旧・大野村(おおのむら)
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京都府南丹市美山町大野・萱野・三埜・音海・肱谷・小淵・樫原・向山 京都府北桑田郡美山町大野・萱野・三埜・音海・肱谷・小淵・樫原・向山 京都府北桑田郡大野村 |
旧・大野村の概要《旧・大野村の概要》 大野村は、明治22年~昭和30年の北桑田郡の自治体名。大野・萱野・三埜・音海・肱谷・小淵・樫原・向山の8か村が合併して成立した。旧村名を継承した8大字を編成した。昭和30年美山町の一部となり、村制時の8大字は美山町の大字に継承された、平成18年南丹市の一部となる。 遺称としては大野ダムや大野小学校がある。 大野小学校(跡) リッパなものでしかも美しい。一般に小学校を見れば、その村が何に希望を託し、努力してきたかがわかるような気になる、小学校は村の顔、文化財と思う。教育や文化にエエカゲンな事では将来世代に情けなく、この地に希望ナシと思われよう。 旧・大野村の主な歴史記録通りがかりのパっと見だけの感想である、詳しくは『北桑田郡誌』にある。 「大野村 一、概説 本村草創の事蹟につきては今何の徴證もなく遺物も存せざるを以て、殆ど尋究するに由なしといへども、こヽには上古の墳墓も土器も發見せられざるを以て見れば、有史以前の原住民族を有せざりしは勿論、奈良朝時代以前に既に人の棲息せしを斷言することさへ躊躇せざるを得ず。然れども本村に住民を見るに至りしは由良川中下流方面より漸次東進して、上由良川の渓谷に沿ひ、之を泝れる結果この地に入れるものなるべしと思惟す。而して中古野々村郷に屬せしことは別に證據を示すを得ずと雖も、かの野々村共通の傳説を存せることゝ、地勢の大體を觀ても直にしか斷盲するものなり。傳説によれば「醍醐天皇の延喜年中菅原道具讒によりて寃を獲、筑紫に左遷せられし当時、その弟慶能法師高野山に在りしが、衆徒の爲に斥逐せられ遁れて本村に匿れ。後還俗して野々村頼房といへり。道真の薨後罪を赦され全く前官に復せられ、頼房には桑田郡の地三十餘地を賜ひたれば、この時頼房の氏に取りて野々村と稱せり。後ち圓融天皇の天元三年九月頼房の歿せしのち、その遺言によりて野々村庄 頼房の私領となりしを以て荘園の一となり、随って野々村庄と改めしなり。 を六番に分ち、其の子孫に分ち領せしめたり。六番は高野、和泉、大野、樫原、丸岡、平屋の六にして、本村は其の大野番樫原番に屬したる地域なりしなり」といへど、確證なければ史實なりとは斷じ難し。但し野々村郷に屬する舊三十箇村にこの傳説を遍くいひ傳ふることは事實なり。其の後京都建仁寺の所領となりしが、戰國の頃より今宮在城の川勝光照に隷屬し、一時地方的豪傑に押頼せられしが、天正年間織田氏の將明智光秀に併合せられ、豊臣氏海内を一統するや石川伊賀守數正の領土となり、關原役後徳川氏の天下となりて後は篠山藩青山氏と園部藩小出氏とに分領せられて幕末に及べり。維新以後の沿革は他の諸村と同じく。久美濱縣に、京都府に屬し、明治二十二年町村制實施後は大野村として大変動なく、以て現今に及べり。 二、境域及び地勢 本村の東は宮島村に南は船井郡五箇庄村に、西は同郡上和知村に北は鶴岡村に接す。東は上由良川の渓谷に沿ひて發逹せる平坦なる道路によりて連絡せらるヽも、南西北の三面は何れも山嶽を以て相接するが故に、坂路を踰えざれば決して交通する能はず、隨つて域内の大部分は山地を以て占められ、西北隅には九百米突に近き秀峰峙立し、其の少しく南方なる長老嶽(九一六米)は巍々として雲際に聳え、山頂に登りて四望するに、東方遙に加賀の白山を望み、近く若州一帯の諸山を一眸の中に集む。西は丹後の沿海を眺むべく、北は若狭灣の風光を隔てゝ北海の水天渺茫たるを認むべし。その他小笹 字三埜 杓薙山 又は石樟山 樫原岳等は共に長老山脈の名山なり。 大野川は上由良川の本村附近に於ける別名なり。東方宮島村より流下し來り、峡谷の特色はますます加はり、両岸の絶壁數十仭に及び、樫原の井壷の如きは急流奔下巨巌に激して一飛瀑をなし、其の下碧潭そこひを知らず、實に模式的峡谷の一例といふべし。この川の支流なる川谷(かはだん)川音谷川大原谷川飛谷川の四は概ね南流して大野川に入り、燒尾谷川鏡坂川前野川宮谷川の四は北流して大野川に入る。いづれも山間の小渓流にして舟筏の便なし、されど中には灌漑の利を與ふるものあり。本村は今萱野・大野・三野・肱谷・音海・小淵・向山・樫原の八大字に區分せらる。 三 、舊幕時代の所屬 …」 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『北桑田郡誌』 『美山町誌』各巻 その他たくさん |
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