丹後の地名

獅子崎(しいざき)
宮津市獅子崎


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京都府宮津市獅子崎

京都府与謝郡城東村獅子崎

獅子崎の概要




《獅子崎の概要》

椎崎とも表記された。栗田トンネルを宮津側へ抜けた所、宮津湾の東岸、栗田半島西岸の付け根、昔の関西電力の火電があったあたりである。宮津湾沿いに府道栗田半島線が走り、沿道に集落がある。漁業は行われず農業を主とする。
獅子崎村は、江戸期〜明治22年の村名。慶長検地郷村帳では、「下宮津之内」として「椎崎村」、その後個別に高付され延宝3年郷村帳に「下宮津椎埼村」50余石と記される。はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。村高は「延宝郷村帳」79石余。明治22年城東村の大字となる。
獅子崎は、明治22年〜現在の大字名。はじめ城東村、昭和29年から宮津市の大字。

獅子崎は宮津湾を挟んで天橋立の文珠堂の対岸になり、文殊奥院を称する波路村の戒岩寺の寺伝では、戒岩寺の故地は獅子崎という。獅子崎が文殊信仰に関係深いことを示している。


《獅子崎の人口・世帯数》 138・59
獅子崎稲荷(宮津市獅子崎)
《主な社寺など》
三宝荒神
臨済宗獅子軒

→獅子崎の先端部分の山腹にある獅子崎稲荷社。ミツバツツジが美しいところである。この上に展望台があり、そこを雪舟観と呼ぶ。

《交通》

《産業》

《雪舟観》
雪舟の国宝「天橋立図」には天橋立が描かれている。





『宮津市史』は、雪舟観から天橋立を望む(どなたか知らないのですが、勝手に写してごめんなさい)
天橋立図に関する諸問題
 京都国立博物館が所蔵している国宝の水墨画天橋立図は、落款・印章こそないが、その画風や画面の各所に書き込まれた地名や寺社名の書風によって、広く室町時代の水墨画家雪舟の作品と考えられている。作品は画稿ともいうべき性格をもち、二○枚の紙を不規則に貼り継ぎ、建物には横方向に平行する夏珪様の強い線を引き、近景・中景の山の皴には短い線を重ね、遠山には雲姻に霞む牧谿様のぼかしを用いる。
 この図は一見しただけで、名勝天橋立を描いた図であることは明瞭で、真景図と呼ばれる山水画に属する。真景図とは、おもに江戸時代の南画などで、特定の場所を写生風に描いた図のことをいい、江戸時代のように実証主義的傾向があらわれた時代では、真景に即して描くことが重要視された。
 しかし、この天橋立図をよくみると、世野山成相寺は実際よりももっと高く描かれ、画面の一重点がここにもあるかのように、あらわされている。冠島と沓島が宮津湾内に引き込まれたように描かれているのも、実景に即していない場面といえるであろう。
 智恩寺境内に描かれている多宝塔は、明応十年(一五○一)に建立された建造物だから、天橋立図の制作年代の決め手になる重要な遺構なのだが、近時、この建造物には裳階が描かれてないところから、これは単なる宝塔で、明応十年建立の多宝塔ではない、という意見がある。しかし、智恩寺境内の建造物の配置からみて、これは多宝塔とせざるを得ないであろう。宝塔は現在小さな石造か銅造しか智恩寺には残っていない。図の塔の大きさからみて、これは木造多宝塔をあらわすものと思われる。大垣の大谷寺に描かれている塔も多宝塔であろう。

詳細な実地調査による問題解決の前進
 しかし、雪舟がこの図を描くにあたって、実際に天橋立付近を実見したことは疑い得ない。ただ、その際、現代の画家がやるように、ある一箇所に視点を定めて、そこから橋立や成相寺をみるとしたら、このような景観を得られる場所をみつけることはできない。
この点に関して、中嶋利雄氏は、現地をくまなく調査され、橋立と文珠付近は宮津湾の対岸から、図の上方、府中一帯は橋立の洲浜から、図の下方、右の冠島・沓島から山並が左へ延々と続く風景をみることができる地点は、橋立の付根付近の宮津湾よりで、ここで後をふり向けば、冠島と沓島が視野に入ってくるし、天橋立図の右下隅に描かれた一小島が、黒崎突端の岩礁であることもわかることを確められた。中嶋氏は、この地点から観察して、天橋立図の下方に描かれた山並を、由良岳から赤岩山に到る山々に比定された。これらの島と山並を天橋立図に加えるため、雪舟は、最下段の山並に近景描写に用いる実線を使い、由良岳や赤岩山などのより海に近い山並には、遠山描写と同様、輪廊線のない墨のぼかしであらわした。中嶋氏は以上の三地点を天橋立を描く場合に必要な主要な位置にあげているが、天橋立図を完成するためには、これ以上の立地点の移動が必要であると説いている(『中嶋利雄著作集」天橋立篇)。中嶋氏のこの説に従えば、冠島が北からみた形に描かれている理由も納得がゆく。
 中嶋氏のこのような天橋立図完成に必要な複数地点の実地検証は、雪舟の生きていた室町時代の真景図の限界を示すものといえよう。雪舟は橋立を歩きながら、この構図をまとめたのである。結果として出来上がった図は、近景を下に、遠景を上に、層層と重ねて行く大和絵的構図法で、遠景だからといって建物の大きさが小さくなるというわけではない。これを俯瞰図と呼ぶことも可能であろうが、それよりも、雪舟がこの図の重点として描きたかった橋立を中心とする三名所、すなわち、成相寺と籠神社と智恩寺の三寺社の位置を、明瞭に示すための構図といった方がふさわしい。雪舟はこの三寺社にとくに朱を塗って、三寺社の存在を、目立つように心掛けている。
 それは名所絵といってよいものだが、この三寺社の周辺に山水をごく自然な形に描き、室町時代の真景図として完成したところに、雪舟の苦心と、練熟した画技の程をみることができる。

