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旧・川合村(かわい)
京都府福知山市三和町
梅原・台頭・上川合・大原・岼・下川合・加用


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京都府福知山市三和町梅原・台頭・上川合・大原・岼・下川合・加用

京都府天田郡三和町梅原・台頭・上川合・大原・岼・下川合・加用

旧・川合村の概要




《旧・川合村の概要》

河合とも書く。土師川支流川合川の流域一帯。標高400~500mの山々に囲まれた長い谷間に集落が点在する。
河合村は、戦国期に見える、天田郡六人部荘のうち。文亀3年(1503)5月13日の大和守藤原朝臣・筑後守紀朝臣達署禁制木札に野々宮荘の境として「下限河合落合」と見えるという。
江戸期の河合村。綾部藩領。「丹波志」は、天正年間に川合谷の惣村は断絶寸前であったが、その後本村の岼村から漸次再興し追々戸数も増えて6か村からなる大村になった記す。当初は岼村に村長が置かれ、寺院も常楽寺のみであった。また天正年間以来、当村の惣高帳・古記録などは加用村尾四郎が所持していたという。
近代の川合村は、明治22年~昭和30年の自治体で、大原・台頭・上川合・下川合・岼・加用の6か村が合併して成立した。大字は旧村名を継承し、6大字を編成した。
昭和30年三和村の一部となり、6大字は同村の大字として存続。同31年町政施行。平成18年からり福知山市の一部となる。



旧・川合村の主な歴史記録


『丹波志』
河合村  岼 下河合 支梅ヶ原 台頭 大原 加用 上河合 支稲葉 六ツニ分ル 綾部領
高千五百三十四石四斗    民家四百五戸
岼高                民家四拾七戸
下河合高             同 八拾四戸
台頭高               同 六拾戸
大原高               同 九拾七戸
加用高百五十四石二斗七舛  同 三拾五戸
上河合高              同 八拾四戸
下河合ヨリ大原社迄五十二町在大原ノ内奥山ト云所迄凡五十町ノ谷也 ○合ノ百町余
河合谷ハ天正年中惣村断絶ノ後坪村 木村ナリ ヨリ始ル 寺モ同シ 領主帳面ニ河合一村ナリ 後岼村ヨリ出戸シ六箇ト成 岼村ニ村長アリ 樋口氏一人ナリ 寺モ当楽寺斗也 中古村別ニ其長アリ 寺モ建リ
天正年中ヨリ河合惣高帳并古跡ノ古事記録加用村亀四郎ニ在之
