桑飼上
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京都府舞鶴市桑飼上 京都府加佐郡加佐町桑飼上 |
桑飼上の地誌《桑飼上の概要》 桑飼上は舞鶴市の西南部。由良川右岸に位置し、南は綾部市、西は大江町。 宇谷川の谷あいと宇谷川が由良川に合流する一帯を占める。宇谷川上流に 川沿いに江戸期の巡見使道・参勤街道であった主要地方道舞鶴福知山線が走り、地内の宇谷で府道金河内地頭線を南へ分岐する。 古くから由良川対岸の地頭村との間に渡船があった。明治40年由良川の水害で、地内の宇谷の12戸が倒壊・流失した。 桑飼上村は江戸期〜明治22年の村名。桑飼上は同22年から岡田上村の大字名、昭和30年加佐町、同32年からは舞鶴市の大字。 《人口》269《世帯数》102。 《主な社寺など》 宇谷神社 曹洞宗恵覚山荘巌寺 上村神社 熊野神社(小原) 大呂神社 東部の館に中世一色氏の臣飯田河内守の拠った宇谷城址 中央の丘陵腹に桑飼1・2号墳 《交通》 《産業》 桑飼上の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》〈 上桑飼村 恵覚山荘厳寺桂林末寺知識なり、庭前の遣梅高さ四尺を過ずその枝十五間余り、近里稀なる名木なり、花盛の折柄来臨あって花の下に毛氈絵筵を敷なし、弁当、酒肴を披露し詠覧あらぱ適慰めたるべきなり、熊野権現は小原谷、二宮三宮明神は宇谷上村の氏神なり、飯田河内守城跡あり。 〉 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 桑飼上村 高三百弐拾三石弐斗八升 内弐拾四石八斗六升九合七勺 万定引 弐拾五石御用捨高 古城 飯田河内 荘厳寺 慧覚山 桂林寺末 桑飼上下 地頭ノ寺 和尚寺四ヶ寺之内 境内二十五間四方程 本尊阿弥陀 鐘楼 熊野権現 同村之内小原谷 氏神 二宮明神 同村之内宇谷 氏神 三宮明神 同村之内上村 氏神 〉 《丹哥府志》 〈 ◎桑飼上村 【熊野権現】 【恵覚山荘厳寺】(曹洞宗) 【一色兵部詮忠城墟】 【付録】(飯田河内城墟、二の宮、三の宮) 〉 《加佐郡誌》 〈 桑飼上、桑飼下の二ケ字はもと岡田下村字久田美共に、宇谷庄を成していたものである。 〉 =伝説など= 《郷土史・岡田上》 〈 桑飼の長池 今の農協岡田上支店の下に、最近まで泥沼があったが、大昔は由良川が、この沼あたりから桑飼下の上池、下池へとつづき、志高の長池に向って流れていたと思われる。これ等の池の内で、一番長いのは上池であって、昔から未だかって、この池水をかえ出したことがなく、村の古老達は「この池は底なし池だ。」といい、これについて不思議な伝説がある。 昔の昔、ある夏の午後、子供達が大勢由良川で水泳をやっているところへ、悪賢い地主の息子が、「上池へ魚つりに来い」とさそいに来た。そして意地悪くも自分の好きな子供五人だけを連れ出して上池へ来た。五人の子供達には鯉やぎぎがよくつれたが、地主の子には一向つれなかった。 そこで地主の子は、つり場所を無理にかわらせた。すると地主の子にも大きな鯉がつれて、釣竿をぐんぐん引いた。その時、足場がすべって池の中へザバンとはまってしまった。そこで村中大騒動となり、地主は村人達に指図してさがしたが見付からなかった。 地主は「倅には腰に万一を考えてひょうたんが附けてあった筈だ。それで沈む筈がない。」といい、次の日から毎日若者達が水中へもぐって死骸をさがしたが、池の底には大きな渦が巻いていて、どうしてもわからなかった。それから一カ月もたった頃、志高の長池にひょうたんが浮かんだ。これは間違もなくそのひょうたんであった。 上池で溺れた子供の腰につけたひょうたんが、志高の長池に浮き上がった不思議な話は村から村へと伝わった。