丹後の地名

岸谷(きしたに)
舞鶴市岸谷


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京都府舞鶴市岸谷

京都府加佐郡池内村岸谷

岸谷の地誌




《岸谷の概要》
岸谷の観音堂
岸谷は舞鶴市の南部。弥仙山の北麓に位置し、伊佐津川支流・岸谷川上流の山間谷中になる。しっかり道はあるが、ずいぶんと山奥へ入らねばならない。

→岸谷の観音堂(赤い屋根)。この川には大山椒魚がいるそうである。1メートル半くらいだそうだが、夜行性で昼間は姿は見えない。

古くは京街道が通り、南東の小吹峠を経ると丹波中上林の睦志に至る。山深く耕地が少ないため山仕事が主で、隠田集落ともいわれた。
岸谷村は江戸期〜明治22年の村名。同22年池内村の大字となる。岸谷(分校跡から)
昭和45年の大火により34棟が全焼した、41世帯のうち13世帯が被災した。



《人口》50《世帯数》27

《主な社寺など》
山神神社
曹洞宗桂林寺末岸谷山長泉寺
『丹後国加佐郡旧語集』
 〈 桂林寺末  〉 

『加佐郡誌』
 〈 巌谷山長泉寺、曹洞宗、寛永十三年創立、池内村  〉 

『丹哥府志』
 〈 【岸谷山長泉寺】(曹洞宗)  〉 


《交通》
市道が通じる

《産業》




岸谷の主な歴史記録

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 岸谷村
長泉寺曹洞宗桂林寺末寺。この村往古より紙をすき商売す。木住峠とて丹波境の峠あり。  〉 


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免十ヲ
岸谷村 高四拾六石三斗九升
    内四斗 万定引
 長泉寺 岸谷山 桂林寺末
 観音堂
  当所先御代御鹿狩有先達為見分香谷孫九郎久
  当幸山金兵衛長政ヲ被遺出大書院絵図地形ヲ
  作リ御立間士卒ノ手配リ在シ  〉 


《丹哥府志》
 〈 岸谷村
【岸谷山長泉寺】(曹洞宗)  〉 


《加佐郡誌》
 〈 池内村。もと大内郷に属していた。現今は今田、堀、池ノ内下、布敷、別所、上根、寺田、白滝、岸谷の九ケ字から成っている。  〉 

《舞鶴市史》
 〈 舞鶴鉱山
池内地区の別所、寺田、上根、白滝と、この地方一帯に分布する。鉱種は銀、銅、硫化鉄鉱であり、鉱床の走向はN五○〜六〇E、傾斜七度〜八度Sとある。鉱床の母岩は、輝緑岩ないし輝緑凝灰岩で、小規模な層状、合銅硫化鉄鉱床である。別所の暮谷(くれだに)坑、高油里坑を主として戦国末期から大正年代にかけて採掘していた。  〉 

《まいづる田辺 道しるべ》
 〈 岸谷 岸谷峠 幾津見峠 鬼住峠の日迎え行事
岸谷
 岸谷の地名については不詳なるも、地名語辞典によると「山腹の岩石など切り立った谷間」とある。
 岸谷は、丹後と丹波の国境に接し、弥仙山の麓に位置する人里離れし辺境の地にある。
 地元の伝説によると、
「岸谷は、平家の落武者が逃れ住みついた隠れ里と伝えられ、観音堂にお祀りされている聖観音立像は、平家が屋島へ落ちのびる際、弥平兵宗清の家来が背負って来た平家の護持仏である」
と伝えられている。
 地元の岸本与冶氏の話によると、
「岸谷には、武士の末裔ではないかと思われる桜井、石尾、岡野、上月、堂本など旧姓を名乗る旧家があり、これらの旧家には、戦前迄古い刀剣類を所蔵されていたが、戦時中すべて軍に供出され今は残っていない。観音堂にも落武者が奉納したと伝えられる二振の刀があった。
 岸谷では、過去二回の大火による罹災のため、村の縁起及び家系図等すべて焼失或いは紛失し、岸谷の歴史を物語るものは、何一つ残っておらず」岸谷の落武者伝説は、今は口伝えとして語り継がれているにすぎないのである。
 延享三年(一七四六)の史料によると、農家戸数二十九戸(現在二十一戸)、人口一三一人とあり、往昔の岸谷村は、現在の家路を中心に幾津見峠にかけて民家が点在していたといわれ、峠の近くに住んでいた人は鍬の木枠である「フロ」を作って生活していた。この人達のことを地元では、「フルヤ」(フロが訛ってフルヤになる)さんと呼んでいた。
 今は、すべて家路に下りておられる。
 往昔、岸谷には旅籠屋は一軒もなく、茶屋が二軒あったといわれ、下の茶屋は岸谷橋の辺りにあり、いま一軒は上に「五右衛門茶屋」があった。
 ここを通る旅人達は、この茶屋で一休みしてから峠を越えたのであろう。(岸本弥市氏)
 さて、上林街道は、白滝の出合より池内川右岸に沿って曲がりくねった山道を岸谷まで遡って行く。
 旧語集によると、この岸谷道を「岸谷は、若州(若狭)の海辺見ゆる佐武獄より高けれ共、道吉、登りよし」と書いている通り、昔から案外勾配がゆるやかで登りやすい道であった様である。岸谷集落内に入ると、街道は川の左側に移り、岸本与冶氏宅前に残る旧道(三尺道)を通り、元分教場辺りより川の右岸に沿って遡って行く。村はずれまで来ると、手前に右へ入る道あり、この道は弥仙山への参詣道で、これより約一里半(約六キロ)の山道という。今は、この道を通り参詣する人はなく、廃道同然であるとのこと。
 集落を出ると、いよいよ峠道となる。峠道は池内川の源流に沿って鬼住谷を約千五百メートルばかりも遡ると、左の谷へ入る道と分かれる岐路あり。この岐路に自然石の道標が立っている。
 道標には、
   右 志ろした
   左 むし村
    施主 谷内四郎右衛門
とあり、この外に、ここには古い追分地蔵さんがあったが、洪水のため流失して無いという。地蔵さんには、
   右 上林
   左 小吹
と書かれていたという。
「左 むし村」は、これより左の谷道に入り、小吹峠を越えて上林の「むし村」(現在の睦志)に出る。
 ここで菅坂峠を下って来た旧道と合流する。地元では、この小吹峠道を別称「殿様道」とも呼んでいる。
 中世(室町時代末期)の連歌師、里村紹巴が天橋立より京への帰路、この小吹峠を越えて上林に入ったのではないかともいわれている。
  「右 志ろした」道は、当初「田辺城下」のことであろうと考えていたが、よく見ると、上林方向を指した道標であることが判り、上林に「志ろした(城下)」称…  〉 

岸谷の小字


岸谷 勘尻 向山 奥谷口 奥谷 西ケ谷 滝ノ谷 村中 上野山 野手 コンド 荒神ノ下 岡ノ谷 森ノ下 神奥口 神ノ奥 森前 隣谷 森ノ上 オリト 小女子口 丸尾 年梨口 年梨 小谷口 女子口 女子ユリ 仲女子 大女子 浅尾 浅尾口 ヘビ原 黒滝口 黒滝谷 木挽口 坂ノ谷 木挽 黒滝 鬼住 女子 小谷 小女子 森 荒神

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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