大門(だいもん)
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京都府福知山市大門 京都府天田郡福知山町大門 京都府天田郡下豊富村大門 |
大門の概要《大門の概要》 和久川左岸に注ぐ大門川の流域の村で姫髪山(406m)南麓に位置する。地名は当地が白鳳期の和久寺の大門があったかものとされる。山腹斜面の高い所に集落があり、標高80~100mの地を占める。 中世は大門村で、鎌倉期~室町期に見える村。嘉元4年(1306)付の永嘉門院御使家知申状并昭慶門院御領目録案によれば恩徳院領のうちとして「大門村 下司名〈房暁法印 御年貢千疋 両所各五百疋〉」とあるのが初見という。その後の経過は不明だが、ほかの昭慶門院領の例から推して、南北朝期には大覚寺統の荘園として推移したと考えられるという。 近世の大門村は、江戸期~明治22年の村。福知山藩領。明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年下豊富村の大字となる。 大門は、明治22年~現在の大字。はじめ下豊富村、昭和11年福知山町、同12年からは福知山市の大字。 《大門の人口・世帯数》 193・90 《主な社寺など》 妙見古墳群 大門古墳群、日頭古墳群など 『福知山市史』
山腹のヤブの中で、草が枯れた時期に行くのがよいと思われるが、妙見1号墳は古墳時代中期の方墳、一辺45m・高さ4m、二段造、周濠・埴輪・葺石を備えた福知山最大の古墳という(竪穴か?)。14号墳は全長35mの前方後円墳。1号墳に続いて築造された、市域で最も早く横穴式石室が採用された古墳の1つだそう。両古墳ともに、規模が大きく内容も特筆されるため、この頃に福知山盆地西半部を支配した首長の奥津城と見られているという。 八柱神社
天台宗凌雲山高正寺吉祥院 集落の一番奥の高い場所にある、寺院のようなカッコでないので、戸惑うが右手の軒下に「高正寺」と書かれていた。天台宗の寺院で朽木氏時代には領内最高の寺格が与えられていた、住持は独礼の待遇を受け、藩主は貢物として毎年正月・五月・九月にそれぞれ金二歩を供えるのが例であったという。 背後の姫髪山の南の岩場に行者の祠が祀られ当地方には珍しい磐座であろうというが、これから先は何か道路工事か堰堤工事かでダンプが行き交い、ガートーマンが立っていて行けそうにもなかった。
《交通》 大門街道(ヒラギ峠) 姫髪山と和久山との間にヒラゲ峠(約20メートル)があり、北裏の牧川流域から福知山城下へ向かう近道として、明治中期までは大門街道とよばれてよく利用されたといい、かつての山陰道丹後別路であるかも知れない。 《産業》 《姓氏》 大門の主な歴史記録伝説大門の小字一覧大門(ダイモン) 赤田 イモリ谷 イガ林 梅ケ坪 ウス谷 ウナギ原 大畑 大フヘ 尾角 をか 上所 カネイバ カゴ板 カツエ坂 黒福 桜 桜ケ谷 下村 下谷 シンジヤク シンサク 竹ノ上 谷畑 田中ケ尾 トネリ 堂ノ腰 中ノ井 ナガレタ 西柳本 西柳谷 西ケ坂 ハガヲ 馬場 バンズイ 東柳谷 日頭 百町 袋 袋口 袋谷 袋池尻 深田 堀ノ下 前田 松山 マスイ マサト 道辻 美ノ坂 明見 向山 森ノ下 柳谷 柳本 柳谷搦 薮ノ内 ヤスケ 由利川 六ノ谷 綿塚 池ノ尻 寺下 東柳谷搦 奥ノ山 堂本 中ノ山 東山 鎗ケ崎 上ヤスケ 東柳谷搦 薮谷 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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