丹後の地名

青井(あおい)
舞鶴市青井


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京都府舞鶴市青井

京都府加佐郡四所村青井

青井の地誌




《青井の概要》

青井は舞鶴市の北部。舞鶴湾口の西に位置する海岸の集落。北西は槙山(483m)山には槙山砲台跡(高射砲陣地)。今はテレビのUHF中継所などがある。北は白杉、南は吉田。
江戸時代に、白杉村と槇山の帰属をめぐっ係争があり、青井村のものとなった。槇山は舞鶴湾西岸、由良川以東では最も眺望の開けた山。青井川を遡り、由良川筋の油江に通ずる道もある
細川藤孝・忠興父子の田辺築城に際し、城下になる円満寺村の百姓の一部は、替地として当村に移転させられ、その代償に喜多・円満寺・引土に飛地を宛行われ、名負分として舟で出作したという。文化3年伊能忠敬らが当村沿岸の測量を行った(安原家文書)。という。
 青井村は江戸期〜明治22年の村名。同22年四所村の大字。昭和11年舞鶴町、同13年からは舞鶴市の大字。

《人口》160《世帯数》52


《主な社寺など》結城神社(青井)
結城神社(胆吹明神)。毎年正月には13〜17歳の男子が宮籠りする行事
青井小学校の裏山に青井古墳二基(完存)
宝篋印塔
青井小学校(廃校)
曹洞宗桂林寺末瑞雲山青龍寺
『加佐郡誌』

 〈 瑞雲山青龍寺、曹洞宗、享保十二年創立、四所村  〉 

白山神社
稲荷神社
秋葉神社
八柱神社

《交通》
府道由良金ケ岬上福井線

青井の主な歴史記録


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 青井村
瑞雲山青龍寺、本寺右同断、膽吹大明神九社の内、薬師堂あり。
  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免八ツ四分
青井村 高百拾七石三斗八升九合
    内二石九斗三升八合三勺 万定引
    九石御用捨高
 胆吹明神 九社之内
 薬師堂
 青龍寺 瑞雲山 桂林寺末  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎青井村(吉田村の次)
【膽吹大明神】
【瑞雲山青龍寺】(曹洞宗)
 【付録】(薬師堂)  〉 

《舞鶴市史》
 〈 湯やくし    (青井)
 古来の記録に「湯やくし」と記されている薬師堂がある。現在では寺の境内に移されているが、元この薬師堂があったという辺りに、昔、温泉が湧いていたという。
 千年ほど前のこと、この湯元で近所の者がおむつを洗たくしていたところ、湯の神さまが怒って「千年経ったら迎えに来い」といって、有馬へ行かれ、それ以後、湯が出なくなったという。
 なお、ここから程遠からぬ所に、当時の湯治客の墓跡だといわれるものが現存している。〃湯だおれの墓〃というのであるが、〃行きだおれの墓〃というのかも知れない。
 薬師と温泉の伝説は、このほかに森、小倉、上安にもある。

青井の宮籠り
正月の元日から一三日間、村の男の子が氏神結城神社の「たちや」(前のお堂)にお籠りをする行事である。いつごろ始まったものか分からないが、文化十年(一八一三)の「村方年中行事調べ」の正月元日のところに「今夕より子供(一三才より一七才まで)十三日まで毎夜御宮え御籠り申候」と記されていることをみても、かなり古くから行われて来たものと思われる。
 お籠りをする者を「こもり子」といい、数え年一三歳から一七歳までの村の男の子は、家に「けがれ」のある場合を除いて全員参加することになっている(兄弟がある時は弟は不参)。「こもり子」達は正月元日の午後になると、決まりの服装を整え、夜具一通りと筵で作った藁布団(敷代用)を持って「たちや」に集まり、昔から伝えられている厳しい仕来たりに従って、いろいろの「行」をする。
 この行事の起こりについては、昔、村中の男の子の育ちが悪いので、氏神様に祈願してこのお籠りを始めたところ、それから丈夫な男の子が育つようになったので、以来ずっと続けて来たと言い伝えられているが、行事の内容は大体が年の始めに当たって、村の豊作を祈願するもののようである。
 「こもり子」の役割は、年齢によって順位が決められている。…
  〉 

『京都丹波・丹後の伝説』(京都新聞社・昭52)(イラストも)
 〈 青井の消えた温泉  舞鶴市青井
日本人ほど温泉好きな民族はない。温泉は昔から休息に、病気の療養にと活用され、全国的に分布しているが、どういうわけか丹後地方にはほとんどない。しかし昔からのいい伝えでは、舞鶴にも温泉があったという。これは舞鶴からどうして温泉がなくなったかという悲しくもまた面白いお話。

