丹後の地名




             2023(令和5)8月24日

                     
浮島丸殉難78周年
               追悼集会


                                舞鶴市下佐波賀 
                                  殉難碑公園


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 2023年(令和5年)8月24日は、浮島丸事件から78年目。78年前(昭和20年)のこの日(終戦から9日目)の午後5時20分ごろに当地のすこし沖合を通りかかった「浮島丸」は、ナゾの爆発を起こして沈没し、多数(これまでの政府発表では549名)の乗客や乗務員が亡くなった。

佐波賀の追悼会場の沖。写真の真正面あたり、すぐ目の前、岸から300メートルばかりの所に浮島丸は沈んだ、という。
惨劇があったと信じられない穏やかな海だが、あの時は海面には宵闇が迫り(2時間後にはマックラ)、遭難者の体力にも限界がある、時間に猶予がないなかで数千名の命は佐波賀の漁民だけでは救えない(絵は余江美穂子さんの紙芝居)

2750名は救えたが、救えず力尽きた人達の遺骸が、この岸にもたくさんたくさん打ち寄せた。
今なら超重大事件だが、「軍機保護法」「要塞地帯法」などはまだ生きていて、仮に見たとしてもうっかりと口外はできなかった。報道されることもなく舞鶴市民は聾桟敷におかれていた。「大本営発表」情報しかなかった。その後もほぼそのままであり、どうやら、本当は大変な事件だったようだと知るようになるのは、かなり後になってからであったが、今もって事件の真相は国家機密のヤミの中にある。
多くの犠牲者を追悼し、事件を新たに心にきざみ、平和につなげようと、今年もこの地で追悼集会が開かれた。
簡単に78周年集会の様子を紹介をしてみようかと思う。

 当ページは今回の会の、式次第の流れに沿っての、様子一部の簡単な紹介です。
1 開会 11:00
2 黙とう
3 追悼の辞
浮島丸殉難者を追悼する会 品田茂会長の追悼の辞


在日本大韓民国民団京都府本部 金政弘団長の追悼の辞


在日本朝鮮人総連合会 京都府本部常任委員会 姜世哲委員長の追悼の辞


スピーチの内容は下にあります。
4 献花
京都府知事、舞鶴市長及び駐大阪大韓民国総領事金亨駿氏


5 来賓及びメッセージ紹介(下にあります)
6 追悼歌斉唱
追悼歌「はまなすの花咲きそめて」(京都朝鮮中高級学校生徒の皆様)


 


7 参加者全員による献花


8 閉会
追悼の舞や献茶がなかったためか、いつもよりは早く終わった。250名の参加、韓国からは30名、舞鶴外からも参加があったという。

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追悼の辞
メッセージなど紹介






「会」発行の案内冊子の通りです。

追悼の辞
 本日ここに「浮島丸殉難78周年追悼集会」を開催するにあたり、犠牲者の皆様に心より哀悼の意を表します。
 1945年8月24日、舞鶴湾に入ってきた浮島丸は、午後5時10分、突然に爆発し、船体は真っ二つに壊れました。乗っていた朝鮮の人たちや、浮島丸の乗組員は、舞鶴の海に投げ出され、多くの人たちが力尽きて沈んでいきました。
 この大爆発を浜辺で目撃した下佐波賀の人々は、すぐに船を出して救助に向かい、地域の人々と海軍による懸命の救助活動が続けられました。
 小舟で救助に駆けつけた女性は、あまりに酷い状況に、「どうして、こんなことになったの!」と泣きながら、次から次へと遭難者の救助をされていたそうです。
 この大惨事により、女性や乳幼児を含む乗客524名(政府発表)と乗組員25名の尊い命が失われました。
 この浮島丸の大惨事には、明治以降の歴史的な経緯がありました。
 日本は、1875年の江華島事件以降、朝鮮への侵略を重ね、1910年には韓国を併合し、過酷な植民地支配をおこなってきました。
 その結果、土地も仕事も失った朝鮮半島の人たちが激増し、日本への家族ぐるみの移住を余儀なくされました。また、アジア・太平洋戦争が長期化するにつれて、朝鮮の若者や一家の働き手である父親が、募集、官斡旋、徴用などの方法で日本に連れてこられ、過酷な労働と生活を強いられました。
 8月15日、日本の敗戦によって、アジア・太平洋戦争が終結しました。
 そして8月22日、海軍大湊警備府の強引な指示により、青森県内の朝鮮人労働者とその家族数千名は大湊港を出港し、朝鮮・釜山港をめざしました。
 朝鮮の人たちにとっては、ようやく故郷に帰り、なつかしい家族と再会できる航海のはずでした。浮島丸の船内は、故郷に帰れる喜びがあふれ、とてもにぎやかだったといいます。
 しかし、その途中で、なぜか舞鶴湾に入った直後に、この大惨事が起きたのです。亡くなられた人たち、そして故郷で帰りを待っていたご家族の、悲しさと無念さを思い、考えると、いまも胸が痛みます。
 1978年、舞鶴市民は犠牲者の死を悲しみ、この痛ましく悲しい歴史を後世に伝え、二度と再び大惨事を繰りかえさないために、地元下佐波賀の皆様のご協力と、多くの市民の皆様の募金、そして京都府ならびに舞鶴市のご支援により、この場所に追悼公園と追悼の碑をつくりました。それ以降毎年、この地で追悼集会を開催しています。
 浮島丸の爆沈から、78年が経ちました。しかし、未解決の問題は、現在も数多く残されています。
 東京の祐天寺には、故郷に帰れない遺骨が、安置されたままになっています。そのため、昨年12月には、人道的な観点から遺骨の早期返還を求める要請書を、東京、青森の追悼団体と共同して厚生労働大臣に提出しました。
 また、浮島丸爆沈に関する数多くの事実関係が解明されていません。乗船者の人数も、犠牲者の人数も、そして浮島丸が爆発した原因さえも、疑問点が残されたままになっています。
 日本および日本人の責任として、これらの事実を解明し、未解決の問題を解決していく責務が、私たちには課せられているはずです。