岼ト上河合ノ間ヨリ北エ永宮谷ノ嶺迄凡五拾五町 右ノ方エ 虎ヶ丸ト云高山有 又岼ヨリ道分入口ノ左岼ノ内後野ト云所?有 是ヨリ八町程行左向山裾ニ同六戸有之 又岼ヨリ出戸有鷺谷ト出 夫ヨリ道無シ 鷺谷ヨリ本道八町斗行ハ谷ニ小山有 是ヨリ右ハ稲葉谷ト云 嶺迄凡拾三町斗 此谷ニ上河合ノ出戸十三四軒 民家ノ中二谷有 右ノ谷ハ道無シ 左ノ谷奥永宮嶺有 右へ下ルハ何鹿郡田野村ナリ牛馬道 左ニ下ルモ同郡大嶋村ノ内安場ニ至ル 右ニ出小山ヨリ左本道ヲ行ハ民家六戸斗有 岼ノ出戸ナリ 永宮嶺迄ハ九町斗嶺のアナタハ何鹿郡ナリ牛馬道本道也
加用ヨリ北エ当リ上河合ニ凡三十町牛馬道又加用ヨリ貳町斗南エ出ル所山ノ尾端ニ踏行岩有 此所船井郡猪ノ鼻村境也 谷筋牛馬道 是ヨリ右エ行谷道又加用民家中ヨリ丑寅へ行ハホウカナル嶺 船井郡猪鼻村ノ内横谷エ行間道凡四町斗牛馬道不通 又加用薬師堂ヨリ南エ女鳥嶺ハ大身村エ行間牛馬不通 大身村ハ穴カ坂嶺ト云 大身村迄拾町斗
上河合ヨリ加用ニ越椿嶺ト云 凡三拾町 又上河合北側民家五戸出戸ナリ 同所ニ台頭ヨリ出戸八戸付合ノ所ナリ 又上河合ノ支稲葉ヨリ北エ越ス嶺有綾部道 何鹿郡ノ田野村迄凡二十町馬通 稲葉ノ東ノ谷ハ道無之 台頭ノ木村ハ本立谷ヲ行左ノ谷南向也入口町台頭平(ナル)ト云ヨリ北奥エ行質山嶺迄凡二十町谷ニ民家有 谷ノ中程右ニ中ノ谷ト云有 凡十町斗行ハ切サシ嶺 是ハ何鹿郡境向ハ和木村牛馬トモ一切難通 左奥エ質山嶺何鹿郡綾部ヘノ本道也 又台頭ヨリ五町斗南田中ト云所出戸八戸有 大原神社東川ヲ渡ル京橋ト云 是ヨリ左エ行小谷ト云 凡三十町行ハ三郡エ岳 船井郡境 同郡和知村エ牛馬道 北京橋ハ御帳付也ト云 又京橋ヨリ右ノ谷ヲ行ニ二谷有 右エ小谷ヲ日ノ谷ト云 四町斗行テハカラ嶺 船井郡ト境向ハ猪ノ鼻村迄壹里不通牛馬 日ノ谷口ヨリ二町斗左ニ向フハ二谷有 右ハナカツコ谷嶺迄凡十町戸津川嶺ト云 船井境戸津川村迄十八町斗馬道 又麓ヨリ左ノ谷ヲ奥山ト云 廿町斗谷ノ中ニ大原ノ内大簾嶺ハ船井境也 大簾村迄大原ヨリ一里牛馬不通 又サカツコ谷口ヲ蛇ヶ谷ト云 奥ノ嶺迄凡三十町嶺何鹿境也 向ハ同郡大ナル村ナリ 又蛇ヶ谷ニ民家少有 大原ノ地ナレトモ 何鹿郡大ナル村ヨリ出戸ス 見取場大ナル村ノ高入トナリ 下河合南奥ヲフク谷ト云 入口ヨリ左ヘ二町斗行所小倉谷ト云嶺有 越之テ加用ニ出ル凡三十五六町斗 馬ハ不通 又下河合西小川ヲ越シ左ニ川右ニ山ヲ見テ行 上芦淵迄十三町 是ハ千束ノ谷ナリ 字ユルタ原ト云 又下河合ヨリ西ノ方エ行ハ勝ノ尾谷ノ中ニ勝ノ尾嶺在 芦淵村ノ北裏ヘ出ル凡十八町牛馬不通 又下河合ノ梅ヶ原ヨリ南ハ菖蒲カ腰ト云所ノ兎原下村エ越凡拾八町牛馬不通