それから誰いうとなく「桑飼の底なし池と、志高の長池とは底が連っている。」と伝えられて来た。(岡田上村誌) 太刀洗い 大江町と桑飼上境に狭迫という峠道があり、太刀洗いと云う池があった。径一米程の小さな池で、既に水は渇れて落葉に埋もれていたが、現在は用水管工事のためなくなっている。昔このあたりの山林に怪物が出て、人を襲い目を抜くと云う噂が高かった。 ある秋の夕暮、一人の若い武士が峠を登り池のあたりまで来た時、ガサッと音をたてて大きな片目の怪物が現れたが、目は爛々と輝き、口は耳まで裂けていた。矢庭に襲いかかる怪物を武士は一歩退き体をかわした瞬間、抜く手も見せず怪物の胴を払っていた。「ギャア」と鋭い悲鳴と共に二〜三間怪物は山際に飛んだが、あとはそれきりの静けさに返っていた。太刀をさげた武士はその侭暫く立っていたが、やがて其の池で刀洗い浄めてその場を立ち去ったと云う。翌朝此処を通った人が山際で大きな片目の狸が胴を切られて死んでいるのを見たが、この狸は昔猟師に片目を傷つけられ、人に復讐せんと現れたと伝えている。太刀洗いの名は今でも言い伝えられているが、この若い武士こそは天の橋立の仇討をした剣豪岩見重太郎とも伝えている。(愚山記抄録) 狸たいじ 由良川の水がとうとうとながれる、由良川橋を渡って三さろを左にいくと、小さな村があって、ちょっと山をこえていくところがありますが、そこにいつも大入道が出ますだってなあ、ある日、村人の一人が、そこを通りかかったら、大木のかげより、両手を開いて大入道が出たげな。大入道にしてはかわいい声で 「おい、こわくないのか」 「お前は人のうわさでは、いつも人が通ると大入道に化けて出るだが、そんな大きいもんばっかり化けて小せえもんにはよう化けのか」ちゅうと 「なんぼ小せえもんにだって化けるぞ」 「ほんならわしの手のひらにのるような小豆に化けて、わしのついとる杖をのぼって私の手にのって見い」と言ったげな。 大入道は少しあたまをなぜなぜしていたが「小豆に化けるぞ」ほんとに小さい小豆が地面にころころところがった。 「おお、お上手、お上手、生の小豆では食べられんな」 「お前はなかなか頭があるな、どうしたらよいのか言ってみい」 「ほんなら煎った小豆に化けい」 「煎った小豆に化けたらお前に食べられてしまうや」 「手に持つだけや」と男はおや指とひと指にはさんで口の中にいれ、カチンとかんで、パッとほかした。 小豆はコロコロと道ばたにころげていった。明けの日、その場所にいったら、大けな狸が死んどりましたげ な。(まいづるの民話より) 丹波峠の勝負相撲 大呂から丹波へ越える丹波、丹後の境の通称丹波峠は標高三〜四○○メートルもあろうか、丹後側からは比較的なだらかな径が続いていて、頂上には不思議な位の平地がある。 むかしこの場所は丹後の力自慢の由良ケ獄と、丹波の怪力夜嵐が角力勝負を争ったところと云う。 さて勝負の軍配は、丹後、丹波から集った見物人の前で、アッケなく丹波の夜嵐の方に揚がったのであった。負けた由良ケ獄にとっては勝敗の結果よりも、むしろ相手に致命傷を与えたと云う自負心をもって峠を下っていった。想えば三年前、彼を勝負相手とえらんだ時、この丹波峠を越えて彼の力量を探りに出かけていった。頂度そのとき夜嵐は八丁畷で牛耕の作業をしていたが、何くわぬ顔で道を訪ねた由良ケ獄にソラそつちだ! 鋤諸とも方角を示したその先には、牛がぶら下がる格好でいたと云う。肝を冷したは由良ケ獄は這うぼうの体でその場を立去ったが、道すがらこの男に勝つ為には最早や頭突きしか通用しないだろうと考えていた。以来彼は山中に入って恰好の松の木を相手として激しい頭突き修業に明け暮れたが、三年後、さしもの松の大木の枯れそめるを見て、頃よしと念願の夜嵐に力相撲を挑んでのであった。