 さて、現在、世界のいたるところで戦争や紛争が起きています。
 多くの人々が犠牲になってしまう戦争は、起こすこと自体が誤りです。
 戦争が始まるまでは、穏やかで楽しい暮らしをしていた市民が、傷つき、尊い命を失っています。美しかった街や、豊かな実りにあふれていた農耕地は、爆弾や銃弾によって破壊されています。
 いま私たちは、戦争の悲惨さを、改めて強く実感しています。
 私たちが願うのは、平和な世界です。笑い声と笑顔にあふれた平和な社会です。
 歴史をふりかえってみますと、浮島丸の大惨事は、戦争さえ無ければ起こっていませんでした。二度と再び大惨事を起こさないために、愚かな戦争を、けっして繰り返してはなりません。軍拡競争など戦争につながるような危険な動きには、何よりも敏感でいたいと考えます。そして私たちは、戦争を起こさないために、どうしたらいいのかを、世界中の人々と考え、語り合い、手を取り合っていけることを願っています。

 結びにあたりまして、本日ここに改めて平和への決意を新たにし、犠牲者の皆様への追悼の辞とさせていただきます。

   2023年8月24日
      浮島丸殉難者を追悼する会
           会長 品田 茂


追悼辞
 本日ここに、78年前にウリナラヘ帰る事を夢見ながらも叶わなかった多くの御霊を今日まで長年にわたり慰霊際を執り行って下さった「浮島丸殉難者を追悼する会」品田会長をはじめとする会の皆様に心より敬意を表します。
 35年の植民地時代から解放され、祖国に帰り家族との再会を望んだが、無念にもここ舞鶴湾にて命のみならず希望まで奪われた同胞たちは524名と公表されていますが、実際には5,000名に至ると言われています。しかし、地元住民の救援のお陰で、助かった多くの命があります。この様な悲惨な歴史の中で、人間の尊厳を守るために国籍に関係なく助け、また慰霊して下さるこの舞鶴の皆様の人道的な姿こそ、真の平和社会への原点であると強く感じております。
 今年は韓日パートナーシップ25周年になります。その節目の年に新しく就任された尹錫悦大統領は歴代大統領として初めて広島の原爆慰霊碑を訪れました。同時に原爆投下から78年。歴史上初めてG7のリーダーが揃って慰霊碑を訪問し、資料館を視察しました。これは今日まで市民団体の方々が風化させることなく慰霊祭をやり続けた結果であります。
 戦争という悲惨な歴史を繰り返さないためには、しっかり事実を知り、正しく伝えていく事が何より大切であり、この様に追悼集会を続け改めて心に刻んでいく事が亡くなられた方々への一番の供養だと思います。

 最後に亡くなられた多くの魂の安寧をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様のご平安とご健勝を切に祈念いたしまして、追悼の言葉と致します。
   2023年8月24日
         在日本大韓民国民団京都府本部 団長 金政弘
(スピーチは韓国語ですが、会が翻訳したもの)