『天田郡志資料』郷土物語
  薬師堂    川合村
 丹波の京都といはれる福知山から京街道を行くと、大きな大きな峠があります。その峠を越えて村に出、又坂を上り坂を下ったりするうちに、田舎には珍しい程立派な橋があります。その橋を渡って行きますと、それはそれは静かで平和な村があります。その村のまん中にみすぼらしい薬師堂かあります。中をのぞいてごらんなさい。驚きますよ。目もまばゆい程ぴかつと
光った金の薬師如来が安置してあります。その薬師堂についてのお話を書きませう。
 この薬師堂の近所に源兵衛さんざいって、もう七十の坂を越しただらうと思はれるおぢい様が住んでゐましに。若い時に大変働いたのでせう。もう腰が曲ってゐますが、いたって気立のやさしい親切な方でしたので、困ってゐる人があると色々の物を与へなどして世話をし、その喜ぶ顔を見るのを楽しみにしてゐました。正直で一隼懸命に働いて来た源兵衛さんには、其の日のくらしに困らぬ程の貯へがありました。これといふ仕事も無いので毎日朝早く起きては薬師様へお詣りすらのが常でした、そして長い間一心に何かをお願ひしてゐました。それが終るとその辺い草をひいたり、お堂のお掃除をするのを仕事にしてゐました。この薬師如来は大変な御利益があるので方々からお詣りする人か絶えませんでした。源兵衛さんはそれ等の人を家へつれて帰つては、色々と世間のお話を聞くのを楽しみの一つとしてゐました。その爲に一人ぼっちの源兵衛さんのおうちはいつもにぎやかでした。
 源兵備さんはこんなにして、毎日何不自由なく暮してゐましたが、それでも唯一つ心にさびしい事がありました。それは源兵衛さんに乙吉といふ一人の子供かあったのです。處がもう今から二十年程も前に家を出たきり、今はどこに住んでゐるのやら便もせず、ゆくへも知れずなってゐることでした。しかし源兵衛さんは心のうちで、乙吉はきっと帰って来るだらうと信じてゐました。
 乙吉は源兵備に似ず大変ないたづら者で、朝寝坊でなまけものでした。もう尋常六年にも、なってゐるのに働くことを知りません。その爲学校の成績もよくありませんでした。家へ帰ると本包をえん先にぽいつとほったなり、魚つりに行くのを常としてゐました、宿題なんかてんでした事が無い。本を読んだ事もありませんでした。朝おとうさんが、
 父「乙吉乙吉、もう起きぬとおそくなるよ。」
 乙「ウンウンムニャムニャもう何時ですか。」
 父「もうつい六時だ。早く顔をあらってごはんにしなさい。」
 乙「六時ならよだ早いや。も少しグーグーグー。」
早といって、また寝てしまひます。お隣の二郎君が、
 二「乙吉君行こかあ。」
 父「乙吉、隣の二郎さんかさそひに来られたぞ、早く起きんか。」
 乙「ウンウンねむいな。おとうさん今日のおべんとうのおかず何?。」
 父「お前の好きな卵焼だ。早く起きぬとわしが食ふぞ。」
 乙「起きる起きる。」
こんなにしていつも一人で起きた事はありませんでした。
 二「乙吉君まだかあ、先へ行くぞ。」
 乙「待ってゝくれ給へ。今直ぐだ。おとうさん本包は?。」
 父「お前いつも何處に置くのだ。なぜ机の上に置いとかぬ。」
 二「乙吉君、此處に本包があるよ。」
 乙「あ、さうさうずぐ行けるやうに、そこへ出して置いたのだ。準備がいゝだらう。」
 父「馬鹿。また魚つりに行くのに、ほったらかして行ったのだらう。」
 乙「異ひますよ、おさうさん行ってきます。二郎君ありがたう。」
 二「早く行かないともうおそいよ。かけあしで行かう。おくれるよ。」
 乙「まあいゝよ、少し位おくれても。僕ね二郎詩、昨日大きな鯉をつったよ。」
 二「まただますのだらう。」
 乙「いやほんとだ。四五十糎位あったぞ。」
いろいろと話して行くうちに学校へ来ましたが、二郎君の言った様にもう始ってゐました。二人はおづおづしながら、らうか
を静かに通り、音のせぬやうにスーと戸を開けましたが、先生がこちらを見てゐられたので、二人は気まり悪く下を見たまゝ
後に立つてゐました。
 先「乙吉君はなぜ後れたのだね。」
 乙「はい、ねぼうをしました。」
皆の生徒はどつと笑ひました。
 先「君はよくねぼうをして後れるね。早く起してもらひなさい。」
 ヤツ「はい、気をつけます。」
 先「二郎若はどうしたのですか」
 二「はい、乙吉君を侍ってゐたのです。」
 先「よろしい、あまりおそい様だったら侍たづに先へお出なさい。それでは二人共席へつきなさい。 先のつゞきをやりませう。」
 乙吉君の寝坊は、組でも名高いものでした。一時間の授業を終って校庭へ出ますと、誰いふとなく「乙吉君か大きい鯉を取ったさうな。」
 友一「おい、乙吉君が、四五十糎の鯉を取ったそうな。」
 友二「おい、乙吉君が、五六十糧の鯉を取ったげな。」
 友三「おい、乙吉君が、七八十糧の鯉を取ったげな。」
 友四「乙吉右の事なら又うそだらう。聞いて見やう。」
たちまち皆で乙吉君を取まいた。
 友一「君昨日鯉を取ったか。」