この対決で夜嵐は惜しみない賞讃と、この界隈での強さを不動のものにしたが、不覚にも由良ケ獄の頭突きによって肋骨三本を折っていた。それが致命傷となって二年後にははかなく世を去ったと言われている。 〉 桑飼上の小字桑飼上 赤尾 ワダミ 菖蒲迫 宮ノ下 原 中深田 赤田 エノクチ 四ツ町 ウナマヘ タイトダ 蓬来堂 麻町 村内 シルタレ 堀畑 古屋敷 竹ノ越 筥辻 池ノ端 池ノ尻 荒神前 柳田 魚老場 橋詰 長通 ササノイ ヒトクロヤブ 舟戸 中麻町 上麻町 桧前 石橋 大薮 エンド薮 狐薮 大城野 野中 フジノ畑 芝居 米積場 オツケバ アンノクボ 大畠 外島 江ノ口 狭迫 蓮町 ババノ上 岡崎 岡ノ下 ババノ下 和田前 小谷 小峠 井代 高ツバ 町田 フカヤガ谷 フカヤガ谷口 フカヤガ 長門 小山 溝越 矢田 角田 四十歩 小山ケ鼻 矢田口 矢田下ノ町 矢田大平 矢田奥 ツボ矢田 矢田尻ナシ 竹橋 池ノ谷 上村 狭迫矢田 水谷 弥右衛門屋敷 家ノ前 水谷前 井ノ尻 ナグサ 入町 池ノ畑 深田 地蔵ケ岡 宇谷深田 深田口 江袋 三十田 ト城 サンマイ谷 サンマイ田 立町 館 木屋口敷佐折 佐折中ノ切 古川 カニ屋敷 館ノ下 シマイ谷 中河原 堂ケ鼻 アン屋敷 才カセ 出合 秋森 秋森麻町 大城野麻町 中島 稗田 餅田 八ケ坪 右衛門田 衛門田 ヘラ町 岸ノ下 丸町 田中森 小口田 和田 岡 小原岡 中谷 ムクロジガ坪 ムクロジ 家ノ上 清水 友右衛門屋敷 寺倉 寺倉下 舟尾 舟尾谷口 池ノ奥 オバケ谷 四十町 四十町上 七町田 孫谷 持場 細迫 細畑 山ノ神 砂田 タノキヤ 大ナル 砂田大岩 グンダカタワ 福ケ迫 百新畑 杉ケ宇呂 桐木谷 源治郎畑 クド畑 千本ケ鼻 門ノ下 アン屋敷ノ下 重五郎屋敷 宮ノ奥 宮坂 天神ケ迫 滝谷 屋敷廻 矢田坂 トオノオ 荒堀 屋敷ノ上 稲詰口 稲詰 ビヤ谷 荘厳寺 室ガキ ヌタガ谷 ヌタガ谷口 オクゴ 矢ヅクシ 丸ボシ 宇谷矢ヅクシ 宇谷仏谷 宇谷オクゴ 山ノ口 仏谷 大畑 コフリ町 大滝 大滝口 唐人畑 芦谷 長畑 ホガ迫 大ダワ ドドカフチ 宇谷芦谷 栗ノ木町 小原 栗橋 木屋屋敷 屋敷口 原谷 フリヤガ 金ケ鼻 綿畑 芋畑 榎迫 原峠 前田 島ケ迫 堂ノ下 堂ケ上 河原田 大イ子 上ケ迫 小島 田ノ奥 平 砂廻り 栃迫 姥ケ懐 コウ田 滝ノ尻 才ノ神 イノ谷 古坊 滝ノ内 ケゾ 寺坂 ハリマ畑 滝ノ内虎杖迫 水ケ迫 大追 政森 滝ノ内カツラ 尻ナシ口 元杉山 虎杖迫 柿迫 柿木迫 弓立 駒ケ谷 大石迫 ユリノ下 ユノ下 舟ケ谷口 舟ケ谷 カリマタ 舟ケ迫 万助 万助畑 イモジ谷 カリガ谷 ミクゴ口 馬ケ谷 ソウケンジョ ミクゴ 地蔵 孫林 糸グレ 坂畑 大呂糸グレ 武右衛門畑 カジ畑 大呂 峠 タハノウラ 武右衛門田 武者ケ谷 カゴ迫 梅木谷 宮ノ谷 宮ノ前 寺屋敷 スゲ谷 ハカノ谷 アンバ アンノ谷 ササガ谷 アハ畑 柳谷 杉谷 松尾 榎谷 狭迫砂田 宇谷滝谷 宇谷境山 字谷稲詰 宇谷山ノ神 宇谷大畑 小原島ケ迫 字谷忠治ケ畑 小原栃迫 小原古坊 小原滝ノ内 小原ケゾ 小原駒ケ谷 小原谷 小原舟ケ谷 小原イモジ谷 小原馬ケ谷 大呂孫林 大呂アンノ谷 大呂ササガユリ 大呂杉谷 大呂スゲ谷 大呂本谷 大呂榎谷 大呂宮ケ谷 モヒリ畑 本谷 ササガユリ オツケバ 滝ノ内ササ 小原田ノ奥 小原原谷 宇谷宮奥 四十田ノ上 四十町田ノ上 砂田ワサ田 砂田道ノ上 大ナル田ノ上 大城野堀田 宇谷 重右衛門作 横竹 境山 百新畑小迫 ツカゲ迫 砂田口 舟尾迫筋 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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