中野(なかの)
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京都府京丹後市丹後町中野 京都府竹野郡丹後町中野 京都府竹野郡 上宇川村中野 |
中野の概要《中野の概要》 宇川河口の西岸に位置する。平の一つ川上の集落。元は平の枝郷。 中世は宇川保の地とされる。近世初期も宇川村の内であったが、寛文9年(1669)分離・高付された。 中野村は、江戸期~明治22年の村。はじめ宮津藩領、享保2年より幕府領。当初宇川村のうち、のち分村独立する、「天保郷帳」には平村枝郷と見える。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上宇川村の大字となる。 中野は、明治22年~現在の大字名。はじめ上宇川村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。 平は、明治22年~現在の大字名。はじめ上宇川村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。 116歳54日の世界最長寿記録を打ち立てられた木村次郎右衛門氏の村である。ここへは聟に入られたそうで、実家は一つ川上の遠下だそう。 国会中継は欠かさずに見て、愛読紙は共産党の「あかはた」と朝日新聞らしい。からだだけでなく、頭も強かった人のように思われる。年取って急にそうしたことに目覚めたということでなく、たぶん戦前の若いころからだろうから、タダモンではないのでは… 「定年ですることがないしボケーとテレビはかり見っとたんやけど、つまらぬもの見てないで、新聞でも読めボケルとヨメに言われて、ワシは一番薄っぺらい産経を読むことにした、ほやけどそれも難してな、最近はスポニチや」と、彼は長寿はムリかも。 木村氏ばかりでなく京丹後市は百歳を越す長寿者が60名とか、全国平均の2・5倍と多く、長寿の町として知られる。秘訣は「腹六分目」の日本伝統的なというか人類古来の質素な生活、と毎日のこまめな勤労や運動、批判精神を失わずカラダもアタマも人のため社会のため、そこまでいかなくともわずかな社会貢献の現役で働く、己が欲得のためならええトシこいても働く人はあるようだがそれはダメで、働く先祖より受け継いだ長寿遺伝子の活動を下げず、楽させてボケさせないことだろうか。楽はあちらの国へ行ってからでもよい。 アッというまにおだぶつとなりたくなければ、氏によくよく学び生きる努力をしなければなるまい。 《中野の人口・世帯数》 101・29 《主な社寺など》 三柱神社。 『丹後国竹野郡誌』 〈 三柱神社 村社 字中野小字城下鎮座 (神社明細帳) 祭神 稚産霊神 稲倉魂神 保食神 創立不詳、弘化二乙己八月再建、村社にして明治四十三年五領神社、菅原神社を合併す、 社 殿 梁行 二尺一寸 桁行 三尺四寸 上 屋 仝 二間五尺三寸 仝 一間五尺七寸 財 産 田 一畝廿五歩 宅地 一畝廿九歩 境内坪数 四十坪 氏 子 三十一戸 〉 『丹後町史』 〈 三柱神社 中野小字城下 稚産炙神、倉稲魂神、保食神を祭る。 弘化二乙巳八月再建、旧村社で、明治四十三年五領神社、菅原神社を合祀した。 〉 中野城趾 後方の山上に三層からなる中野城跡。小倉備前守の居城跡と伝える。「上山寺記」に「天正丁丑五 宇川上山寺ハ中野城主小倉備前守繁弘公祈願所ト百廿石ヲ奉納アリ、此年此城落城…」とみえ、また上山寺には延徳4年(1492)に没した小倉備前守藤原芳近、大永2年(1522)に没した中野城主小倉備前守藤原定光の位牌があるという。平の八幡神社の神輿裏書にも「奉新造立御寄進之事 小倉備前守藤原誠藤三十六歳也(中略) 天文三年甲午八月十五日」の文言がみえる。小倉氏は細川氏の時代まで続いて細川氏のもとで代官をしていたと思われ、細川忠興定書を伝えている。井上石見守によって滅ぼされたと伝える。 《交通》 《産業》 中野の主な歴史記録『丹哥府志』 〈 ◎中野村(井上村の次) 〉 中野の小字一覧中野(なかの) 縄手(なわて) 屋奈瀬(やなせ) 蔵ノ谷(くらのたに) 西ケ谷(にしがたに) 上縄手(かみなわて) 五領(ごりょう) 家ノ前(いえのまえ) 中坪(なかつぼ) 和田(わだ) 奥ノ谷(おくのたに) トチウ 城下(しろした) ミヨカ谷(みよがだに) イシヲケ スカノ谷(すかのだに) 松葉沖(まつはおき) ナカヲサ 野中(のなか) 長楽(ちょうらく) 平村前(へいむらまえ) カン田(かんだ) カケモト 六社(ろくしゃ) 小田谷(こだだに) 桜尾(さくらお) 山崎(やまざき) 四ツ町(よつまち) 差尾(さしお) 野中(のなか) 下川原(しもかわら) トンサキ カナクソ 下坪(したつぼ) 薬師(やくし) 丸山(まるやま) 上坪(かみつぼ) 小溝谷(こみぞたに) カスガキ 切畑(きりはた) 竹ケ向(たけがむかイ) 三十八(みそはち) 畑向(はたむかい) ヘキ 鞍内(くらうち) 畑口(はたけぐち) カエタ 井ノ谷(いのたに) イリ 井ノ内(いのうち) 入地(いりぢ) □ンバ シヤヌケ 大曲(おおまがり) 船クゴ(ふなくご) 中畑(なかばたけ) 奥中畑(おくなかばたけ) シイノ木尾(しいのきお) 松ノ木(まつのき) タキカ谷(たきかたに) 上地前(かみぢまえ) 下地前(しもぢまえ) 上西ケ谷(かみにしがたに) 下西ケ谷(しもにしがたに) 家ノ上(いえのうえ) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹後資料叢書』各巻 『丹後町史』 その他たくさん |
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