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丹波の

台頭(だいと)
京都府福知山市三和町台頭


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京都府福知山市三和町台頭

京都府天田郡三和町台頭


台頭の概要




《台頭の概要》
綾部からなら国道173号線を南ヘ生きている行って、須知山トンネル(質山峠)を抜けた最初の集落。
土師川支流川合川の上流域山間に位置する。北西方向約2kmに質山(しちやま)峠があり何鹿郡綾部に、北東方向約1.5kmに桐差峠があり同郡和木に至る。
台頭村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。はじめ6か村からなる河合村のうち。
明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年川合村の大字となる。
台頭は、明治22年~現在の大字。はじめ川合村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年から福知山市の大字。


《台頭の人口・世帯数》 118・52


《主な社寺など》

鴈掛(がんかけ)神社
鴈掛神社(台頭)
自性院の隣に鎮座している。扁額には「鴈掛神社」とある。
山王権現  河合村ノ内台頭ニ建
祭神    祭礼九月九日
本社未向 篭家 華表
社地凡四十間四方
(『丹波志』)

村社 雁掛神社  同村字台頭小字寺ノ段鎮座
祭神 大山祇神(蛭子ノ神、的場ノ神)
社殿 流造覆屋付。境内及山林 三百十四歩
祭日 例祭 十月九日、祇年祭 三月十六日、新嘗祭 十二月十六日。
末社 若宮神社、祭神 大鷦鷯命
氏子 七十五戸。
(『天田郡志資料』)

雁掛神社
三和町字台頭小字寺の段に所在。祭神は大山祇神(蛭子ノ神・的場ノ神)とされる。『丹波志』には「山王権現」とされ、また「神社明細帳」には「鴈掛神社」と記され、祭神は「大山祇神(蛭子ノ神・的場ノ神)とある。『川合村史』も同様である。
昭和二十六年(一九五一)四月全焼し、昭和二十八年(一九五三)九月に再建された。規模・構造は、一間社洗造、銅板葺。身舎は門柱粽付で出組詰組。向拝は方柱粽付で組物三斗である。海老虹梁でつながれ、軒は正面二軒背面一軒で手挟を備えている。妻は一段持出、猪ノ子叉首で飾ってある。
(『三和町史』)


桐差峠へ抜ける道は右側であるが、通り抜けできないの表示がある。『丹波志』にも「是ハ何鹿郡境向ハ和木村牛馬トモ一切難通」とある。馬も行けない、野生の鹿もよう通らん、どんな「道」なのだろう。
「寺ノ段」と呼ばれる段の上に鎮座。その奥隣に自性院がある。


高野山真言宗大塔山蓮華寺自性院

台頭山蓮花寺自性院  河合村 台頭
真言宗綾部セウラク寺末寺観音堂三間四面座像三尺余 古ヘ塔有リシ古跡ト言伝シ共
(『丹波志』)

大塔山 蓮華寺 自性院 (真言宗) 同村字台頭
本尊 十一面観世音菩薩座像、丈七尺の大仏、行基の作といふ。
開基 法道仙人
創建 延喜年間 爾来変遷ありて元和年中再建現時の堂宇は安政年中建つる所と云
   檀家 六十戸
(『天田郡志資料』)

大塔山自性院
自性院は台頭小字寺の段に所在する、町内では唯一の真言宗の寺院である。『丹波志』では、「台頭山蓮花寺自性院、真言宗、綾部セウラク(正暦)寺末寺、観音堂三間四面座像三尺余、古塔有リシ跡ト言伝シ」とある。さらに『丹波誌』には、「大塔山蓮華寺自性院、真言宗、本尊十一面観世音菩薩座像七尺、行基ノ作ト云フ、開基法道仙人、延喜年間草創、元和年間再建シ、現今ノモノハ安政年間転地移住シタルナリ」と記され、その変遷がうかがわかる。なお「寺院明細帳」には「本寺宝城院末、真言宗高野派自牲院」とあり、「本尊不動明王」と記され、由緒には「法道仙人開基ノ由云伝フ、中興開山権大憎都正範、創立年号月日不詳」とある。また、境内の観音堂については、本尊は十一面観音で、文政十年(一八二七)の創立で、簗行三間桁行三間と記され、多少本尊の表記に差異がある。
 昭和二十六年(一九五一)四月類焼により、寺院全焼。翌二十七年庫裡、昭和三十七年本堂が再建された。現在の本尊は、十一面観世音菩薩であり、昭和二十八年の作である。
 自性院の変遷について『丹波志』では台頭高橋の霊山ヶ嶽に自性院の跡地があると記し、『丹波誌』の安政年間転地移住の事実を語るものと思われる。当寺の往時をしのぶことができるものは元禄十一年(一六九八)の手洗い、石仏などのみである。
(『三和町史』)



