不断(ふだん)
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京都府京丹後市峰山町不断 京都府中郡峰山町不断 |
不断の概要《不断の概要》 府道17号線沿いの峰山小学校がある住宅街の一帯。 不断町は、江戸期~明治22年の町名。江戸期は城下町峰山町の1町で、札(ふだ)町ともいう。それが転訛したものか。 当町の辻に峰山藩の高札場があり、札町はそこに由来すると思われるもっと古く(一色氏の時代から高札場があったかも)。 網野街道(現府道17号線)は、本町をずっときて、桜尾山につきあたっていた。当町の高札場から東へ折れて四軒町から赤坂村へ抜けていた。高札場の西側には家中町と町人町を画する郭門があり、高札場の北には佐々木神社があったという。また領内各村をはじめ各地への距離・方角は、高札場を規準に測定されていた。 明治17年からは峰山15か町の1町となり、峰山を冠称。同22年峰山町の大字となる。 不断は、明治22年~現在の峰山町の大字名。平成16年から京丹後市の大字。 峰山小学校↑。震災記念館と同じようなポーチがある。同じ人の設計という、どちらがお兄ちゃん。 《不断の人口・世帯数》 360・136 《主な社寺など》 《小字》 不断 アワサ山 中墓 向山 《交通》 《産業》 不断の主な歴史記録『中郡誌稿』 〈 (峯山町誌稿)丹後国中郡峰山町 本市街古時何郷に属するや分明ならず往古吉原と称す峰山と改称するは何れの年間か又詳ならず(慶長七年検地以前には峯山の称見当らず其後称するならんといふ)中古町名北町表町四軒町不断町上町中町下町古殿町(丸山町又茶園場と云)田町出町等の称あり文化四丁卯年更に一ケ町を増置白銀町と唱ふ明治二己巳年町数を分合改称し吉原町(北町表町を合)織元町(中町を分つ)室町(同上)呉服町(下町を分つ)浪花町(同上)富貴屋町(田町を分つ)境町(同上)御旅町(出町を改む)泉町(白銀町の内を分つ)光明寺町(菅村地内菅峠に在る民家を峯山町に属す)四軒町不断町上町古殿町白銀町と共に十五ケ町となる(付云吉原町の内字桝形以北元北町と称する辺元和八年以前は赤坂村の農家あり今桝形と唱ふる所小峠にて赤坂村と峯山との境界のよし京極氏陣屋を建築するに際し民家を今の赤坂村へ移すと云又元田町は延宝年中組屋敷を町家とし元出町は其後に置るならんと孰れも古老の伝記にあれども詳ならず 〉 峰山町図(『中郡誌槁』『峰山郷土志』より。明治6年頃という。) 不断の小字一覧関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹後資料叢書』各巻 『峰山郷土志』 その他たくさん |
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