丹後の地名プラス

丹波の

草山(くさやま)
京都府福知山市三和町草山


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


京都府福知山市三和町草山

京都府天田郡三和町草山

草山の概要




《草山の概要》
三和荘の下から府道59号線(市島和知線)を南西へ入る。土師川の支流寺尾川(草山川)の谷間に民家が散在している。

草山村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。山裏郷14村の1つ。明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年細見村の大字となる。
草山は、明治22年~現在の大字名。はじめ細見村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年より福知山市の大字。


《草山の人口・世帯数》 97・49

《主な社寺など》

天神神社
六人部七天神の二ノ社という。何か忘れられた歴史がありそうである。
天神神社(草山)

天神 二ツ社ト云 古六部郷 草山村
祭神 国狭槌尊 祭礼九月廿五日
本社辰巳向 篭家 乗表
境内凡五十間ニ七十間 山林 内町四方程観音山也
中古此所ニ旅僧来大般若三百部書写之此所ニ納ム 同村久法寺ノ観音薬師同施主也 此僧何人成コトヲ不知 多保市天神ノ条下ニ委
(『丹波志』)

村社 天神々社 細見村字草山鎮座
祭神  国狭土尊
(『天田郡志資料』)

天神神社
三和町字草山小字深田に所在。祭神は、菅原神を祀る。「神社明細帳」には、「菅原神」とあり、境内に九社を祀る。老永社(宇賀魂神)・三柱神社・神明神社・八幡神社・愛宕神社・春日神社・水神神社・豊繁神社を祀る」とある。『丹波志』には、「天神二ツ社と云、祭神は国狭槌尊、祭礼九月廿五日」「中古此所ニ族僧来、大般若三百部書写之、此所ニ納ム、同村久法寺の観音薬師同施主也、此僧何人成ヲ不知」とあり、六人部七天神の第二社とされる。「中古此所ニ旅僧来」とあるが、現在本殿内には、永享八年(一四三六)の「大願主定仙」と署名された施入札があり、なんらかの関連があるのであろうか。創建は、『細見国史』によると、「六人部七天神の一つにして天文二十年(一五五一)の創建」と記されている。
規模・構造は、標準的規模の一間社流造で、板葺としている。身舎は円柱で、舟肘木で軒を支持する。向拝は面取方柱て、連三斗を組む。虹梁で身舎につながれ古風である。組勾欄付木口縁をまわし、正面には擬宝珠をたてる。妻飾は猪ノ子叉首を使っている。全体に中世の形式を保っており、十六世紀の建立の可能性もある。ただし、のちに修理の手がくわえられており、脇障子や向拝の柱や水引虹梁、木鼻、蟇股などは、おそらく享保年間ころ(一七一六~三六)に修理したものと思われる。いずれにしても、町内最古の木造建造物と考えうる。
(『三和町史』)


天台宗山門派長渓山久法寺
久法寺(草山)
当寺のムクゲが「福知山花の十景」に選ばれている。訪れた時はまだ少し早く咲きかけもしていなかった。
長渓山久法寺  草山村
天台宗神池寺末寺 岩見藤左エ門観音堂開基、三間四面 本尊千手観音立像五尺 座像薬師ト二躰 天田郡六番ノ札所
井サゝ原草山村ノ通分テ久シキ法ノミ寺尋子ン
観音堂ノ前経塚有
産神ノ社ニ大般若三百部書写シ納同施主ナリ何ノ僧ト云コト不知藤左エ門子孫無之
(『丹波志』)