青井の湯やくし

 舞鶴市青井に「湯やくし」という薬師堂がある。現在は青竜寺の境内に移されているが、この薬師堂のもとあった場所に、千年以上も昔には温泉がこんこんとわき出ていたという。
 村の人たちもこの温泉を大そう重宝がり、仕事の疲れをいやしたり、社交の場として風呂がわりにも使っていた。温泉の神様はこの様子を見て大喜び。どんどこどんどこ新しい熱い湯を出し続けていた。
 ある冬の寒い夜、神様がふと目をさますと何やら黄色いものが温泉に浮かんでいる。神様は眠い目をこすりながら、「月が出ているのかな」と思ったが、空はくもっていて月の出ている気配もない。そのうえ、何となく異様なにおいがするので不思議に思い、温泉の周りを見回すとだれかが何かを洗っている様子。さらに近づいてよく見ると村のチヨというおばさんで、何とおむつを洗たくしているのである。
 このチヨというおばさんは、子宝に恵まれすぎ八人の子どもがあり、そのうえ、この秋にもふた
ごの赤ちゃんが生まれたばかり。それまでおむつは川で洗っていたが、あまりにも水が冷たいので
夜こっそりと温泉へ洗たくにきたのだった。
 これにはさすがの神様もカーッとなり、「みんなが気持ちよく使っている温泉でこともあろうに
おむつの洗たくをするとは−−」と怒った。そして翌朝、「千年たったら迎えにこい」といい残し
て現在の兵庫県の有馬温泉へ飛んで行ってしまった。
 それ以来、青井では温泉もぴったりと止まってしまい、村の人たちは大へん残念がったが、どうしようもなく、「千年たったら迎えに行こう」とあきらめてしまった。またチヨというおばさんも
いつのまにか村から消えてしまったという。
(カット=小畑恭彦君=舞鶴市青井枝)
[しるべ]
青井は舞鶴市西市街地から約八キロ北へ行った舞鶴湾沿いにある。前は海、後は山に囲まれた閑静なたたずまいをみせている。最近はヨットハーバーも出来、夏は沖合を走るヨットの白い帆が目にしみる。  〉 


『舞鶴の民話2』
 〈 青井の消えた温泉 (青井)
 下福井から海ぞいに右に舞鶴西港をみながら、貯木場のある喜多にいく。
曲りくねった峠道を進むと、大君、吉田の村がある。海には年取島もみえる。更にいくと青井である。
 青井には「湯やくし」という薬師堂がある。現在は青竜寺に移されていが、この薬師堂のもとあった処に、今から千年以上もむかし、こんこんと温かい水がわき出て、岩間が温泉となっていた。村人は仕事のつかれをいやし、社交の場として、みんな仲よく話しあっていた。温泉の神様も、この様子をみてニコニコ大よろこびだったと。
 ある冬の寒い夜、神様がふと目をさますと、温泉の方で音がする、目をこすりながらその方をみると、何やら温泉が黄色がかっている。月の光のせいかと思ったが、空はくもって月は出ていない、その上何となく異様な臭がただよっている。温泉の方にいってみると、誰かが温泉で洗たくをしている。さらに近づいてみると、村のチヨというおばさんで、おむつの洗たくをしているのである。
 チヨは子宝に恵まれ八人の子どもがあり、そのうえこの秋にも双子の赤ちゃんが生まれたばかりである。それまではおむつは川で洗っていたのだが、あまりに冷たいので、こっそり人の来ない夜に洗たくにきたのだった。温い水はチヨにとってめぐみの水だ。
 これにはさすがの神様もカーッとなり、「みんなが気持よく使っている温泉で、おむつの洗たくするとはー」と怒った。
 そして翌朝、「千年たったら迎えにこい」といい残して、兵庫県の有馬温泉の方へとんでいってし
まった。
 そこは冷水がたまるばかり、以前のような温泉ではなくなってしまった。
村の人達は残念がったがどうすることも出来ず、「千年たったら迎えにいこう」とあきらめてしまった。チヨというおばあさんも、いつのまにか子供とともこの村から消えてしまった。
 村の人たちだけでなく、各地よりこの温泉にきている人は多く、当時の湯治客の中には途中で死んだ人もあり、墓跡には湯だおれの墓というのがその温泉のあったところにある。  〉 

『京都新聞』(98.1.8)
 〈 *ふるさと第一部伝承を訪ねて*舞鶴と温泉*神様は有馬へ去った*

 府内の泉源の半数が集中する北部地方は、まさに「掘れば湧(わ)く」温泉地。余暇時代を迎え、ここ数年、岩滝、大宮、弥栄など各市町で、地域おこしに温泉掘削ラッシュが続く。
 一方同じ白山火山帯にありながら、舞鶴市は民間の温泉施設一軒のみだ。「何で舞鶴に温泉が少ないんや」の声が多いが、実はこんな伝説のためなのかも−。
 おしめ洗いに激怒
 西舞鶴から北へ約六`、舞鶴市青井にある青龍寺。境内に「湯やくし」といわれる薬師堂がある。
 千年以上も昔のこと。薬師堂がもともとあった場所は、温泉がこんこんとわき出ており、村人が仕事の疲れをいやしたり社交場として使っていた。
 おる冬の夜。温泉の神様がふと見ると、女性が温泉でおしめを洗っている。川の水が冷たいためだったが、神さまは「温泉でおしめを洗うとは」と激怒。「千年後に迎えに来い」と村人に言い、約百`南の有馬温泉に飛んでいった。以来温泉は枯れてしまった。
 同様の話は森や上安、小倉など市内各地に伝わる。久田美では、馬が湯の滝に足をつけたためわかなくなったとも。伝説の真偽は定かでないが、「小学校の裏に温泉跡があるとかないとか…。昔ボーリングした時はだめだったしねえ」と、同市青井の住民が話した。
うらやむ旅舘経営者
 「温泉、あったらいいですね。舞鶴が城崎ぐらいの温泉地になれば、観光客がぐっと増えると思うんです」と、舞鶴市内のある旅館の社長(53)はうらやむ。
 ちなみに丹後町が今夏から建設する同町宇川の温泉は、四五・六度、毎分二百十四gもの湯をくみ上げ、露天ぶろや宿泊施設などを設ける。近隣温泉との競合や採算の問題はあるが、「観光客の問い合わせはまず、『温泉あるか』ですし。雇用が生まれ、過疎対策の切り札にも」と同町地域づくり推進課。年間十万人の客を見込んで意気込む。
 舞鶴市民のため息が聞こえそうな話だが、市も九四年、温泉開発に向け、大浦半島の同市三浜で泉源調査を始めた。だが…。
「相当なリスクが予想される」。九五年六月。市議会一般質問で、瀬野義信助役は開発断念を表明した。ばく大な掘削贅や、良質な温泉が出る保証のなさ、他地域との競合が理由だった。以降、市が温泉開発に乗り出す構えはない。
「がっかりした。要望してきただけにやってほしかった」。舞鶴観光協会の清水孝夫副会長(六四)は、当時を思い出す。「赤れんが倉庫など、舞鶴ならではの資源は多い。でも舞鶴の観光は国道通過型。お客さんに滞在してもらうためにも湯治場的な核施設を設け、他の施設と連動させたら個性的な観光地になるのに」
転換期迎える観光
 好調な出足で観光拠点となった舞鶴港とれとれセンター、今秋完成する商工観光センター(仮称)など、いま舞鶴の観光は転換期を迎えつつある。石間正宏市商工観光課長も「観光資源が増える中で、将来的には温泉開発が検討課題になってくるかもしれません」。 その時、温泉の神様は舞鶴に戻ってくるだろうか。「舞鶴観光をどうするか、真剣に考える市民の盛り上がりにかかっています」。清水さんは言い切った。  〉 
青龍寺(青井)
写真の瑞雲山青龍寺は曹洞宗のお寺であるが、向かって左側に祠が二つある、それが薬師堂なのであろうか。曹洞宗よりもずっと古いお寺と思われ、この地の古代の宗教風土を伝えるものではなかろうか。
こんな伝説があるのだから薬師仏やそれを祀る祠があるのでないのかと、聞いてみると「さあ知りません。大学の子らが調べに来られていることもありましたが、私は知らないんです。その伝説は聞いたことがあります、有馬の方へ行ってしもうたというんですね。こんなこと言うとったら怒られますね、主人に聞いときます」ということであった。地元でもあまり知られている様子はない。
この伝説は夜久野町主邑・額田の伝説と同じで、ここ青井も南に位置する喜多が古くはヌカタベ村であった。
夜久野の額田の古刹・月光山東光寺はその寺号から判断すると薬師が本尊かと思われるが、今は不動。境内に薬師堂がある。不動であっても同じものと思われる。
伝説ですから本当に湯が出るかどうかは別の話。まあまったくないよりは、期待大ではあるが。


青井の小字


青井 坂ツラ タツラ 青井谷 道ノ下 家中 ムセガ谷 仲川原 ユブ子 梅ケ谷 赤松 休場 スリ 田畑 北谷 平 ムシガ谷 平田 平林 オチ川 中ノ坪 家ノ下 マキ山 ソロジ 宮ノ上 ヒゲノ上 城ケ腰 梅ノ木迫 由スリ谷 赤坂 トチノ木谷 イヤガ谷 滝ケ谷 イラ谷 カリ又 ヤキ山 大迫 桂谷 オナマレ 深多尾 二子筒 寺ザコ 上ガ山 森ケ山 脇 脇ソラ ヨコ山 細サコ 丸岡 水ケ上 居崎

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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