丹後の地名プラス

丹波の

中佐々木(なかささき)
京都府福知山市中佐々木


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


京都府福知山市中佐々木

京都府天田郡三岳村中佐々木

中佐々木の概要




《中佐々木の概要》

佐々木川の上・中流部に位置する。谷村・威光寺村・仏坂などの集落から成る。西南方の仏坂峠は、播磨姫路の書写寺から丹後の成相寺に至る西国三十三ヶ所観音参詣巡礼道。
中世には佐々岐庄上山保の地。
中佐々木村は、江戸期~明治22年の村。当村は江戸後期の立村と思われ、「正保郷帳」で佐々木村、「元禄郷帳」「丹波志」では上佐々木村の一部となっている。「天保郷帳」からは「上佐々木村之内」と付された当村の村高430石余が見える。はじめ福知山藩領、延宝5年から上総飯野藩領。明治4年飯野県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年三岳村の大字となる。
中佐々木は、明治22年~現在の大字名。はじめ三岳村、昭和30年からは福知山市の大字。


《中佐々木の人口・世帯数》 38・22


《主な社寺など》

三嶽神社の一の鳥居
三嶽神社の一の鳥居(中佐々木)
樹齢500年の巨大な欅の木の下に石の鳥居がある。三嶽神社の一の鳥居である。その道が佐々木側からの参道というか登山道である。先の見えるのが野際集落、その先1.2キロに三嶽神社がある。私は行ったこともないのでよくわからないが、こちら向きに立っているそうで、この写真をよく見れば、その社殿が見えるかも、山頂より右側あたりという…
三嶽神社の一の鳥居
案内板がある。
三嶽神社  福知山市指定文化財案内板
石造鳥居
この石造鳥居には明神鳥居と呼ばれる最も標準的な形式が用いられています。
 柱間は二九〇センチ、石柱の直径は三四センチあり、ニ本の石柱は若干内ころび(八の字形)に建てられ高さ二〇〇センチのところで貫と呼ばれる石柱により繋がれています。「一本杉之碑」
 石柱の頂頭部には反りをもった島木と笠木が重ねて渡されており、笠木と貫の間は篇額をかける為の束がつけられていますが、篇額はかけられておりません。
 通常、石柱の根本には亀腹と呼ばれる饅頭状の石が使用されますが、この鳥居には使用されていません。
 右柱には元禄一〇年(一六九七)に建立された旨と「願主当村高山喜右衛門」の銘があり、左柱には建立に関わった氏子の名が記してあります。  福知山市教育委員会

一本杉(頼光杉)
大人六人でやっと抱えられたという伝説の一本杉の巨木もここにあった、今はその一本杉の石碑→があるだけ。昭和34年の台風で倒れたという。
三嶽神社祭礼では現在でもこの杉は重要な役割がある。
この通称一本杉にはかって二つの名物があった。その一つは一本杉という名の通り、大人が六人がかりでやっと抱えられる程の大きな杉の木である。この杉は頼光伝説を伝えている。鬼退治にやってきた源頼光が、大江山を偵察するために三岳山に登るのだが、それまでの道中ついてきた杖をこの地に突きさしたまま登った。その杖がやがて芽をふき一本杉になったというのである。この一本杉は落雷の害が多いので切り倒されたが、その子孫は挿木により陸上自衛隊福知山駐屯部隊史料館前などに移し植えられている。もう一つは「従是本堂迄十八丁」と刻まれた丁石である。不動明王と共に「宝暦六年(一七五六)」の年号の入った約二メートルの丁石は、小和田神社の上り口に移され、現在台石だけがここに残っている。
(『福知山市史』)

(頼光)一行は谷村辺りで夕暮れとなり道に迷った。その時地面に立てた頼光の杖から坤の方向に枝がのび、枝の指し示した方角に進んでいった。これが一本杉である。昭和三十四年の台風で倒壊したが、挿し木を繰り返して固定し、「頼光杉」と名付けて三岳地区の各神社に配布した。
(『福知山市北部地域民俗文化財調査報告書-三岳山をめぐる芸能と信仰-』)


