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丹波の

平野(ひらの)
京都府福知山市夜久野町平野


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京都府福知山市夜久野町平野

京都府天田郡夜久野町平野

京都府天田郡上夜久野村平野

平野の概要




《平野の概要》

夜久野町の一番西側でJR「上夜久野駅」や少し南に「道の駅・農匠の郷やくの」があり、やくの高原温泉 「ほっこり館(温泉)」、「やくの一道庵(茶室)」、「夜久野荘(宿泊)」、「やくの本陣(食事)」、「やくの花あずき館 (和菓子づくり体験)」、やくの高原市(農産物直売)、夜久野マルシェ(軽食・お土産)、やくの木と漆の館(漆塗り体験)、 やくのベゴニア園(ガラス温室)、「子ども等体験農園」、「化石・郷土資料館」など、観光施設などが盛りだくさんある。夜久野ヶ原の北部一帯を占め、東から平野・水上(みずかみ)・水坂(みざか)・奥水坂の集落がある。

平野村は、江戸期~明治22年の村。福知山藩領。万延元年8月21日当村の広瀬(大油子との境)河原で狼煙があげられたのを契機に万延一揆(市川騒動)が起こり、当村の庄屋宅も打毀されたという。万延元年は1860年だから、明治元年より8年前であるが、『大江町誌』に、
万延元庚申年(一八六○)八月二十一日早朝、夜久郷広瀬川原に集結した農民たちは、蓑笠に鎌、刀、竹槍の装束で一斉に行動を始めた。途中一六歳以上六○歳までの男子の参加を呼びかけながら、一隊は牧川沿いに金谷郷に入り、丹後口御門から城下へ、一隊は額田村から千原をへて豊富郷へ入り城下へ、時を同じうして南郷の農民も京口御門から城下へなだれこんだ。
 沿道で打ちこわしにあった庄屋などは、改革の手先とみられた人たちである。強訴参加者は領内六三か村の農民のほかに「他領の者も相交り」会計三万という。
『上夜久野村史』
万延強訴(万延元年〈一八六〇〉)(市川騒動)
△万延強訴は先の享保強訴にくらべては、福知山藩領内四郷全域に及ぶ規模の大きさと、百姓の要求が全面的に認められるという成功をおさめている点で、その例は全国的にも珍らしく、且又火の手は夜久郷直見村からあがっているので、特に夜久野住人の私達としては、この歴史的事件に注目したいところである。この一揆は前にも記したように、僅か百九年前の出来事のために、この地方ではいろ
いろの口伝があり、当時の様相を生々しく想籐出来る。資料「万延強訴実録日記」は副谷安達千尋氏家に保存されているものなので、この資料を中心としてのべる。

全体に夜久野ヶ原の溶岩や火山灰の台地で特には何もないような所だけれども意外や近代史を切り開いた所なのかも知れない。こんな所から歴史は前進する、独り善がりの政治屋や官僚などどもではない。
その少し前、文化12年(1815)3月29日、配札と修行の途次当地を通った野田泉光院は「日本九峰修行日記」に次のように記しているという。
クタヲ村立、辰の刻、道々托鉢、ヤクノ峠を越へ、平野と云村へ行き休息の所、祝ひ事ありたるとて餅等出し馳走あり、一人の男子あり、今夕は私方へ宿まいらすべしと云ふ、直ちに行き宿す、休六と云宅、真に躑躅の盛りなるなり、主人一句望に付書付ける、紅いに威のある庭のつゝじかな
明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上夜久野村の大字となる。
平野は、明治22年~現在の大字。はじめ上夜久野村、昭和34年からは夜久野町の大字。平成18年から福知山市の大字。明治44年国鉄山陰本線が開通。上夜久野駅が設置された。


《平野の人口・世帯数》 445・138


《主な社寺など》

流尾古墳・長尾古墳

宇徳神社(奥水坂)
村社 宇徳神社 同村平野小字奥水坂神社
祭神 進雄命 社殿 流造、柿葺 末社 稲荷神社
祭日 十月十五日 氏子 十一戸
(『天田郡志資料』)


《交通》


《産業》


平野の主な歴史記録


平野村 平野 水上 水坂 奥水坂 右同
高 六百五十四石
此村ヨリ但馬国栂谷ニ越ス水坂峠ト云 五六丁登嶺国堺也 谷川ヲ越ス 夜久野エ上ル凡竪二十間斗也 二本松ト云松有此所ヨリ東ヲ下レハ大油子村ニ行 二本松ヨリ西ヱ方三十丁斗行ニ但馬国堺三ツ石ト云石有 南北ニ三ツ並フ南ノ方ノ石凡三尺余 其次五尺余 其次四尺程 北ノ方平野山ノ水坂峠ノ南ノ山端タコ々山ト云 尾筋三石ヲ見渡ス 又三ツ石ヨリ東ノ方曲尺ノ午ヱ見渡野ノ内高キ所ニ立石壹ツ有リ 此石ヨリ南ノ方ヱ曲尺ノ午ニ二国明神ノ正面ヱ見渡国堺 茂正此土地ヲ見ルニ右三ヶ所見ノ所ハ野ノ中ニテ地高ナル所尤此見渡ヨリ水流分レリ
三ツ石ハ平野村分ニ在但馬国ハ野間村也 国堺ハ小倉村ノ所ニ出之
(『丹波志』)

枇杷塚古墳
所在地 平野(琵琶塚)
遺跡 夜久野ケ原台地東部の突端に位置する。天井石と思われる長さ三メートル、幅一・八メートル、厚さ四〇センチの石材が露出し、直経は一五メートル程の円墳と推定される。

