丹後の地名

新宮(しんぐう)
宮津市栗田


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京都府宮津市新宮

京都府与謝郡栗田村新宮

新宮の概要




《新宮の概要》
↓坂根正喜氏の航空写真
栗田湾より新宮方向を望む
シングウ、あるいはシングとも呼ぶ。宮津市の東南部。栗田脇より大雲川に沿って南に入りこむと上流に谷間に3つの集落が分散している。農業地域。国道178号線の信号機のある交差点から南へ主要地方道舞鶴宮津線へ入る、そのまま行けば南は板戸峠を越えて舞鶴市に至る、西へ行けば山中を経て宮津市内に入る。

新宮村は、江戸期〜明治22年の村名。丹後国与謝郡のうち。「慶長郷村帳」の栗田村のうち。はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。明治22年栗田村の大字。
新宮は、明治22年〜現在の大字名。はじめ栗田村、昭和29年からは宮津市の大字。

《新宮の人口・世帯数》106・32

《主な社寺など》
白髭神社
不動堂

《交通》

《産業》


新宮の主な歴史記録

《丹哥府志》
◎新宮村(脇村より南へ入る、是より加佐郡漆原村へ出る)
【白髭大明神】(祭九月十三日)
【不動堂】
【付録】(辻堂)

《与謝郡誌》
白髭神社
 栗田村字新宮小字狩場鎭座、村社、祭神佐田彦命、稻倉魂命、勧請年代詳ならすと雖も棟札によれぱ享保二年二月再建寳暦六年九月十六日風の爲に社木倒れて社殿潰れ十一月修理せるよし見ゆ、明治六年二月村社に列せられ四十年八月洪水の爲に破壊流失四十三年再建したるもの今の社殿なり氏子十戸例祭十月十三日。

三神社
 栗田村字新宮小字稲ヶ成、村社、祭神熊野三柱神、由緒不詳神輿庫籠堂等あり明治六年二月村社に列せられ氏子三十五戸.例祭同上他に無格社稲荷神社あり。

《丹後宮津志》
栗田村=新宮(奥山)・脇(脇嶽)・中村・小寺・上司・中津・小田宿野・島蔭・田井・獅子崎・矢原。世帯数571、人口2856


新宮の小字


新宮
堂ノ前 屋敷 家ノ下 ダケ道下 西谷口 新宮谷 河原 家敷内 家敷上 万助前 新宮 源左衛門右 日尾 シアサ 大井根 本多横縄手 横縄手 宮ノ前 宮ノ裏 石田 大田 サシキ谷 白柿 出合 鳴戸 的場 供谷 棚田 堂ノ向 庚申端 堂ノ端 堂ノ上 茶屋谷 日尾崎 鳥谷 薮ノ内 向三十 俵崎 日尾 天狗谷 下中畔 家ノ上 茂下 山ノ谷 西之宮 榎木段 榎木谷 西之谷 下柿 家ノ横 和助前 瓦屋廻 アンダ 白髪 大柿 大溝 スケ谷 シシヤ谷 バス 柳谷 小狩場 中畔 迫 平野 清水 向ノ谷 板戸 屋敷ケ谷 板戸道 板戸道上 庄ケ谷 古屋谷 ホトコロ谷 上古屋谷 クコ 赤松 赤松上 竹ノ越 新宮谷 新宮向 与治市谷 赤道 西ノ谷 立里 堀越 猿掛 大道 屋敷内 カシヤシキ ナヒカロ 家ノ向 馬場口 足谷 百合ケ谷 淵ケ谷 番太屋敷 親畑 根木谷 松ケ岡 成ノ下 沢ノ谷 メトリ谷 イナバカ谷 庄ケ畑 小谷 カセ谷口 カセタニ カンナ 成岡 登り尾 笹谷 笹谷口 丸場 中登 タンシヨ 小豆谷 棒ケ岡 サカノ谷 墓ノ谷 ウト谷 ニウバ 伊左ヱ門田 苅ケ谷 河原 仲場 小豆稲 苅ケ谷 中島 大畑ケ 大畑ケ見詰 シテイ成 向三十河原 長町 三町田 丸山 椿谷 方ノ神 不動前 西ノ宮 家ノ前 儀八屋敷 屋敷浦 家敷下 アシダ 長サコ 与次郎谷 ムクモト 椋元 足立 シテケ成 向谷 下古屋 下古屋谷 倉谷 沢ケ谷 カセ谷 岡ケ成 大畑見詰 稲ケ成 シヤゾラ 宮ノ浦 西宮 下神 儀人 サコ スケノ谷 峠 屋敷谷 板戸向 板戸山谷 親ハタ ノラタニ 竹子谷 阪ノ谷 墓谷 小?稲 苅ケ谷 狩場 奥山 宮浦 百ヒケ 宮ノマヘ ヤシキ谷 ユリケ谷 米田谷屋敷 大休 成ノ下 リラ谷 岡ノ成 ツル谷 仲場 シテカ成

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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