浮島丸殉難78周年追悼の辞
 私は「浮島丸爆沈事件」から78周年に際し、恋しい故郷の地を踏むことなく、見知らぬここ舞鶴の地で尊い命を失われた500名以上の犠牲者のみなさまに、朝鮮総聯京都府本部を代表し、心から哀悼の意を表します。
 日本による不当な朝鮮植民地支配の下、強制的に連れて来られ、異国の地で過酷な労働に従事させられた同胞たちは、祖国解放を迎え、新たな希望を抱いて故郷の地へ帰ることを望みました。望郷の思いを抱いた約3,700人の同胞たちを乗せた浮島丸が、ここ舞鶴の地でなぜ大爆発を起こしたのか、500名以上の同胞たちがなぜこの地で尊い命を失わなければならなかったのか、78年が経った今日も真実は明らかになっていません。
 日本政府には、植民地支配下、強制労働を強いられた朝鮮人が希望通りに故郷に帰れるようにする当然の責任がありました。にもかかわらず日本政府は、「浮島丸爆沈事件」に対する真相究明にも、被害者に対する公式謝罪や補償にも応じていません。
  「浮島丸爆沈事件」だけでなく、今年で100年を迎える関東大震災時の朝鮮人虐殺など、日本政府は過去も今日も、日本の植民地支配による被害者に対する謝罪と補償を行ってきませんでした。むしろ今日の日本では、過去の加害事実を否定したり、植民地支配を肯定する流れが強まっています。
 私たちは、日本政府が「浮島丸爆沈事件」被害者に公式に謝罪し補償するとともに、真相の究明を行うことを求めます。そして、植民地支配をはじめとした日本の加害の歴史を誠実に清算するよう求めます。
 朝鮮総聯はこれからも、朝日関係の改善のために、日本の市民のみなさまとの友好親善と連帯を深めるために、力強く活動してまいります。
 最後になりましたが、品田茂会長をはじめとする「浮島丸殉難者を追悼する会」のみなさまと地元住民のみなさまに心から謝意を表し、追悼の辞といたします。
 2023年8月24日
   在日本朝鮮人総聯合会 京都府本部常任委員会
                 委員長 姜世哲
(スピーチは朝鮮語ですが、会が翻訳したもの)


 本日、浮島丸殉難78周年追悼集会が挙行されるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 78年前のこの日、ここ舞鶴で海軍輸送船浮島丸が沈没し、多くの犠牲者を出す大惨事となりました。
 この惨事を知る方々も高齢化している今日にこそ、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に語り継いでいかなければなりません。
 ここに改めて平和への決意を新たにするとともに、お亡くなりになりました方々のご冥福を心からお祈りいたします。
 なお、厚生労働省でお預かりしているご遺骨は、東京都の祐天寺に丁重に安置しており、返還が実現するまで、外務省と連携して適切に対応したいと考えております。
 ご遺族の方々並びに関係各位のご健勝を心より祈念申し上げます。
      厚生労働大臣 加藤 勝信

浮島丸殉難78周年追悼集会へのメッセージ
 浮島丸殉難78周年追悼集会にあたり、犠牲になられた方々への心からの哀悼と平和への誓いをこめて、連帯のごあいさつを申し上げます。
 今政府は、5年間で43兆円の大軍拡をすすめる「防衛財源確保法」や防衛産業を国が支援する「防衛生産基盤強化法」を強行するなど、「日米同盟の抑止力強化」と「防衛力増強」を推し進めています。
 一方で、「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」という被爆者の声、核兵器廃絶を求める声は、国際政治を大きく動かして、核兵器を違法化する核兵器禁止条約が発効し、東南アジアやラテンアメリカでも、平和の地域協力の流れが発展しています。
 日本共産党は、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人々と連帯し、「戦争できる国づくり」を許さず、平和憲法を守り、アジアと世界での恒久平和実現のため全力でがんばる決意です。
 碑に刻まれているとおり、浮島丸事件を「風化」させることなく、この碑が平和と国際友好のかけ橋となるよう、また、いまだ帰れない遺骨が一日も早く返還できることを願ってやみません。
 ご遺族ならびにご参加の皆さまのご健勝とご多幸、浮島丸殉難者を追悼する会のご発展をご祈念申し上げます。
  2023年8月24日
     日本共産党 衆議院議員 こくた恵二
           参議院議員 井上さとし
           参議院議員 倉林 明子