 乙「うん取った。」
 友三「七八十糎もあったか。」
 乙「うん、大方その位あったやろ。つりざをが折れさうだったからな。」
 友二「そんな大きいのを見たいね。まだ君のうちに居るのか。」
 乙「いや、もうおらんよ。」
 友四「どうしたんだ。食ったのか。おいしかったらうね。」
 乙「いやそれがね、釣るのは釣ったが、今手を掛けてつかもうさする時、糸がきれてにがしてしまったのだよ、実に残念だった。」
 皆「やいうそつきうそつき、乙吉君のうそつき又だましたな、もうもうこんなうそつきとは遊ぶまい。」
 皆「うん、そうしやうそうしやう。」
 こんなにして、乙吉君はもう誰も遊んでくれるものがありません。二郎君も朝はさそってくれぬやうになり、一人ぼっちになりました。おさうさんは何とかして乙吉君を立派な人間にしてやらうと度々いけんをしられたが、常に「はいこれから気を付けます。」といってゐるだけでなかなかなほりません。
 或夏の晩でした。乙吉君はいつもの様に魚つりから帰ると、暗くなってゐました。おとうさんが、
 「乙吉や魚つりもよいが、もつと早く帰って学校の勉強もしなさいよ。」
と親切にさとされました。今まで一度も口答へした事の無い乙吉、今日は虫の居所か悪かったのか、
 「そんなに何辺も言はなくても、一度聞いたらわかってゐる。」
と非常なけんまくです。おとうさまも乙吉君の余りの言葉に、大変に腹を立てられ
 「おとうさんの言ふことをせぬ様な者は、この家に居なくてもよい。どこへなりと出て行け。」
 乙「出て行きます。もう帰りません。」
と暗い戸外へぷいと出て行きました。乙吉君は、どうするのでせう。おさうさまは、あんなに言ったものゝ可愛いゝ乙吉だどこへも行く所はない。すぐうちへ這入るだらうと思ってゐられました。しかし乙吉はどうしたのか十二時になっても、一時になっても、家へ入りません。おとうさんも心配になって家のまわりをさがされたが居ません。一日立っても二日過ぎても帰りません。隣近所、親類など尋ねても乙吉のゆくへはわかりません。今の様に警察の力が十分行き渡ってゐない時でしたのでどうしてもさがし出すことが出来ません。
 源兵衛さんが、家を閉めて、乙吉をさがしに出たのは、それから五日目の朝でした。夏のかんかんと照りつける暑い日も北風のびゆうびゆうと吹きわたる寒い冬の日も、一生懸命にさがしまわりました。
 「もしもし此の辺へ十四五才の子供は来なかったでせうか。」
 「知りませんね。」
 「さうですか。おじゃまをしました。」
一里歩いてはたづね、二里行っては聞き、人に出会ふたびにたづねて見ましたが皆目知れませんでした。力を落し一年ぶりに我か家へ帰つた源兵衛さんは、それから毎日あのみすぼらしい薬師堂へお詣りして、
 「どうぞ乙吉が丈夫で居りますやうに、どうぞ早く家へ帰りますやうに。」とお願ひするのでした。
月日の立つのは早いもので、いつしか二十年が過ぎ去りました。烏の泣かぬ日はあっても、源兵衛さんは薬師詣りを一日もかゝした事はありません。それでも乙吉はまだ帰って来ませんでした。
 もう木の葉も落ちてしまひ、木枯の吹く寒い寒い冬の初でした。早起の源兵衛さんは、常のやうに早く薬師堂へ詣りました、坂の中途まで出て来ますと、誰かが道の真中に倒れてゐるのに驚きました。親切な源兵衛さんは早速かけつけて起きうとして尚びっくりしました。といふのは自分が毎日お詣りしてゐる薬師様が彼のせなかにあるではありませんか。
 「あゝ、もったいない。」と、早速抱き起しました。するとどうでせう。今まで其處に倒れて、身動きすら出来なかったその人は、むくむくむくと起き上り源兵衛さんの顔をつくづくと見るではありまんか。
 「おゝ、お前は乙吉ではないか。」
 「あゝ、おとうさん、ゆるして下さい。」
と言ったきり、二人はもう言葉も出ませんでした。やゝあって、源兵衛さんは薬師如来をだき、乙吉の手を引いて、薬師堂へ行き、元の場所へ安置しました。
聞けば乙吉は、家を出てから方々を歩き廻つたが長続きせず、我が家へ帰って来ましたが、家へ入りかねて薬師堂へ泊りました。見れば立派な如来さまがあるので、これを持ち出さうと夜の明けぬ中に薬師様をせ負ひ、急いで坂まで来ると、急に足が動かなくなり、ばったり倒れたなり身動きも出来なくなったのださうです。これを聞いた源兵備さんは、「これはきつと薬師様の御利益にちがひない、とそれからは一層大切にしました。乙吉もそれからは心を入れかへて、よく働きよく孝養をつくしましたとさ。





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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『三和町史』各巻
その他たくさん



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