長渓山 久法寺(天台宗山門派) 同村字草山小字段
本尊 阿彌陀如来・聖観世音菩薩。如意輪観世音菩薩。
創建 慶長二年 再建慶応元年
開山 福泉法印
檀家 草山、寺尾、千束(以上細見村)生野、福知山町に亘り百数十戸
六斎念仏 春秋の彼岸及盂蘭盆会に行ふ。
財産 田三反余 畑六反余 山林九反余
郡西国第六番  いざさらば草山村の道わけて久しき法のみ寺尋ねん。
(伝説) 九世泰隆阿闍梨持戒堅固にして顕密両教に通ず。一日草山川の下流なる京街道を過ぎる一族僧、草山川の水色を見て此川の上流に必ず高僧あらん、吾急ぐ旅路なれば親しく曾見し得ざるを憾むと。又阿閣梨臨終の際、道俗に謂つて曰く「吾死なば彼の境内なる老樹の多羅葉に燈明を認めん、これ吾が仏天に昇るなり」と果して其言の如し、今に至るまで賽者甚だ多しと。
又当寺管掌の観音堂あり、こゝに直径一尺許の鰐口あり、藤田藤左ヱ門の寄進せるものなり、此鰐口銑鉄なれば音を発せず彼の藤左ヱ門草山西の上に住し豪奢な生活をなす。毎夜風呂に行くとて家を出る。妻怪みて一夜尾行するに谷を深くわけて行く、そこに小屋あり貨幣を偽造す、妻愕然として実家に報ず。実家は福知山藩なり、藤左ヱ門遂に逃れて行方不明となりぬ。偽金藤左ヱ門といへり。鰐口は以前のを盗みて銑鉄のとかへたるなりと
(社会事業)日清戦役直後当部落に如蘭婦人会を創設す。明治廿九。三十年頃なり、時の細見村長荒木鉄右ヱ門氏、板倉海宥師(当山住職)井上駐在巡査、山口細見校長等常に指導せり、当寺かゝる団体は珍しく後追々盛大に赴き府知事より感状を賜はりしこと屡なりきと云。
大正十五年久法寺報徳会を設け毎月一回総会を開く、会員相互の修養機関たり。
(丹波志)寺尾に寺社あり、寺尾は古、草山村の内なり一と、又今の氏神の境内に温泉ありしと云。今も字湯の谷といふ所あり
其近辺の山をサイノ山といふ。菩提寺の址草山にあり、字ニシンジョウより酉戌の方なる小谷の所なり菩提樹など今もありと云。
(『天田郡志資料』)

長渓山久法寺
久法寺は、草山小学段に所在する天台宗の寺院である。『丹波志』に「長渓山久法寺、天台宗神池寺末寺、岩見藤左衛門、観音堂開基、本尊千手観音立像五尺、座像薬師ト二体天田郡六番ノ札所」とされ、観音堂には札所の「井ササ原、草山村、ノ通分ケテ、久シキ法ノ、ミ寺尋子ン」の詠歌があがっている。開山については、『丹波誌』に「福泉法印、慶長二年創建、再建慶応元年」とされ、本尊は「阿弥陀如来、聖観世音菩薩、如意輪観世音菩薩」(『天田郡誌』)とされる。境内仏堂には、護摩堂があり、本尊は不動明王で、弘化二年(一八四五)八月創立である。
(『三和町史』)


城跡
ニシンジョ城〔草山〕
草山の谷の中ほど、小路谷への分岐点の西北標高約一六〇メートル(比高約四〇メートル)の丘陵端にあり、西方からの尾根を鞍部で断ち切る形で構築されている。主部の長さは二〇メートル、幅一二メートルで、その背後の削平地は三〇センチばかり低く、長さ一二メートル・幅九メートルである。主部と堀切りの間の土塁は幅四メートル、堀切りの底部との差は二・二メートルあって、堅固なものである。土塁から主部の南側の斜面には帯郭をめぐらし、東北端まで半周する。東端の斜面にはいくつかの削平地があるが、地形が乱れわかりにくくなっている。なお、東南の斜面に竪堀が一本設けられている。堀切りから東端までの長さは約六〇メートルある。
『丹波志』「旧栖柄」として、「ニシニシヨウト云所ノ上ニ在、村俗城山ト云、堀跡有、屋敷場アリ、古城主不知、此所ノ南ニ坤ノ方へ谷有、小路ノ谷ト云、昔町屋有シト云」と記している。「ニシンショウ」とは「西上」をあてる。典型的な戦国時代の地侍の城である。
細見地域には、この他にも辻のシロカタマ・芦渕の琴ケ瀨などのように遺構が確認されている山城や館跡がいくつかある。田ノ谷の「高城」と呼ぶ山にも山頂から北の屋根に三カ所堀切りがあり、何らかの遺構があったと考えられ。また、芦渕城(『天田郡誌資料』)は慶安五年(一六五二)の検地帳にみられる小字「田中屋敷」をさすのかもしれない。『丹波志』の中出の古城(シロカアマ氏)はシロカタマをさすものと思われ、城(シロ)こと小字「ダマ」とが合成されたものと思われる。
(『三和町史』)


《交通》
府道59号線をさらに奥ヘ走って行くと、突然兵庫県に入る。↓
この先に丹波市市島町戸平(とべら)という村がある。戸平は古くは当地に含まれていたが、氷上郡からの出戸や山論などの結果、氷上郡に移ったという。
県堺

