金屋(かなや)
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京都府福知山市大江町金屋 京都府加佐郡大江町金屋 京都府加佐郡河守町金屋 |
金屋の概要《金屋の概要》 大江町の中心部で、由良川左岸の段丘上の大江高校周辺の集落。北は矢部山に続く山地。南は波美。金谷とも書かれる。 天正8年細川藤孝・忠興領、慶長6年宮津藩領、元和8年からは田辺藩領。田辺藩の代官支配組は川口西組、大庄屋差配組は川口上組に所属。 金屋村は江戸期〜明治22年の村名。金屋は明治22年〜現在の大字名。はじめ河守下村、明治23年河守町。昭和26年からは加佐郡大江町の大字、平成18年からは福知山市大江町の大字。 《金屋の人口・世帯数》439・138 《主な社寺など》 兵庫神社 曹洞宗林泉寺 中世の山城跡 《交通》 《産業》 金屋の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》〈 金屋村は 河守郷の境なり、外宮内宮の御社近し、聖権現の社あり八幡宮一宮あり。 青宝山林泉寺は禅宗なり、金屋小原と云う人古の城主なり、これより川東に至って 〉 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 金谷村 高三百八拾五石弐斗弐升 内拾弐石九斗壱升九合五勺 万定引 拾三石御用捨高 古城 金谷小原 八幡宮 一ノ宮 鍵取 宇左衛門 屋敷ハ金谷村宮ノ支配ハ波美村ヨリ 聖権現 林泉寺 青宝山 宮津天田内村 常光寺末 〉 《丹哥府志》 〈 ◎金屋村(関村より東へ入る、田辺街道) 【聖権現】 【青宝山林泉寺】(曹洞宗) 【金屋将監城墟】 〉 『丹後与謝海名勝略記』(貝原益軒) 〈 【真井ケ原】一宮の北松の茂りたる所実に比治の真井原藤岡の神社也。今に崩損したる宮柱あり。その傍に鶺鴒石あり、神秘なり。是謂ゆる與佐の社也。しかるを諸社一覧に與佐の社は与謝郡川森に有とて書て河守今内宮を祝は近代の俗なりと云けり。甚誤なり。蓋今の内宮は昔天照太神四年鎮座の跡なるへし。河守の外宮は山も浅く、内宮に比するに遥以後の勧請と見へたり。しかるをよさの社と指てよさの海の古歌ともひけり。河守は海浜より四里余大山を隔て山中なり、是あやまりの証據なり。 或曰今の内宮外宮は往古金丸親王(按二帝王系図一用明天皇第六の皇子常麻君の祖也)当国凶賊征伐の時勧請し給ふ所なり。内宮外宮の間に公庄金谷といふ在所あり。是すなはち親王の家臣也。親王当国を領しなふゆへ家臣の姓残りて在名となれり。親王の勧請故あるに似たる乎、豊鋤入姫天照太神を戴て、丹後與佐の宮に到りて四年を経といふ。神跡は今の文珠堂也。俗伝へて堂内の四柱を天照太神の建立なりと云、是其証據なり。况真井原と文珠堂と纔三十町を隔て一所なり。是豊受太神自レ天降同座二一所一といふものなり。是又一説なり。 〉 金屋というのは鍛冶屋の町だったからこのような地名が残るわけだが、それにふさわしい伝説も伝わる。 《大江のむかしばなし》 〈 石芋とお大師さん 金屋 荒川 太市 お大師さんが、どっか、こう歩いとられてへ 「芋をくれえ」とか言う、 「ちょっと一つくれえ」とか言われたんでっしゃろ、お大師さんが、食べてみようと思うて。ほったら、 「これは、食われん。石や」ちゅうて、芋洗うとるお婆さんが言うたっていう。ほったら、洗うとった 芋が、みんなあ、ほんとの石になって、食われんようになってしもたっちゅうて。 里芋によう似た石がどこにじゃ知らんけどあるわ。 大入道を食った男 金屋 塩井 忠司 外宮さんのやぶに大入道が出よったそうですわ、一つ目のごっついのが出よったそうです。ちいとしっかりした人が、あんまり人が驚かされたりなんかするので、行って、 「出てこい」言うたち、うわっ、て出たいうんですわ、ごっついのが。 「ほうか、お前りっぱなもんじゃのう、もうちょっと大きいなれや」ちゅうたら、そうこうして、うわっ、 となって、 「なしたのうお前、もっとなれ」て言うたら、うわっ、とこうなって、そこらあった木と同じ程になったいうんですわなあ。 「すごいもんじゃなお前は、ほんまに大きいになることはわかったで、ほんなら小そなれるか」ちゅうて、こう天に向って言うた。 「ほんなら、何でもなっちゃるでよ」言うたさかいに、 「ほんならまあ、梅干しになってみいや」ちゅうてな、梅干しになって、ころころころとなった。そんでその人は、思わず、ちょっ、ちょちょっと食て、それからあとは出なんだいうこと。 〉 金屋の小字金屋 夏トガ山 アゲシ 家前 由里垣 奥磯野 兵庫 村中 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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