「浮島丸殉難78周年追悼集会」追悼のメッセージ
     駐大阪大韓民國総領事 金 亨駿

 こんにちは。駐大阪大韓民國総領事の金亨駿と申します。
 78年前、舞鶴沖で発生した浮島丸爆発事故で犠牲になられた英霊に対し謹んで哀悼の言葉を捧げます。
 1978年、舞鶴市民が中心となってここ下佐波賀の公園に「浮島丸殉難者追悼の碑」が建てられて以来、例年8月には多くの韓日両国の市民が参加する追悼集会が途切れることなく行われ続けてきました。
 長期間にわたって追悼集会が開催され続けられるよう、ご尽力くださった「浮島丸殉難者を追悼する会」の品田茂会長をはじめご関係者の皆様、在日本大韓民国民団京都府地方本部及び舞鶴支部関係者の皆様にも深く感謝申し上げます。
 78年前、光復(解放)の喜びを胸に抱いて浮島丸に乗船し、祖国に向かっていた数百人の同胞が訳も分からないまま舞鶴沖で犠牲になりました。
 今日、私たちが彼らの無念な犠牲を哀悼し、過去の悲しい歴史を振り返る理由は、このような悲劇が二度と起こらないことを誓い、平和な世の中を創るためだと思います。
 韓日両国は、自由・人権・法治主義という普遍的な価値を共有し、共同の利益を追求するパートナーとして、世界平和と繁栄のため共に協力していく大切な隣人同士です。大切な隣人として、韓日両国民が悲しい過去を乗り越え、未来のために活発に通じ合い、協力し合う必要があるということは言うまでもありません。
 浮島丸事件で犠牲になられた方々を哀悼し、過去の歴史を忘れずに両国民の相互理解を深めてきたこの追悼集会は、このような活動の模範となる事例だと思います。
 本日追悼集会にご臨席くださった皆様にもう一度深く感謝申し上げながら、追悼の辞とさせていただきます。


「浮島丸]爆沈事件犠牲者追悼集会実行委員会へ
 解放の喜びを胸に故郷へと向かった数多くの朝鮮人の命を奪った「浮島丸」爆沈事件が起きてから、78年という月日が流れました。
 愛する家族が待つ故郷の地、新たな生活の希望が芽生えようとしていた祖国の地を再び踏むことができず、異国の空の下で尊い命を奪われた犠牲者のみなさまに、深い哀悼の心で追慕します。
 日本当局は、とうの昔に「浮島丸」爆沈事件が自身により意図的に計画された集団的な朝鮮人殺戮蛮行であったことを認め、誠実に謝罪し補償しなければなりませんでした。
 しかし日本当局は、今日に至ってもこの殺戮蛮行を「偶発的な事故」とみなし、賠償にも応じていないどころか、最近では朝鮮人強制連行という犯罪それ、自体を全面否定しています。
 国会の場で、どのような形態で日本に来たとしても強制動員ではなかったという言葉が何はばかることなく飛び出し、歴史問題で誤解を生む可能性があるという奇怪な主張を持ち出し、「従軍慰安婦」、「強制徴集」などの表現を使わないようにしています。
 それでも飽き足らず、過去の犯罪を白紙化し、逆転した歴史観を次世代に注入しています。
 敗戦の復讐を朝鮮人に向けようとした排他主義的性根を今日までもそのままむき出しにしながら、在日朝鮮人の生存権と発展権に多大な脅威を与えています。
 過去の犯罪的事実は、加害者が否定するからと言って絶対に無くなるわけではありません。
 日本は、自身が美化粉飾している過去の前轍を再び踏もうとするのではなく、前世紀の辛い経験から教訓を見つけ出すべきです。
 最後になりましたが、ご多忙の中今日の集会にご参加されたみなさま方の積極的な努力により、「浮島丸」爆沈事件の犠牲者たちの怨恨が晴らされる日が必ずや訪れることを信じ改めて心から犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
    朝鮮人強制連行被害者・遺族協会
      2023年8月24日

(朝鮮民主主義人民共和国内から発信されているという)


「浮島丸殉難78周年追悼集会」へのメッセージ
 舞鶴市「浮島丸殉難者を追悼する会」の皆さん、「集会」参加の皆さん、猛暑が続く中で「浮島丸殉難78周年追悼集会」を開催されますことに敬意を表します。本当にご苦労様です。
 78年前の今日、祖国への帰還を目前にしてこの地で犠牲になられた朝鮮人乗船者524人、乗組員25人、549人の方々に浮島丸出港地大湊より謹んで哀悼の意を表します。
 浮島丸事件から78年経た今も祐天寺(東京都目黒区)に残る犠牲者280体の遺骨の早期返還を求めるために、昨年秋に準備に取り組みました。そして、12月19日に厚生労働省に「要請書」を提出しました。この「返還への取り組み」の中で、政府の対応に対し
 ・戦争責任の希薄さ
 ・人種差別の様相を示す外交関係
 ・民主主義の根幹が揺らいでいるのではないか
を改めて強く感じました。
 現在、私たちの身近にある状況は
 ・核保有を正当化するような考え
 ・戦争のために増税をする
という声が高らかです。
 不幸な歴史が繰り返す事がないように、「浮島丸事件」の歴史的検証は極めて重要です。そして、未来を担う子どもたちに伝えて行かなければと痛切に感じます。
 日韓友好、東アジアの平和への充実した取り組みの継続と発展、そして「浮島丸殉難78周年追悼集会」のご盛会を心からお祈りし、連帯のメッセージを送ります。
 2023年8月24日
     浮島丸下北の会
        会長 村上 準一


