旧・弥栄村(やさかむら)
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京都府京丹後市弥栄町 京都府竹野郡弥栄町 京都府竹野郡 弥栄村・野間村 |
旧・弥栄村の概要丹後半島の真ん中あたりに位置し、竹野川が流れる。 弥栄村は、昭和8~30年の竹野郡の自治体名。 明治22年(1889)の町村制施行で溝谷・等楽寺が溝谷村、吉沢・芋野・堤の3ヶ村が吉野村、鳥取・木橋・和田野の3ヶ村が鳥取村、黒部・船木・小田・国久・井辺の5ヶ村が深田村となり、昭和8年(1933)その4ヶ村が合併して弥栄村となり、合併各村から継承した13大字を編成した。村名は「いやさか」を願う村民の要望に基づき、4ヶ村の廃止告示のあった昭和7年12月、京都府知事が命名したという。 合併時の戸数1、211・人口は6、782。 昭和30年弥栄町の一部となり、村制時の13大字は弥栄町の大字に継承された。 旧・弥栄町の概要弥栄町は、昭和30年~平成16年の竹野郡の自治体名。 昭和23年与謝郡より野間村が竹野郡に編入され、同30年同村を合併、町制を施行した。合併時の世帯数1、546・人口8、039。平成16年から京丹後市の一部となる。 隣の弥栄病院もこの役場も以前は木造の建物だった。前を流れる溝谷川の川辺の桜並木は昔のままのよう。 弥栄村・弥栄町の主な歴史記録関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹後資料叢書』各巻 『弥栄町誌』 その他たくさん |
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