一ノ宮(いちのみや)
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京都府福知山市一ノ宮 京都府天田郡三岳村一ノ宮 |
一ノ宮の概要《一ノ宮の概要》 国道426号線添いの三岳小学校(複式学級となり閉校、上川口校までバス通学)や「道の駅みたけ」があるあたり。 佐々木川の谷間(三岳地区)では最も広く、当地域の中心地で、当小学校は名著『鬼伝説の研究』にも取り上げられているが、そうした悲しいことであるという。 本気になって国を守ろうぜ、もう遅いかも。米帝と一緒になって地球の裏側でも攻めるのだって、何のために、国を守るためだそう。あーーーアホクサ! 国を守るというのはそうしたことではなかろう、こうした地域を本気に守ることだろう。 中世には佐々岐庄上山保、江戸時代は日ノ尾村の枝村。元禄・天保の郷帳などには記されないが、実際には一村として取り扱われた。『丹波志』に「一宮支戸倉九鬼十郎左衛門領 高四百六十六石壱斗 日ノ尾村ニ越高アリ」。越高は同書の日ノ尾村の項に「三十三石九斗 九鬼十郎左衛門領」とある。十郎左衛門は綾部藩主九鬼隆季の弟隆重で旗本。 一ノ宮村は、江戸期~明治22年の村。「丹波志」では当村は「日ノ尾」の支村で、村高466石余。綾部藩領の分知により寛文元年から旗本九鬼氏知行地。支村に戸倉がある。 当村草分けの大庄屋水嶋弥五右衛門家は、領主九鬼氏の地代官に任ぜられ、用人格・二人扶持で苗字帯刀が許された。同家は代々酒造業を営み、新酒醸造の際には江戸の領主へ酒初穂を納めた。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年三岳村の大字となる。 一ノ宮は、明治22年~現在の大字。はじめ三岳村、昭和30年からは福知山市の大字。 《一ノ宮の人口・世帯数》 218・92 《主な社寺など》 一宮神社(いっきゅうじんじゃ) 地名の由来の一宮だが、イッキュウ神社と呼ぶ。一宮神社の男神像(木像一木造、像高58センチ)は、松尾大社(京都市西京区)の男神像とよく似ているとされ、藤原時代の作と鑑定され市の指定文化財。 境内の案内板に↓ 一宮神社木造男神坐像 福知山市指定文化財 彫刻 この神像は、仁徳天皇の像と伝えられt、三岳一宮神社の主神としてまつられています。像高58.0㎝の一木造で、冠をかぶり袍をかけ、胸の前で笏を持って坐る姿の男神像です。 木芯を像のやや前側に避けた檜の一木材から、両手を含む頭、体のすべてを彫出し、内刳も施していません。現状では瞳を墨で描く以外に彩色はなく、白木で著しています。 頭、体ともに幅、奥行にどっしりとした量感があり、ことに会厚い両膝を張り、深く組んだ腕の表現など、作風や技法に平安時代前期の作風をよく伝えています。衣服の縁などは複雑な曲線で表され、また一部には深い彫り口も見せていますが、全体的には神像特有の簡素な表現で、両眼を大きく見開いた形相など全体に素朴な趣がみられます。制作年代は、9世紀ないし10世紀と考えられ、この種の神像としては大ぶりな像です。 このように男神像の多くは瞋目する神々しい形相に作られており、仏像が慈悲を旨とし、温顔をもって親しく人々に接するのとは、大きな違いです。平成22年3月 福知山市教育委員会
臨済宗妙心寺派天公山瑞応寺 瑞応寺に、近世当地に綾部藩九鬼家の分家の知行地があった関係から、旗本九鬼家(大隅家)の位牌が祀られているという。
日蓮宗法廷山妙福寺
《交通》 《産業》 一ノ宮の主な歴史記録『丹波志』
一ノ宮の小字一覧一ノ宮(イチノミヤ) 荒田 アガケ 家ノ上 家ノ下 家ノ前 家ノ後 家ノ廻リ 芋根岶 入道 猪ノ谷口 石原 石ノ口 上 上野 上野坂 上山 後開地 姥田 ウトノ口 エ垣 岡谷 岡谷口 岡谷口上ノ切 追川 追川道ノ下 御屋敷 小田 尾端 大田和 ヲロ田 川戸 川戸口 川原田 河原田 上力 上三反田 上山道ノ上 神楽田 神木谷口 柿ノ本 柿ケ原 垣ノ内 金屋敷 カジヤ垣 ガマガ谷 カエリ田 ガイ原 北谷 北谷口 北畑 北安 岸ノ上 岸ノ下 栗田 小峠 コノ枝 五束代 五郎兵衝屋敷 ゴンガ岶 坂本 坂杭 岶田 三角田 三角畑 笹浪 笹ケ端 桜ケ下 岶畑ケ 城山 城山ノ下 清水 嶋先 嶋尻 菖蒲が田 下三反田 瀬高 セバ谷 ソリ 田中 田尻 高瀬 高田 立石 立垣 立畑ケ 椰田 段 段ノ奥 大地 タイ田 チゴ坂 地主 寺田 寺入 寺ノ下 寺日後 戸尻 戸倉 峠 堂ノ前 堂ノ後 堂坂 土橋 ドエノ上 トエノ下 トヘ越 トウザクボ 中島 中ノ垣 中ノ段 長畑 ナゴサ 西谷 西谷奥 西屋敷 西又 西ノ辻 ヌタ田 野上 野上坂 野ノ向 野先 橋ノ本 八合田 蓮ケ寺 馬場 馬場小田 東東田 東畑 東前 東ノ奥 東前道ノ上 日ナタ ヒカタ 深田 藤谷 不門寺 細田 細岶 本岶 丸山 丸山道ノ上 丸山道ノ下 前田 松ノ段 宮本 宮ノ前 三ツ尾 道ノ下 向明大寺 森安 森ノ下 門田 山添 山端 山ノ口 山ケ原 山尾 天谷 柳ノ本 安開地 屋敷 屋敷廻 薮ノ下 ヤグサミ ユノタワ ユリノ下 四丁田 ルギヤ 六地蔵 ロウドウ 宮ノ上 戸倉口 宮後 寺谷 奥開地 京田 堂のオク 三反田 寺ノ前 弓矢田 川東 上ノ上コ 川東 北谷 西岶 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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