丹後の地名

井谷(いたに)
京丹後市丹後町井谷


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京都府京丹後市丹後町井谷

京都府竹野郡丹後町井谷

京都府竹野郡
上宇川村井谷

井谷の概要




《井谷の概要》
井谷(京丹後市丹後町)

宇川下流右岸、中野の向かいの緩やかな支丘陵の谷間に集落が立地。往古、地内田圃から湯が湧出したことがあったと伝え、明治初年まで俗に湯谷とも称したという。
井谷村は、江戸期~明治22年の村名。はじめ宮津藩領、享保2年より幕府領。当初は宇川村のうち、のち分村独立。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上宇川村の大字となる。
井谷は、明治22年~現在の大字名。はじめ上宇川村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。
人口は昭和30年12世帯・58人、同50年5世帯・24人。


《井谷の人口・世帯数》 11・4


《主な社寺など》


八幡神社

『丹後国竹野郡誌』
 〈 八幡神社 村社 字井谷小字家上鎮座
 (神社明細帳)  祭神 誉田別命
  創立不詳、天文五丙申年八月十五日再建
 社 殿 梁行  一間二尺五寸
     桁行  一間三尺
 寵 屋 仝   二間
     仝   四間
 財 産 田   四畝一歩
 境内坪数    三百六十四坪
 氏  子    十五戸  〉 


『丹後町史』
 〈 八幡神社 井谷小字家上
誉田別命を祭る旧村社である。天文五丙申年八月十五日再建を行った。  〉 

薬師堂
地内最高部に薬師堂があり、鎌倉末期の作と推定される宝篋印塔1基のほか、五輪塔・地蔵尊板碑などの残欠が現存する。縁城寺年代記や「丹後国寺社帳」に見える海運山長福寺の遺跡と考えられている。


《交通》



《産業》


井谷の主な歴史記録


『丹哥府志』
 〈 井上村。【開雲庵】(曹洞宗、井の谷)  〉 


井谷の小字一覧


井谷(いだに)
水上(みずかみ) 上地(かみぢ) 下地(しもぢ) イリ タナタ 大平(おおひら) ナカヲサ 五領(ごりょう) 井ノ内(いのうち) 中坪(なかつぼ) 松葉沖(まつばおき) 和田(わだ) 野中(のなか) 田内(たうち) カナクソ 長楽(ちょうらく) 上坪(かみつぼ) 小溝谷(こみぞたに) 向和田(むかいわだ) 橋詰(はしずめ) 上段(かみだん) 地サヤ(ぢさや) 山辺(やまべ) イリガ下(いりがした) 牛谷(うしだに) 畑坂(はたざか) ヒジリ 蛇黒柿(へびぐろかき) 大カド(おおかど) 畑ノ奥(はたのおく) 向山下(むかいやました) 清水ケ谷(しみずがたに) ヲトシ 大イ子(おおいね) 向山上(むかいやまうえ) イモガクボ 有坂(アリサカ) カイジリ ヘキ 湯船口(ゆぶねぐち) 鞍内東宮ノ上(くらうちひがしみやのうえ) 鞍内西宮ノ下(くらうちにしみやのした) 竹向(たけむかい) カトノコブ 城畑(しろはた) ヌクメ タカノス ヂゼン ハチコク トバナ サゝ山(ささやま) 丸山(まるやま) 畑口(はたぐち) 辻山(つじやま) モ谷(もだに) 湯船(ゆぶね) マキヲ


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹後資料叢書』各巻
『丹後町史』
その他たくさん



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