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清道
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清道の地誌《清道の概要》 清道は舞鶴市の中央部。東西舞鶴接点の白鳥峠のトンネル(府道小倉西舞鶴線と鉄道)の西側の南にある集落。 隣の天台はまだしも、清道は小さい集落で舞鶴人でも知る人は少ない。 清道川の上流域に位置し、もとは清谷と称したが、田辺郷の農民が当地に移住して清道と改称したものと伝わる。残欠には往古、天香語山命が「矢のとまった地が必ず清い地になるであろう」との豊受大神の託宣をうけ、比治山より矢を発したところ、笶原山(現在の愛宕山)にとまったという地名由来説話がある。 清道村は、江戸期〜明治22年の村名。同22年余内村の大字となる。昭和11年舞鶴町、同13年からは舞鶴市の大字。同45年一部が清美ガ丘となる。最近は新興住宅清道新町ができている。 《人口》89《世帯数》29 《主な社寺など》 稲荷神社 《交通》 府道小倉西舞鶴線(白鳥街道。若狭街道) 《産業》 清道の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》〈 ![]() ![]() 《丹哥府志》 〈 ![]() ![]() 《加佐郡誌》 〈 ![]() ![]() 《まいづる田辺 道しるべ》 〈 ![]() 清道はそもそも清谷と称し、天正年間(一五七三〜九二)細川藤孝侯が田辺へ入国後、城下の建設に際し笶原(城下の紺屋町のこと)の農民が移り住み、清谷を清道と改称せしという。 慶長検地郷村帳によると「上安村之内清道」とあり、明治六年に上安村より独立して清道村となっている。 丹後風土記によると、 「往古天香語山命が矢のとまった地が必ず清い地になるであろうと天照大神の神宣を受け、比治山より矢を発したところ、当地の笶原山にとまった」 と地名由来説がある。 さて、若狭街道であるが天台道との岐路より小字堂ケ鼻に続く旧道を通って行く。この堂ケ鼻の山鼻辺りで田辺大橋より一里となり、ここに一里塚が設けられていた。 秋田道典(郡奉行下役)の規範によると、 「清道村前ニ有 田辺大橋ヨリ壱里」 と記している。 又、享保十二年(一七二七)の丹後国田辺図の中にも堂ケ鼻に「大ハシより壱里」と記され、かたわらに塚の絵が記入されている。この塚の上に、 田邊大橋ヨリ壱里 と書かれた石の標柱が立てられていたはずで、この標柱について地元の古老に聴取したところ、 「確かに堂ケ鼻に塚らしきものと、標柱が立っていたが、道の改修の際に埋めてしまった」 とのこと。この種の標柱は当地以外では余り見受けられない貴重な文化財であり、今後掘り出された際には、必ず保存に努められる様願う。この堂ケ鼻について「余内小史」に、ここにお堂が有り、見張番人の詰小屋があったと記している。 旧道はこれより堂ケ鼻の山麓づたいに清道村の家路に入り、村中の下道を行くとすぐ峠道にさしかかる。清道について地元の人々より次の様な話を聞く。 「清道には紺屋から移住して来た子孫で当時庄屋を勤めていた沢田嘉平なる人が住んでいた(当家は逼塞して市外へ転出されている)。 村には旅籠、梅ノ木茶屋などあり、峠口に「インナイ屋敷」と呼ばれている不侵の霊地がある。ここには旅人などが行き倒れになった人々を埋葬した場所であり、石龕型卒塔婆、石地蔵、五輪塔などが祀られている。現在は地元の心ある人により墓碑は移転され手厚くお祀りされている。 又、清道内を通る旧道を森方面より年貢米を積んだ大八車が通って行ったと先代より聞いた」 ことなど話して下さった。 文政年間(一八二○)この街道を通った順礼者は次の様に記している。 「この間(二ッ橋より清道の間)道長し平地でよし」 又、地元の伝承によると、この街道の補修には、村々の戸数に応じ間数を定め改修普請をせしという。 ![]() 《本節子の舞鶴・文化財めぐり〈436〉*天台・上安の文化財*「天台・上安について」その1》(『舞鶴市民新聞』) 〈 ![]() この枝村清道の場所には、かつては住居がなかったもので、田辺城の建設に伴い、天正年間(十六世紀末)に、現在の紺屋町付近に住んでいた田辺郷笶原(やはら)の農民が移り住み、「清谷」の旧地名を「清道」と改称したと伝えています。 この伝承はひろく信じられていて、この地に多い「矢原」姓は、出身の旧地を忘れないためにつけられたものともいい伝えています。 ![]() 清道の小字清道 堤端 拾六町 鳥ケ谷 家前 小屋ケ迫 向堂 干田 大田 真谷 中ケ谷 北谷 塚穴 大畑 村中 家下 由里ケ下 峠 尾長谷 瀬谷 柿迫 榎垣 井祢口 保ノ迫 石橋 向山 家ノ上 峠口 関連項目![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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