養老村(ようろうむら)
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京都府宮津市里波見・中波見・奥波見・長江・岩ヶ鼻・外垣・大島・田原 京都府与謝郡養老村 |
養老村の概要《養老村の概要》 市の北部にあった村。明治22年〜昭和29年の旧村名。里波見・中波見・奥波見・長江・岩ヶ鼻・外垣・大島・田原の8か村が合併して成立、旧村名を継承した8大字を編成した。昭和29年宮津市の一部となり、村名は解消、村制時の8大字は宮津市の大字に継承された。中心は岩ヶ鼻で、養老中学校や養老小学校に遺称がある。 ↑宮津市立養老小学校。 舞鶴市立与保呂小学校と同じ意味であろうかと、私は推測してきたのだが、どうやら違うらしい。 こちらの方が文化的建築物の姿をしているような感じに見える、学校は学問はこうあるべきですよ、の哲学がありそうに見える。舞鶴はイカレ役人が寝ぼけて建てたような校舎しかない、哲学なし情けない、ロクな教育方針がないぞと自ら公言しているような校舎で、カメラを向けたいようなものではない。学問は何かと一度くらいはよ〜く考えてみろよ、自分の教育もロクにできないもんが子どもを教えることができるだろうか。学校の設計くらい簡単なものはないとか言われるが、それは基本設計、法令で決まっている、ちょっとした細部に思想は現われる。 《養老村の人口・世帯数》 1183・409 《交通》 《産業》 養老村の主な歴史記録『養老村誌』(昭3)
後世に生きる者としては、どうか先人たちよ、まぎらわしい地名だけはつけないくれ、と願う。 村の有力者や学者センセなどがいかに地名付けに不適任者かの見本のような話である。地名は一般大衆がつけてこそ意味のあるものとなる、の見本。 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『宮津市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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