下川合(しもかわい)
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京都府福知山市三和町下川合 京都府天田郡三和町下川合 |
下川合の概要《下川合の概要》 土師川支流川合川の流域に位置する。標高400~500mの山々に囲まれた河岸段丘の集落。 下川合村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。はじめ6か村からなる河合村のうち。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」とも河合村に含まれているが、「巡察記」「旧高旧領」では6か村別々の石高を掲げて、当村は368石余。 明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年川合村の大字となる。平成18年から福知山市の大字。 下川合は、明治22年~現在の大字。はじめ川合村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。 大正7年に、地内の小字シテノ・水無田・ヒラヲ・三本松・トビノス・シデノ・丸石・釜ケ池は細見村に編入されて、同村の大字梅原となる。 《下川合の人口・世帯数》 112・60 《主な社寺など》 宇麻谷神社
マ谷だろうか、鉱山系か。 曹洞宗安昌山新福寺
世界一の巨大ブランコ 「22.May.2011」にギネスより、高さ世界一のブランコの認定を受けた。しかし福知山観光協会発行の「福知山観光ガイドマップ」(2014.1発行)に記載されていない。別に悪口を言おうとするのではないが、今後は観光で生きていく、観光人口目標何百万人など、どこかのマチのトップなども口先ではネゴトを言うのだが、その担当先頭突撃部署はイエイエそうした覚悟はありまへん、これまで通りのテキトーですの場合がけっこう見られる。トップのみがあやしげな浅ましげな際限もない妄想界に突入したというだけで、実践部隊はかえって正気なのか、アホクサと気にもしてないのかも。「原発避難計画」ラベルの正気とも思えないようなものであろうか。いずれにしても土地勘のない場所でのカンコーの実践経験ゼロのようすである、どちらにコロンでも観光客は来まい。オマエらホンマ、タノムデ。 59号線沿いだが、入口がわかりにくい、国道9号線の芦渕交差点(三和荘下の交差点) から、土師川に架かる橋を渡り、そのまま約2キロメートル、下側から行けば「京都庵」(食品加工会社とか)の少し先、左側である。控えめな入口看板がある。 小さい方のブランコは高さ11・3メートルあり、2009年に農場のシンボルとした作ったという、テレビにも取り上げられ人々がたくさんやってくるので、たぶんこれは世界一だろうと、ギネス申請をした。 ワタシの住んでる近くの公園にもブランコがあるが、あれは2メートルくらいしかない。しかし世界は広く、カナダに20・8メートルのブランコがあった。 クソーと、カナダを1・5メートル上回る、22・9メートルのブランコを作ったという。世界一のブランコの利用料は200円だそう。 《交通》 《産業》 《姓氏》 下川合の主な歴史記録『綾部市史・資料編』「巡察記」 下川合村 土性淡赤埴少シク塩土混テ壌ヲ為ス 処多シ 田方十三町九段五畝十二歩畑方十五町 六段四畝二十七歩 高三百六十八石八斗二升五 合 家数八十七軒人別四百二十二人牛五十九疋 有リ 当村百姓ノ産業上川合岼村等ニ異ナルコト無シ 山野林薮甚タ広キヲ以テ茅ヲ苅リ出スコト其ノ数 岼村ニ三倍シ薪木ヲ売ルモ岼ニ倍ス 烟草ヲ出 スモ百駄ニ及フ 村中ヲ大原出流レ川岸ニハ竹 林茂り桑ノ木モ多シ 故ニ蚕児ヲ養ヒテ繭ヲ売 ルコト七十貫匁ニ余ルコト多シ 蒟蒻ヲ作ルコト少カ ラズ 此ノ村内ニ百合田原ト云フ処アリ其ノ野 ノ土性ハ赤埴ニ少シク塩土錯テ壌ノ質ヲ為シ地 深ク土肥テ諸作物ニ宜シ 故ニ土人此ノ野ヲ開 発シテ蒟蒻ヲ作リ数多ノ球ヲ得テ売リ出ス 又 川ノ東ニ梅ケ原ト云フ枝村アリ此ノ処ノ野地土 性モ亦赤埴墳ニ腐塩ヲ混ジ諸作物ニ宜シ 土人 漸々此レヲ開発ス 且ッ此ノ村ハ山谷深ク上ニ 説タル物産ヲ興スベキ地ナリ 後々ハ大ニ富ム ベキ村ナリ 今モ既ニ内福ナル様子ニ見ユ 泉 原法ヲ厚ク積マシムルト雖ドモ可ナリ 然レド モ庄屋ハ富人ニテ吝嗇者ト思ハル 総テ富豪ナ ル吝嗇人アルトキハ近隣小百姓ノ種々患害ヲ為ス 者ナリ 可レ也不レル察七哉 伝説下川合の小字一覧下川合(しもがわい) ツクタ コウダ 下田(しもだ) 木坂(きさか) 福谷(ふくだに) アラタ カバサ川(かばさがわ) クツカケ カツヲ コノ ユリ俵(ゆりだわら) 藤巻(ふじまき) 百町田(ひゃくまちだ) 馬刺(うまさし) 西滝谷(にしたきだに) 鏡石(かがみいし) 松尾(まつお) 大石(おおいし) 上ケ山(うえがやま) 赤尾(あかお) 東ユリ俵(ひがしゆりたわら) 東滝谷(ひがしたきたに) 北ツクダ(きたつくだ) 向佃(むかいつくだ) 坂ケ市(さかがいち) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『三和町史』各巻 その他たくさん |
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