莚谷(むしろたに)古墳群
所在地 平野(莚谷)
遺跡 平野から奥水坂への道路北東側の、丘陵中腹に位置する。四基の円墳からなり、三基は全壌しておりあとの一基も半壊して横穴式石室の石材が一部露出している。

塚脇古墳
所在地 平野(塚脇)
遺跡 古墳は全壌しているが、横穴式石室の直径八メートルの円墳であったと伝えられている。

坪尻古墳
所在地 平野(坪坂)
遺跡 平野集落北西部の丘陵端にあったが全壌。

城越(じょうのこし)古墳
所在地 地平野(水坂)
遺跡 平野集落北西部の丘陵端部に位置し、直径七メートル、高さ一・五メートルの円墳で、横穴式石室であったが全壊。

ゴリョウ古墳
所在地 平野(水坂)
遺跡 古墳は全壊しているが、横穴式石室であったと伝えられている。

長尾古墳
所在地 平野(長尾)
遺跡・遺物 平野集落北側の丘陵端部に位置する(現グリーンビラ夜久野)。昭和三十六年、夜久野中学校上校の建設に伴い発掘調査が行われた。直径一〇メートルの円墳で、無袖式の横穴式石室をもち、石室の現存長は七・二メートル、幅一~一・三メートル。石室内に玄武岩の割り石が敷かれている部分があつて、そこが玄室であろうと考えられている。石室の壁は、基底石に玄武岩を用いて地山を五○~七〇センチ掘って据え付けられている。遺物は石室内から、高抔・脚付予持壷・釘・刀子等が出土している。

流尾古墳
所在地 地平野(流尾)
遺跡・遺物 平野集落北側の丘陵端部に位置する(現ふれあいの里福祉センター)。昭和三十六年、長尾古墳と共に発掘調査が行われた。本墳は横穴式石室をもつ直径一五メートルの円墳である。石室構造は、由良川流域では類擁のない特殊な構造をもち、竪穴系横口式石室と呼ばれており、規模は長さ五・一三メートル、幅一・三八メートルである。石室の壁は玄武岩の小口積みで、天井石は六枚の玄武岩を用いている。石室内からハソウ、高抔、提瓶等の須恵器と釘、刀子等が出土している。

大年古墳
所在地 平野(奥の山)
遺跡 直径二五メートル、高さ五メートルの円墳であるが、その他は不明である。
(『夜久野町史』)
流尾古墳出土の須恵器(化石・郷土資料館)
流尾古墳出土の須恵器
横口式石室は、というのか一般に古墳時代は由良川系ではなく、氷上郡とか、あるいは但馬国とか、その方面との繋がりが強いのではなかろうか。


伝説







平野の小字一覧


平野(ひらの)
カセワ 上山(うえやま) 才ノ木(さいのき) 北山(きたやま) 宮ノ下(みやのした) 大ダラ(おおだら) 井ノ口(いのくち) 仲安(なかやす) シマ 向田(むかいだ) ミノ口(みのぐち) 大谷口(おおたにぐち) 大谷(おおたに) 古川(ふるかわ) クゴ田(くごだ) 石橋(いしばし) ヤシキ 前山田(まえやまだ) 六田(ろくでん) 老ノ奥(おいのおく) 西垣(にしかど) 岶(さこ) 西大町(にしおおまち) 下田(しもだ) 年森(としもり) 川向(かわむかい) 下島(しもじま) 中島(なかじま) 下河原(しもがわら) アセ田(あせだ) 他人田(たにんだ) 杉森(すぎもり) 流尾(ながれお) 奥ノ山(おくのやま) 出ハレ(ではれ) クズレ 鎌ヶ森(かねがもり) 八王寺(はちおおじ) マセガハナ 小坂(こさか) 横谷(よごたに) 長尾(ながお) 塚田(つかた) 瀬戸(せと) 竹ヶ下(たけがした) サト 屋敷(やしき)堂ノ奥(どうのおく) 延谷(のべだに) 麻畑(あさばたけ) 一本柿(いっぽんがき) 早田(はやた) 向ケ市(むかいがいち) 貝尻(かいじり) 道方(みちかた) 今川(いまがわ) 城ノ腰(しろのこし) 名光寺(めいこうじ) 不光田(ふこうだ) 六ツ町(むつまち) 池ケ谷(いけがたに) 四歩市(しぶいち) 中坪(なかつぼ) 細田(ほそだ) 五竜(ごりう) 和田垣(わだがき) イカ井(いかい) 岩岶(いわざこ) 稗田(ひえだ) 塚脇(つかわき) 坪尻(つぼじり)赤穂田(あかほだ) 柿木岶(かきのきざこ) 柏木岶(かしのきざこ) 石橋(いしばし) 藤頃(ふじごろ) 長畑(ながばた) 宮ケ谷(みやがたに) 土手ノ下(どてのした) ビシヤミ谷(びしやみだに) 宮ノソバ(みやのそば) 林ノ下(はやしのした) 大畑(おおはた) コ子リノ段 野ケ市(のがいち) 大リウズ(おおりうず) カジバタケ ハナシ柿(はなしがき) 長者谷(ちょおじやたに) 中野(なかの) イカイノ上(いかいのうえ) 休戸(やすんど) カタセ 琵琶塚(びわずか) カケアガリ マセガハナ 宝新田(たからしんでん) 中野新田(なかのしんでん) 菖蒲池新田(しようぶいけしんでん) カタセ新田(かたせしんでん) 平野新田(ひらのしんでん) 水上新田(みずかみしんでん) 向山(むかいやま) 上山(うえやま) 奥ノ山(おくのやま) 里(さと) 莚谷(のべだに) アカウタ 大谷(おおたに) 宝山(たからやま) 土手ノ上(どてのうえ)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『夜久野町史』各巻
その他たくさん



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