マブ子(まぶね)という小字がある。間歩は鉱口のことだから、鉱山がある尾根ということであろうか。何も記録は残されていない。



《交通》


《産業》


《姓氏》


台頭の主な歴史記録


『綾部市史・資料編』「巡察記」
台頭村 土性山附ハ赭壌谷地ハ赤埴ナリ 田方
十一町一段五畝十五歩畑方十四町七段五畝十二
歩 高三百八石四斗此ノ内六十一石無地高アリ
家数七十二軒人別三百一人牛一二十三疋
当村ハ田畑ニ冬夏諸作ヲ植ルコト他ノ諸村ニ異ナ
ルコト無シ 木綿モ作リ蚕モ飼テ年々此レヲ売リ
出ス 然レドモ繰綿及ヒ繭ヲ得ルコト各々六十貫
匁ニ過ルコト無シ 楮椶皮モ少シク出シ茅ヲ売ル
コト頗ル多シ 殊ニ薪木ヲ牛ニ駕テ此ヲ綾部ノ町
ニ売リ出スコト毎日二十駄ニ下ラズ何レノ国モ山
民ノ業ハ大抵斯ノ如キ者ナリ 然レドモ此ノ村
及ヒ大原上下ノ川合岼等ノ村々山広ク谷深ヲ以
テ大ニ此ヲ富マサンコトヲ欲スルトキハ種々ノ良法
アリ 第一ハ実漆ヲ値ベク第二ハ焼畑ノ法ヲ行
ヒテ大ニ麻ヲ作ルベシ 第三ハ麻ノ跡ニ莱服ヲ
夥シク作ルベシ 第四ニ楮ヲ夥シク作ルベシ
五百駄ヤ千駄ニテハ物産ニ成ラズシテ却テ手間
損トナル者ナリ 第五ニ黄連ヲ植フベク第六ニ
御種人蔘ヲ作ルベシ 其ノ他尚ホ多ケレドモ此
ノ土地ニハ不便利ナリ 凡ソ物産ヲ興スニハ広
大ニ生ズルニ非ザレバ信ニ無用ノ事ナリ 諺ニ
云長袖能ク舞ヒ多銭能ク商フト是レ盤固動カザ
ルノ至言ニテ物産ヲ興スモ此ニ間シ 是故ニ愚
老物産ヲ輿シテ其ノ国ヲ富盛セント欲スルトキハ
必ス先ッ泉原法ヲ行フ 所謂泉原法ハ国家ヲ隆
盛スルノ基礎ナルヲ以テナリ 若シ夫レ此法ヲ
敬ヒ奉ラザル国ハ澆季ノ世ハ窮乏ヲ免ルへカラ
ズ 可察哉可察哉

伝説






台頭の小字一覧


台頭(だいと)
桐サシ(きりさし) 中(なか) 高尾奥(たかおおく) 笹ケ谷(ささがたに) 嘉助ノ下(かすけのした) コウノ木下(こうのきした) 山ノ神家ノ下(やまのかみいえのした) 堂ケ市(どうがいち) 戸ガ尾(とがお) 崩ガ谷(くずれがたに) 一ツヤノ下(ひとつやのした) ヒエ谷(ひえだに) スバク田(すばくだ) マブ子(まぶね) 坊田(ぼうだ) 家廻り西岡(いえまわりにしおか) 木阪(きさか) ヲヒライ 家廻り上(いえまわりかみ) 大イ子(おおいね) マンドウ山(まんどうやま) ナギナタ迫(なぎなたざこ) 一ツヤ道ノ上(ひとつやみちのうえ) 岩角(いえかど) コモガ迫(こもがさこ) ダンノ木(だんのき) 上栗ノ口(うわくりのくち) 向川原(むかいがわら) 火打ケ谷(ひうちがたに) 宮ノ上(みやのうえ) 荒神(こうじん) 堂(どう) 鳥の芝(とりのしば) 焼尾(やきお) 中島(なかじま) 六路大サコ(ろくろおおさこ) 西田(にしだ) 庄治屋敷(しょうじやしき) イマド 堂ノ谷(どうのたに) 六ロ谷口(ろくろたにぐち) 家ノ中(いえのなか) 峠奥(とうげのおく) 峠向(とうげのむかい) グミノキ 山ノ神道ノ下(やまのかみみちした) コモガ迫(こもがさこ) 田中(たなか) 小峠(ことうげ) キリサシ 寺ノ段(てらのだん) 中ノ谷(なかのたに) キリハタ タカハシ峠(たかきしとうげ) 下地(しもじ) アケシダ 東谷(ひがしだに) カラホコ カンカケ ゲト谷(げとだに) シヨンバタ 小峠(ことうげ) 東谷(ひがしだに) 大将軍(たいしょうぐん)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『三和町史』各巻
その他たくさん



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