《産業》


《姓氏》


草山の主な歴史記録


『丹波志』
草山村 寺尾 尾篠 杭谷 綾部領
高四百八石四斗壹升 民家百九戸
草山高  民家四拾七戸
寺尾高  同 五拾二戸
古 草山ノ村落寺尾元禄ノ国絵図以後高分レリ同谷ノ内戸平村上古ヨリ天田郡中ナリ 氷上郡ヨリ地ヲ?出戸セシ所ナリ中古山公事アリテ氷上郡ニ付ト云リ 其地天田ニテ氷上郡加茂郷トハ山ヲ隔千束ヨリ戸平村マデ壹里余ノ谷ナリ 又多紀郡ニ草山村アリ依之 千草山ト云 又草山村天神前ヲ南エ行森ヶ谷ト云所ヲ越細見中手村迄凡二十五町牛馬道又草山天神ヨリ奥エ右側ヲ五町斗行右ニ地蔵有リ其右ニ三尺四方岩アリ 是ヨリ南エ横ニ細道有境也 氷上郡加茂ノ庄戸平村也 又草山ヨリ奥ニ行 右ニ小路ノ谷ト云凡十町斗行嶺アリ巡礼尾ト云 大内村ノ奥エ越エ牛馬不通 大内村エ一里余 又草山ノ奥尾篠ト云所ヨリ南エ越ス高尾嶺細見谷中手村迄凡廿町牛馬道 又草山尾篠ヨリ氷上郡戸平村迄凡十五町牛馬道 又寺尾ヨリ酉戌ノ方ノ谷ヲ寺尾山田ト云 凡十五町出戸十五戸 此奥ノ嶺ヲ越 大内村ノ山田の奥エ出牛馬不通 大内村迄壹里 又寺尾山田ヨリ北エ牛嶺上野村山田迄凡六町 又同所ヨリ同ク北エ越ス安尾嶺 大内村ノ山田迄凡三十町牛馬不通 又寺尾ニ古温泉アリシ谷ヲ今風呂ノ谷井ノ谷ト云所アリ温泉在シ時ノ薬師、産神荒神ノ境内ニ在 古ハ寺尾寺二ヶ寺ノ古跡アリ 古跡ノ部ニ出ス


『綾部市史資料編』「巡察記」
草山村 土性赤埴墳少シク腐墟ヲ混ズ 山ノ崩
クル岸下ハ墳土多シ 田方十六町一段八畝程畑
方十四町二段三畝余 高二百二十三石八斗六升
三合 家数六十二軒人別二百六十二人牛四十二
疋 年々売リ替ヘノ利分上ニ間シ
当村ハ山間ノ谷田ナルヲ以テ秋ノ彼岸ノ頃ヨリ
太陽ノ光暉ニ当ルコト少クシテ作物豊熟シ難キコト
多シ 殊ニ水田ニハ其ノ水ノ乾ズシテ両毛作リ
スルコト能ハザル処アリ 故ニ山林ノ深キヲ幸ニ
炭ヲ焼キ薪木ヲ伐テ売出スコト日々三十駄許リ一
月ニ八九百駄一年ニハ一万駄ニ及フベシ 繭ヲ
モ七八十貫匁ヲ売リ茶モ三十駄モ出シ椶ノ皮蒟蒻
玉等十余駄許リヲ売リ出スベシ 然レトモ尚
貧人ノ多キ様子ナリ 田畑ヲ他村ニ買ヒ取ラレ
タルモアルニヤ 愚老此ノ村ヲ富ス一策アリ即
チ北向ノ山谷ニ黄達人浸ヲ作ラシムベシ 此ノ
村ニ此レヲ作ラスルトキハ大ニ繁生スルコト必セリ


伝説




草山の小字一覧


草山(くさやま)
岩瀬(いわせ) ノケ 西ノ上(にしんじょ) 前田(まえだ) 小路(こうじ) 宮ノ上(みやのうえ) 杭谷(くいだに) 小笹(おざさ) 庄原(しょうはら) 深田(ふかだ) 森ノ本(もりのもと) 段(だん) 杉ケ谷(すぎがたに) 細田(ほそだ) 障子谷(しょうじだに) 古家(ふるえ) 岸ノ下(きしのした)

関連情報






資料編のトップへ
丹後の地名へ



資料編の索引

50音順

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市

若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市






【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『三和町史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2016 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved