丹後の地名

織元(おりもと)
京丹後市峰山町織元


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京都府京丹後市峰山町織元

京都府中郡峰山町織元

織元の概要


《織元の概要》



町の中央部で、町の中心街を南北に走る府道17号線(網野街道)の東西に並ぶ住宅街。丹後ちりめんの始祖、森田治郎兵衛(絹屋佐平次)の屋敷地があり、碑がある。
「丹後ちりめん始祖
森田治郎兵衛翁発祥地」の碑→
織元町は、明治2~22年の町名。江戸期の城下町峰山町のうち、そうしたためか上中町の一部が明治2年の町名改正で改称。明治17年からは峰山15か町の1町となり峰山を冠称。同22年峰山町の大字となる。
織元は、明治22年~現在の峰山町の大字名。平成16年から京丹後市の大字。

《織元の人口・世帯数》 267・108

《主な社寺など》


《小字》
織元 サエンバ 御堂上 向山

《交通》


《産業》


織元の主な歴史記録


『中郡誌稿』
 〈 (峯山町誌稿)丹後国中郡峰山町 本市街古時何郷に属するや分明ならず往古吉原と称す峰山と改称するは何れの年間か又詳ならず(慶長七年検地以前には峯山の称見当らず其後称するならんといふ)中古町名北町表町四軒町不断町上町中町下町古殿町(丸山町又茶園場と云)田町出町等の称あり文化四丁卯年更に一ケ町を増置白銀町と唱ふ明治二己巳年町数を分合改称し吉原町(北町表町を合)織元町(中町を分つ)室町(同上)呉服町(下町を分つ)浪花町(同上)富貴屋町(田町を分つ)境町(同上)御旅町(出町を改む)泉町(白銀町の内を分つ)光明寺町(菅村地内菅峠に在る民家を峯山町に属す)四軒町不断町上町古殿町白銀町と共に十五ケ町となる(付云吉原町の内字桝形以北元北町と称する辺元和八年以前は赤坂村の農家あり今桝形と唱ふる所小峠にて赤坂村と峯山との境界のよし京極氏陣屋を建築するに際し民家を今の赤坂村へ移すと云又元田町は延宝年中組屋敷を町家とし元出町は其後に置るならんと孰れも古老の伝記にあれども詳ならず  〉 

森田治郎兵衛のお墓(常立寺境内)
森田治郎兵衛の墓(常立寺境内)

略歴
略歴が書かれていた。↑

『峰山郷土志』
 〈 【ちりめんを織り出す】享保五年四月(一七二〇)峯山の絹屋佐平治が西陣から帰って、はじめて「ちりめん」を織り出している。また、その二年後には、加悦の手米屋小右衛門、三河内の山本屋佐兵衛、後野の六左衛門が、やはり京都から「ちりめん織り」を伝えている。この偶然の成功が、峯山、宮津二領の産業開発に大きな役割をもったばかりでなく、郷土、丹後の開眼は、実にこれによってなしとげられたというべきであろう。
 丹後は、古くから絹織物を産していたことは、すでに記したが、当時は、絹紬などの外に、精好織(せいごおり)という高級品を織っていた。宮津城主京極高広や、おなじく、永井信濃守が、これから多額の税金(運上)を取って、織物産業を衰徴させたことでもわかる。しかし、永井信濃守の政策として、精好織をやめて、一般の絹織物に切り替えさせたことが、かえって、ちりめんの創業を早めることになった。
 絹屋佐平治は、正徳年中に京都から精好織を習って来たともいわれているが、享保五年までにはわずか七、八年よりない。精好に見切りをつけて、「ちりめん」の織り出しに生命をかけるにしては、あまりに年月が浅い。丹後における精好織の歴史は、おそらく、もっと古いものと思われる。峯山藩が、絹織物産業に、どのような酷税を課していたかについては、適当な資料がないが、精好織は高級品で大衆向きではなく、したがって利益も少ないうえに、享保四年頃は年々不作つづきで、藩では新米一石の丸公(公定価額)を銀百四十二匁と定められたというから、多感な職人気質の佐平治が、手をこまねいて郷土の自滅をみているはずはない。一家を犠牲にしても、当時、流行でかつ、門外不出の西陣お召ちりめんの秘法を盗み出そうと決心し、神仏に祈願をこめるとともに、絞(しぼ)について研究をこらしたが、彼が希望をかけるようなちりめんはできなかった。
 そこで、享保四年の三月十七日、小西山禅定寺の聖観世音に、七日間の断食祈願をこめ、その霊示によって、西陣の織屋に奉公して、研究に没頭したうえ、自信を得て帰宅して織ってみたが、やはり絞を出すことはできなかった。家族はすでにその日の米や塩にも困るといった貧困のどん底にあえいでいた。しかし、佐平治は屈しなかった。
 九月十七日、佐平治は、再び七日間の断食祈願を行ない、命にかえてもと祈ったすえ、またまた観音の霊感を得て、勇躍、西陣に行き、糸椅屋(一説、糸崎屋)に住み込み、糸撚りの車の仕掛けを工夫しようとしたが、糸撚りは土蔵造りの密室で、主人と上番頭の外は一切立入り禁止であった。佐平治は、この上番頭に目をつけた。
 この時の苦心談について、後年、天保十年五月、佐平治の子孫である縮緬屋森田五兵衛が、病妻を失ない、自身もまた大病にかかり、難儀に難儀を重ねたうえ、親類の助けで、ようやく全快したので、再び父祖の遺業を起こそうとして、その資金を得るため「二百七十人講」を織屋仲間に申し出た文書の中から、その一部分を抜書きして参考にしよう。

 かの番頭が、心をすかし、或日酒興にことよせて車の様子を尋るに、答ていふやう「我此内に勤る事已に十年に満り、漸々去年より糸撚を許す。然ども、其仕法未だ伝へず。先中(蔵の中)に車有て、是を回す時は、白、赤と名付て左右に分ち、是をヌキといふ。」因茲少して其道を知難く、得と訳らず。夫より様々工夫をなし、昼は鬱々として食を忘れ、夜は思案にふして不眠、厳冬の寒にも炉に寄事なく、摧肝胆こと言んかたなし。
 已に年極月(十二月)に至れども其秘伝を考知事能ず、弥力を落し、無念骨髄に徹し、我斯く計に丹誠をこらす甲斐なきも止ぬる事の口惜さよ、今は是までと彼一間へ忍込、年来の念願を晴さん、若、見付けられなば一命を菩薩に捧るのみ(と)口に称名(観音の御名)心をしづめ、鍵を盗み音をさせじと気を付て、兼て覚へし戸まへのくぐり漸にして忍入たれば、暗がりに行当る。慥に是と撫まわし撫まわし漸々糸口の仕掛、絞のもよう、其術、そこそこに悟って、おもはず丁ちと手を打て悦ぶ音に、主人目を覚す。(『中郡誌槁』)

 佐平治は「しまった!」と思ったが、暗夜をさいわい、糸綺屋をぬけ出して峯山に走り帰った。
 時は、享保四年十二月もすでに大晦日に近い頃であったろう。明けて享保五年正月、いそいで車(糸綺りの車)を組み立てて糸を綺ってみると、闇の中で手さぐりで触れた撚糸の感じと少しも違わなかった。彼は、こおどりして喜び、早速その糸をもって上京し、実際に比較してみたうえ、確信を得て婦郷すると、直ちに織り出した。こうして、享保五年四月、ようやく「ちりめん」の製織に成功したのであった。そのかげには、もちろん家族の内助と、親友羽尻一九(田中重次郎の祖)たちの激励があったことはいうまでもないが、その反面、より多くの反感が彼の身辺をとりまいていたことも事実であったろう。
 彼がはじめて使用した手織機(あるいは糸綺車か)と、初めて織り出した布片は、祈願の地、小西村の禅定寺に納められたといい伝えられているが、今は、その布片だけが寺宝として保存されている。西陣のお召ちりめんを志して織り上げたものは、京お召しよりはもっと厚手で絞の高い重目な織物で、全く峯山独特の「丹後ちりめん」であった。
 佐平治は、また、貧しい者には、よろこんで織り方を教えたというから、不作につぐ不景気にあえぐ郷土の人たちが、どんなに喜び、どんなに彼を尊敬したことか。こうして丹後ちりめんの製織は一時にひろまっていった。
 また、佐平冶は、西陣にいた頃から親しくしていた、丹後屋源右衛門をたよって、丹後ちりめんの売りさばきを依頼した。これが「丹後ちりめん問屋」の起源となったのである。
 しかし、この「丹後ちりめん」が、藩主四代高之在世の享保八年までの四年間に、どのような発展ぶりをみせていたか、おそらく試織期にあって、原糸を買い入れる金にも困るといった小規模な、いわゆる三疋屋(織り上ったおずかな製品を金にかえて原糸を買う)程度の家内工業であったろう。
 ことに加悦方面では、織り出されて、わずか二年目である。が、しかし、この郷土産業に対する関心と、もり立てようとする意欲は峯山・宮津両藩はもちろん、領民の間にも沸き出ようとしていたであろうし、幕料地の中にも、おなじ空気がひろがりつつあったろう。ことに、京お召ちりめんの本場、西陣の資本家仲間にも、丹後ちりめんに対する関心は強まりつつあったにちがいない。 
 この絹屋佐平治の功績を賞して、藩主高之は自筆の「御召縮緬ちりめんや」、の九字を白く染め抜いた紺暖簾を与えたという。しかし、一説では、享保十五年であったともいうから、高之ではなく、五代高長の代ではなかうたろうか。  〉 


織元の小字一覧



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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹後資料叢書』各巻
『峰山郷土志』
その他たくさん



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