小和田神社
小和田神社(中佐々木)
中佐々木の氏神様。一の鳥居の少し下側にある。スダジイの巨木があるという。

小和田神社  同村中佐々木鎮座
祭神 綿津見神 祭日・十月十八日。
(『天田郡志資料』)

小和田神社は、由緒不詳、祭神は少童命である。境内社に稲荷神社と広嶺神社がある。本殿に木製扇形付鉾と樽が残されている。また、谷村には、幟・金幣・金鉾・道祖神(鬼の面)が残されている。金幣扇の部分には、「丹波天田郡中・延享三年〈丙寅〉九月日・佐々木村・惣氏子中・施主本 長三郎」とあり、金幣の先には「嘉永元年九月十八日」の銘が刻まれている。幟の箱には、「小和田大明神幟箱・嘉永元年・申 九月 願主 氏子中」と墨書されている。
(『福知山市北部地域民俗文化財調査報告書-三岳山をめぐる芸能と信仰-』)


勘大寺橋
旧道に架かる橋で、「勘大寺橋」と読める。先は国道426号線、その先は谷村の集落。
その谷村にはかつて勘大(かんだい)寺があって「たゝかぬ太鼓の鳴る太鼓」という話が伝えられる。
勘大寺端(中佐々木)
伝説「たたかぬ太鼓のならぬ太鼓



《交通》


《産業》



中佐々木の主な歴史記録






中佐々木の小字一覧


中佐々木(ナカササキ)
足ノ谷 足谷口 庵開地 アメン谷 アシガ谷 井根口 稲木場 岩井谷 壱丁坂 石谷籠口 稲荷ヤシキ 家ノ下 家ノ上 家ノ前 イモザコ 上ノ坪 梅ケ岶 上ノ田 ウシロガイ 緑引 エンノツメ ヲカ ヲカ田 奥ノ谷 大崩 大通 奥寺垣 尾崎 ヲクノナル 春日田 角田 上ケ岶 上開地 柿ノ木岶 神楽田 川原田 開地ジリ カヘリ田 籠岶 カモンヤシキ カジヤガイ ガマノモト 北田 久治良尾敷 崩 クジヤブ クルビ岶 源兵衝ヤシヰ 小南 小通 小谷ノ向イ 小トヲゲ 小バタケ 小クツレ 五斗畑 三丁田 岶ノ上 下川原 下堀 塩田 菖蒲谷 白髪 四十田 蛇喰 ジヤクロ 菅田 添石 曽根ガイ 高柿 滝ケ端 谷ジリ タイト田 タモトガイ ダン 忠兵衝ヤシキ 地蔵田 地蔵前 地主 辻ノ下 辻ノ後 常友 作り道 坪ノ内 ヅヘガウト 寺谷 寺垣 出口 鳥野 鳥野寺垣 鳥野々下 鳥野々向 鳥居野 堂ノ前 トウデン 中西 中田 中林 長谷 長イガ ニ合田 ヌナ田 念仏林 子ゴ 林岶 畑田 花ノ木 八束代 八方口 半右エ門屋敷 馬場 芭蕉 ハシヅメ 東田 冷へ田 日シロ 日シロ田 日向夕 古屋敷 武平治屋敷 フケ フクロ 本坂 ホウノキ田 ホウノジリホウガ岶 前田 松ノ向 政友 祭神 ヌタン田 宮坂 宮坂下 宮腰 宮ノ後 三月田三谷 溝ケ岶 水木田 道ノ下 ミロク堂 ミヅバタ 向イ田 向イ山 向イ川原 ムシロ田 森ノ木 森ノ下 柳ノ木 薮ノ下 休場 半右エ門屋敷 大和田 家敷 屋敷段 ヤブゾエ ユリ 与平次ヤシキ 林蔵屋敷 東山 柿ケ坪 ヌカ田 大次郎屋敷 後岶 足立ロ マトバ 伏見山 大和田 屋敷


関連情報






資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市

若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市






【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『福知山市史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2015 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved