丹後の地名

城屋(じょうや)
舞鶴市城屋


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京都府舞鶴市城屋

京都府加佐郡高野村城屋

城屋の地誌




《城屋の概要》

城屋は西舞鶴の南部。高野川の上流に位置する。KTR宮津線、東西に府道志高西舞鶴線(旧河守街道)、南北に府道物部西舞鶴線が通る。狭い村中を府道が二本も通ると自慢するが、今はどちらも狭い。西に真壁峠があり、越えると久田美(真壁)、北に楠彌寺峠があり、越えると上福井、南に奥山(奥城屋)の集落がある。登尾峠があり越えると綾部市志賀里である(車は通れない)。東は野村寺である。南東に千石山がある。城谷とも記す(加佐郡誌)といわれ、地名の由来は、往古坂根修理亮満親の居城があったことによるといい、細川氏入国後に城屋と改めた(加佐郡誌)ともいう。
 私の嫁さんの里は奥城屋(奥山)である、二十軒ばかりあるが、『京都府の地名』は、「慶長検地郷村帳に高三七一・三九石「城屋村」とみえ、「城屋村之内奥山」と注記されるように、枝郷に奥山があった。奥山は深い谷奥の地のため、古来の俗謡に「城屋奥山此世の地獄、花の野村寺由里めいしょ」と歌われる。「細川家記」に一色氏部将矢野志摩守の城を奥山城とする。奥山には城跡がないが、小字河原には城跡がある。その辺りと考えられる。」としている。村は奥の方から開発されるものであり、枝郷というより本来はこちらが元村と思うのだが、本当はもっと奥にあったと思うが…
 城屋村は江戸期〜明治22年の村名。同22年高野村の大字となる。昭和11年舞鶴町、同13年からは舞鶴市の大字となる。


《人口》412《世帯数》121


《主な社寺など》
北の山腹の斜面には須恵器・土師器の黒色土器を出土した城屋窯跡がある。窯趾のあたりをクスネジとよぶ、クスネジトンネルとか踏切もクスネジだったと思うが、少名毘古那の久須禰(薬根)(石斛)という蘭の一種らしいが良質の薬草があったか、土そのものも薬だったか、常世の国に住むという少名毘古那の薬なら水銀かも…

雨引(蛇神)神社。8月14日には伝説の大蛇退治にちなみ農作物の豊凶を占う揚松明が行われる。
臨済宗妙心寺派昌林山永福寺
『丹後国加佐郡旧語集』
 〈 東山寺末。  〉 

『加佐郡誌』
 〈 昌林山永福寺、臨済宗、慶安元年創立、高野村  〉 

『丹哥府志』
 〈 【昌林山永福寺】(臨済宗)  〉 

『火祭りの里 城屋』
 〈 昌林山永福寺
 ・開創……昔は西方寺(竹内定右衛門家附近)と言って、城屋の中心地であったが、その辺に昌林庵と号し小さな庵があった。当時今の綾部市梅迫の安国寺より、西庵禅師を迎えて住庵としていたが、倉谷の東山寺開山、梅天大禅師と旧知であったので、この小庵を改創しようと相談し東奔西走して浄財を募り、当時の村民二十余戸と協力し成功して昌林山永福寺とした。時は慶安元年(一六四八)のことである。
 ・本尊…… 開創当時は阿弥陀如来を手彫して安置されていたが、寛文三年(一六六三)に三十三体の観世音菩薩像を作り、厨子に入れて祀られた。元禄三年(一六九○)に四世祖寅和尚代に釈迦牟尼仏と文珠、普賢の両菩薩を彫刻して本尊として安置した。
 天明五年(一七八五)七世孝嶽和尚代で毀損甚だしくなったので、釈迦牟尼仏と両菩薩を再興して安置された。
 現在も、位牌堂正面に釈迦牟尼仏を正面に、右側に文珠菩薩、左側に普賢菩薩が祀られている。いずれも各体三十糎位の座像で木彫金塗りである。

 ・薬師如来……昔薬師さんは、小字ミヤ谷竹内定右衛門家の南側林道横の五平方米程の土地に祠を建てて祀られていた。村人は耳の神さんとして穴のあいた石を持って参り病の治癒を願った。祠の中には糸を通した小石が沢山あった。この祠が古くなり修理も出来ない程の状態となり壷の内組の組集会に話が出て字へ建替えを願い出たが、建替えとならず社寺係と近所の人達の手により取壊した。薬師如来とは、左手に薬壷を持ち右手は掲げる姿であるが、その本尊は昔寺へ移され、現在は観音堂の向って右側に祀られている。毎年九月に行われていた祭も今はなくその土地は定右衛門家へ昭和四十五年(一九七○)譲渡された。
…  〉 

(耳の神様は普通は道祖神(塞の神)系と考えられるが、目の神様とどこかで混同したものか。)



前の墓地山に大蛇を退治した森脇宗坡の築城と伝える山城跡。
天王社にはリンボクが自生し、照葉樹林帯の遺存植物として市の天然記念物。
↓天王社の「お松明」神事。


愛宕神社。
八坂神社。

《交通》
↓府道志高西舞鶴線

府道物部西舞鶴線

城屋の主な歴史記録


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 城屋村
昌林山永福寺禅宗本寺東山寺。天曳大明神、氏神なり。愛宕権現、牛頭天王。
  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免七ツ七分
城屋村 高三百七拾壱石三斗九升
    内二石六斗八升三合 万定引
    拾五石御用捨高
 奥山村ハ当村出村也
 天曳明神 六月九日祭
  大松明ノ祭 珍鋪祭ニテ年ノ豊凶ヲ試
  愛宕権現
  牛頭天王
   永福寺 昌林山 東山寺末  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎城屋村
【天引大明神】(祭六月九日)
【昌林山永福寺】(臨済宗)
 【付録】(愛宕権現、牛頭天王)  〉 

《加佐郡誌》
 〈 古来の俗謡に「城屋奥山此世の地獄花の野村寺由里めいしょ」(由里こじきともいふ)といふことがあるが城屋は比較的に早く開けた所であるやうに思はれる。ホノゴ峠の山麓からは古代の五輪石碑が出る此にて当字の開拓の古きを証している。後花園天皇の御宇中筋村字伊佐津の佐武ケ岳に城を構へていた坂根修理亮満親(足利義政の庶子であるとせられている。坂根氏の由緒は年代不当)の子孫池内村今田から来て、一時城を作って住んでいたが間もなく帰農して坂根九郎左衛門及片倉吉平などの諸氏に分れたやうである。今城の段、城山などの地名が残っている。之等は坂根氏以前此地に住んでいた某豪族の城地であったが一色氏(或は細川氏であるともいふ)に攻め滅ぼされて僅かに昔の面影を存しているばかりである。字名は之等の事実に因みて城谷村といっていたのを細川氏の時から今の字に改めたとのことだ。  〉 


《まいづる田辺道しるべ》
 〈 …
真壁
 「マカベ」といえば、誰しも久田美の真壁と思われがちだが、実は城屋、野村寺、高野由里にも「マカベ」という小字名のあることが分かり、これには何等かの関係があるのではないかと聞いているうち地元の古老より、次のような興味のある話をしてくれた。
 「昔、城屋に大きなマカニ(真蟹)が住んで居た。女布の森脇宗坡の娘が婚家より里帰りの途中、城屋の日浦谷で大蛇に食われたのを大変怒った宗坡は、直ちに大蛇を退治した。その大蛇を三つ切りにしたのが、この大きな「マカニ」であった」といわれている。
 この大蛇の頭部は、城屋の雨引神社へ、腹部は野村寺の中の森神社へ、尾部は由里の尾の森神社へと、それぞれお祀りしたと伝えられている。
 この「マカニ」が転訛して「マカベ」の地名となったとか。
 さて、河守街道は、真壁峠の頂上より真っすぐ狭い急坂を下り、真壁村の入口(現在の真下仁氏の家の上辺り)に下りて来る。
 往昔、この峠は大変急坂で、頂上附近の大杉に馬を繋いで一服したと伝えられ、又、地元の古老の話によると、「峠の頂上に、昔は広場があり、殿様がこの峠を越えられる時、この広場が休憩場所になっていた」という。今はこの広場は無い。
 又、八十過ぎのある老母がこんな思い出話をしてくれた。
 「城屋より峠を越えて真壁に嫁に来たが、嫁に来た当座は、里が恋しくて恋しくてならず、昔は車も無く、里に行くのに真壁峠を歩いて越える以外に方法がない。里帰りには、家の人に峠の頂上まで送ってもらい、頂上からは、里の親が迎えに来てくれており、一緒に実家へ里帰りしたものである」という。
 この話は、一昔前までの真壁峠の往来の様子が、なんとなく偲ばれて来る。…  〉 

真壁(まかべ)峠は由良川筋へ通じる府道である、元の河守街道であるが、路は狭く曲がりくねり急坂で難所である。冬期は積雪で通行止めとなる日もある。昔はもっとまっすぐに登って、まっすぐに下ったデ、すごい道やったデと言われる。北の国道175号線が渋滞するのでこの道に迂回する車も多い。真壁はこの峠を西に降りた所の集落の名で、久田美の出村という。
ここに蟹の伝説があるとは知らなかった。ヘビと関わるように蟹とはカネである。そうすると真壁とは「まかね」のこととなる。真壁とはマガネの転訛であるのかも知れない。
「まがね吹く 丹生のまそほの 色に出て …」(『万葉集』)
「まがね吹く 吉備の中山 帯にせる …」(『古今集』)のマガネだ。
このマガネとは何か。鉄だと普通は言われているが、鉄はクロガネだし、すぐ丹生が出てきてどうもおかしい。両地点はともに有数の朱砂の産地であり、マガネとは水銀だと松田寿男氏は書いている。
瓜生(←売布=女布←丹生ということか)という小字がある、西隣になる久田美にも同じ区名があり、瓜生サンもおられる、東隣の女布の地名にもに見られるようにこのあたり全体は広く水銀の地で、これは意外にも当たっているかも知れない。
郷土史として、というより全国的な古代史解明として研究の値打ちは充分にありすぎる。
これはいつか取り上げてみたい課題である。

城屋の小字


城屋 セノベ 瓜生 ユズリハ 高岸 権現尾 清水谷 永尾 イ子谷 真壁 天王 下地 キノフ 上地 宮谷 大谷 六ツコ 河原 登尾 奥山 女布谷 日浦 ホノゴ 真壁山

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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