堀越(ほりこし)
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京都府福知山市堀越 京都府天田郡上六人部村堀越 |
堀越の概要《堀越の概要》 三俣の対岸、生野の高台へ登り口あたり。 堀越村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福知山藩領、寛永10年綾部藩領、寛政12年からは幕府領京都代官小堀氏支配、さらに明治維新期篠山藩領。 明治4年篠山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。。同22年上六人部村の大字となる。 堀越は、明治22年~現在の大字。はじめ上六人部村、昭和30年からは福知山市の大字。 《堀越の人口・世帯数》 46・25 《主な社寺など》 大蔵山高源寺古跡 裏山の小倉山(城山)の北麓に観音堂があり、大蔵山高源寺の古跡と伝える。「堀越の観音さん」とよばれる。参道の突当りに古い宝篋印塔や五輪塔の部石が数多く積み重ねられているが、宝篋印塔の墓石の形式から室町初期に比定されるものもある。境内に稲荷社があるという。
西観山大光寺跡 小倉山の東麓にあったという。大光寺はここに城を構えた小倉氏の氏寺ともされる。同寺が廃せられたとき、仏像は池田の来迎院に併祀されたと伝えられている。
小倉山城 小倉山は「六人部六大将」の小倉左京進の古城跡といい、山頂上の曲輪を取りまいて腰曲輪があり、東側の斜面に二段相当の広い曲輪があるという。 《交通》 《産業》 《姓氏》 堀越の主な歴史記録『丹波志』
伝説堀越の小字一覧堀越(ホリコシ) アサ アザ 家ノ上 家ノ下 家ノ裏 池ノ谷 イナバ 榎田 大町 鍛町 上八田 柿ノ木ノ下 柿畑 鍛冶田 吉右エ門畑 クゴ 小平田 光源寺 コイト 坂ノ下 ソリコ 田ノ淵 滝ノ下 大光寺 塚ノ内 寺ケ段 寺ケ畑 長畑 長塚 林ノ下 八右ヱ門畑 馬場 ヒヘ田 古屋敷 細町 ホウノ木 水取 道ノ下 道バタ 森ノ下 門田 柳田 安井 薮ノ下 ヤナノ上 与五郎田 来迎寺 ワサ田 城山 寺ケ段 林ノ下 薮ノ下 来迎寺 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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