一一四)二月振宗寺十世天足経禅も退院後は洞雲寺に閑棲した。
延享三年(一七四六)正月十日振宗寺十五世青峯存龍が隠居し、住職のとき焼失したが再建し、三月十五日上棟する。
明和四年(一七六七)住職孤山祐察が堂宇を整備する。
明治三年(一八七○)振宗寺三十世哲山霊宗の時寺格昇進する。
明治十五年(一八八二)三月華獄是山和尚の大法会が営まれ、戒師に智源寺住職永田正淳師、講義教授師哲山老師師堂頭小西亀山その他諸僧四九名が参集し読経した。華嶽是山和尚は享保三年(一七一八)文殊堂建立当時の住職である。
現在寺院は無住で振宗寺住職が兼務している。
境内の南西隅には石塔の一群が集められ、中央に享保十六年(一七三一)七月建立の三界万霊塔があり、これと並んで明和八年(一七七一)秋建立の石経塔がある。また石塔群の中に年代不明の石幢の一部と推定される、六角形の柱状の塔の一部が見うけられ、六面に地蔵像が刻まれている。

 境外仏堂として、元大原上地に阿弥陀堂、薬師堂があり、下地に地蔵堂、文殊堂が建立されていたが、現在は洞雲寺内に紀られている。なお文殊堂は享保三年(一七一八)今岡治左衛門が浄財を施入し、方三間の堂宇を建立し、本尊として文殊師利菩薩が安置されていた。
行事
 一月 十六日  老婦人の念仏始め
 一月二十六日  大般若
 八月 十四日  施餓鬼
 八月二十五日  文殊堂施餓鬼
 九月二十八日  婦人の道元さん
(『伊根町誌』)


《交通》

《産業》


大原の主な歴史記録

『丹哥府志』
◎大原村(平田村より一里、是より大原嶺を越て新井村へ出る)
【龍国山洞雲寺】(曹洞宗)
【八満宮】(祭九月十五日)


大原の小地名


大原
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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『伊根町誌』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん



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