メッセージ
 浮島丸事件78周年にあたり、浮島丸事件で亡くなられた方々に、こころから哀悼の意を表明したします。また、台風7号の被害に遭われた方々に、お見舞いを申し上げます。
 東京都目黒区にある祐天寺には、アジア太平洋戦争で亡くなられた朝鮮人戦争犠牲者のご遺骨が、旧日本軍軍人・軍属として、1971年から祀られています。 日本の戦争犯罪の肩代わりをさせられた、韓国・朝鮮BC級戦犯として処刑された方や特攻隊員として亡くなられた方など、今なお700体のご遺骨が仮安置されています。そのうち、275体は78年前の今日、舞鶴湾佐波賀沖で爆沈した浮島丸の犠牲者のご遺骨です。
 本籍地が現在の朝鮮民主主義人民共和国の方々の425体のご遺骨の中には、5人の浮島丸事件の犠牲者や4人の元BC級戦犯のご遺骨も含まれています。
 私たちは、祐天寺に預けられている、これらの遺骨が1日も早く遺族の許へ、故国ヘお返しできることを願って追悼会を続けてきました。日韓併合条約から113年目の8月22日には、35回目の追悼会を4年ぶりに執り行いました。
 昨年12月19日には、青森県むつ市で追悼会を行われている「浮島丸下北の会」、舞鶴の「浮島丸殉難者を追悼する会」、目黒の「朝鮮人戦争犠牲者追悼会」の3者で、加藤勝信厚生労働大臣に対しての遺骨の早期返還を求める要請を行いました。
要請後の記者会見では、韓国の遺族の声も届けることができました。
 6月10日には、韓国行政安全部遺骸奉還課長が祐天寺の納骨堂へ、初めて参拝されたこともわかりました。私たちの要請と韓国の遺族の想いが届きつつあることを実感した出来事でした。
 人道上からも遺骨は、1日でも早く遺族の許にお返ししなければなりません。日韓、日朝の政府間で直ちに返還に向けた交渉を行わなければなりません。ご遺骨返還に向けた政府の一層の努力を求めます。
 ロシアによるウクライナ侵略開始から、今日8月24日はちょうど1年と半年にあたります。ロシア軍の占領地からは、故郷を追われる住民の強制移住も行われています。
 下北、目黒、舞鶴で行われている追悼集会は、不幸な事件の歴史を心に刻み、再び戦争の惨禍で、故郷を追われ、命が失われることがないように誓う場として続けられています。
 浮島丸殉難78周年追悼集会に集まりのみなさま、自宅や職場で哀悼の黙祷を捧げられたみなさまに、改めて心からの敬意と連帯の意思を表明いたします。
  2023年8月24日
      朝鮮人戦争犠牲者追悼会(於・祐天寺) 世話人一同


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会場
 わかりにくくて不便な場所↓ですが、会場はここです。車も駐められます。追悼の意あれば、どなたでもご参加できます。11時からです。




  浮島丸殉難追悼集会の記録

2023追悼集会
2022追悼集会
2021年

8/16に訪れたが、集会看板がない、広場一帯はムクゲの花が美しい、綺麗に清掃されて、花が手向けてあった。公式発表かわからないが、「本年の浮島丸殉難76周年追悼集会については、コロナ禍のため、昨年同様人数を大幅に制限して開催し、一般の方のご参加はお断りすることとしました」の文を「戦争展実行委」が載せている(新聞の折り込みチラシ)

2020は、こんな看板が現地に立ててあった

事務局様へ。一般市民は現地まで赴かないとナニもわからない。SNSかナニかで情報発信を願えないだろうか。

2019追悼集会
2018追悼集会
2017追悼集会
2016追悼集会
2015追悼集会
2014追悼集会
2013追悼集会
2012追悼集会
2011追悼集会
2010追悼集会
2009追悼集会









関連情報
 78年前の浮島丸事件とその後のおおよその経過は、すでに何度も書いていますのでそちらを参照して下さい。

以前の追悼集会については「浮島丸追悼集会:丹後の伝説17
事件そのものについては「浮島丸事件
など参照して下さい。


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