「橋立と文珠付近は宮津湾の対岸から」とある地点がここだろうと言われていて、ここを雪舟観と呼んでいる。残念ながら橋立の全体は見渡せない。ここにもう少し高い展望台があれば雪舟の世界が見えるはず。


獅子崎の主な歴史記録

《宮津府志》
獅子崎
 府城の北與謝江中に出たる崎なり、今椎崎といふ。獅子岩あり、文珠縁起に見へたり。

《丹哥府志》
◎獅子崎村(波路村の東是より栗田に至る其間栗田嶺あり古は獅子村に出る)
【三宝荒神】
【獅子軒】(臨済宗)
【円葉人参】広参品云円葉人参は即真の薺苑なり、一名杏葉沙参、丹後州獅子崎に多く之を産す、土人呼て人参となす。茎つよく葉厚く一處に三葉四葉づゝ対生す桔梗の葉に似て円く尖る、蛇床の如く茎立のびて其先に枴を張り、白花七八程並び付く花の多サ酸醤の如く猪口咲にして本は細く末は開く上に向て下垂せず、沙参の花は皆下垂せりよって釣鐘草の名あり、又紫花のものもあり、味極めて甘し根は長ふして黄蓬に似たり。会て稲若水彼地を経過すよって携へ帰るといふ。
【蓬莱巌】(出図)

《丹後与謝海名勝略記》(貝原益軒)
【小島】(獅子崎) 天橋山の紀に文珠出現の時獅子を休る地なりといへり。獅子岩あり。形尤奇なり。

《丹後宮津志》
邨岡良弼の日本地理志料理に宮津郷の区域を次の如く云へり。…宮津志云与佐宮阯在文珠村、郷名取此、…丹後旧事記如願寺在宮津市場一条帝時剏之本洲七大寺之一也、…今宮津町領二三十四坊一亘宮村、惣村、文珠、皆原、山中、脇村、中村、小寺、上司、波路、獅子崎、中津、矢原、田井、今福、小田村富久地、旧阯在普甲山云、久理陀ノ神社在上司、多由ノ神社在田井村ノ田井谷、杉末ノ神社在宮津杉末町、伊侶波字類抄、普甲寺延喜中建、在丹後ノ普甲山、普甲山一名与謝ノ大山又呼千丈ケ嶽以界二丹一。

城東村=惣・皆原・波路・山中・滝馬・宮村・獅子崎・鍛冶町・猟師町。世帯数284、人口1020。

獅子軒 国清寺隠宅といふ城東村獅子崎小字庵にありて享保十二丁巳年国清寺七世千拙師レ王+連和尚陰棲の地なり、境内地蔵菩薩及び観世音菩薩の石像あり何れも天保九年戊戌年国清寺十二世篤翁惠勤和尚の建立なり。

《丹後路の史跡めぐり》
宮津の東端、関西電力火力発電所の少し先の獅子崎浜は元治元年(一八六四)九月三日産物法反対一揆の首謀者の庄屋五名が斬首された所である。本庄宗秀の代であった。


獅子崎の小字


獅手崎
庵 庵ノ下 浜地 上地 ヤシキ続 池ノ下 桐出谷 赤道 峠浜 苗代谷 塩入 前田 桐木谷 杉ケ坪 半田 南谷 峠ノ割 峠浜 山崎 苗代谷 地別当 細田 シキ シキミチ切 シキミチ切口 シキ一ケ谷口 榎谷奥 薬師 堤ノ下 波里垣 宮越 大苗代 宮ノ浜 八反田 三角 東谷 辻 長浜 長浜奥四郎谷 長浜四郎谷西 峠入割 茶ノ木 地別当中浜 シキミナ切上 天上ケ鼻 堤ノ奥 日尻 壱丁田 向林 家屋敷 東谷 家屋敷ノ下 屋敷上ノ薮 家ノ奥 畑 屋敷続 浜ノ地 稲荷ノ下 大鼻 長浜与四郎谷 長浜与四郎谷西 長浜下ケ谷 長浜中場 長浜小浜 榎谷 地別当中 地別当奥 シキテ谷 シキ本谷 シキ本谷奥 シキ奥 滝ケ谷 滝ケ谷奥 シキ滝ケ谷 作兵衝谷 作兵衛谷口 堤奥 田尻 東谷 長浜与四郎谷 長浜下ケ谷 長浜万葉 長浜場 安谷 長浜下ケ谷 問屋町


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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