旧・山田村(やまだむら)
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京都府与謝郡与謝野町上山田・下山田 京都府与謝郡野田川町上山田・下山田 京都府与謝郡山田村 |
旧・山田村の概要《旧・山田村の概要》 現在の上山田・下山田の地で、加悦谷平地の北西部、野田川北岸に位置する。 古代の山田郷で、平安期の「和名抄」丹後国与謝郡七郷の1つ。「地名辞書」には「今、山田村及び三河内・市場等ならん、延喜式弥刀神社は山田の弥刀谷に在り。…」とある。 中世の山田郷で、室町期〜戦国期に見える郷名。「丹後国田数帳」には「一 山田郷 二十七町三十四歩内」とある。 郷域は未詳だが、江戸期には当郷名を継承して上山田・下山田両村が成立した。 近代の山田村は 明治22年〜昭和30年の与謝郡の自治体名。上山田・下山田の2か村が合併して成立した。旧村名を継承した2大字を編成。大正14年国鉄宮津線開通。同15年加悦鉄道敷設。 「山田断層」と呼ばれる、水戸谷あたりを中心に北側の山裾を東西約8キロの活断層が村内北部を通っていて、昭和2年(1927)3月7日(M7.3)の丹後大地震の震央の一つになり、全376戸のうち5戸を残して全戸焼失し、横ずれ80cm・段違い40cmの断層ができた。 同30年野田川町の一部となり、平成18年3月からは与謝野町の一部となり、村制時の2大字は大字に継承された。 旧山田村の主な歴史記録『丹後国田数帳』
『与謝郡誌』
関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『野田川町誌』 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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