下小田(しもおだ)
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京都府福知山市下小田・六十内・柿本 京都府天田郡上川口村下小田 |
下小田の概要《下小田の概要》 牧川と佐々木川が合流し、国道9号(但馬街道)と国道426号(出石街道)が分岐する、JRの「上川口駅」がある一帯で西に柿木、対岸に六十内の集落がある。 下小田村は、江戸期~明治22年の村。福知山藩領。江戸初期には小田村一村であったが、のち上下二村に分れた。 「丹波志」に「古上小田村支」と見える。上小田村の枝郷であることは、「元禄郷帳」「天保郷帳」や享保5年の三岳・大江両山改絵図(威光寺文書)などにも記載があるそう。明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上川口村の大字となる。 下小田は、明治22年~現在の大字名。はじめ上川口村、昭和30年からは福知山市の大字。 《下小田の人口・世帯数》 304・112 《主な社寺など》 葛木神社
熊野神社(六十内)
牧川の南岸側に位置する六十内(むそち)という、六十内は無租地(むそち)のことだろうか。免税特区と言うのか、無人の河原だったものかと考えていたが、ここは河原でなく山である。急斜面に集落があり、その一番高い所に当社が鎮座する。 熊野神社(下小田) 気比神社
五社神社
慶神社
伝説 野花の旧家小田家は、中世当村で威を振った豪族で、屋敷地跡は坪ノ内と称される。また同家と当村中西家には、用明天皇の皇子麻呂子親王が往古丹波の鬼賊を退治したときの従臣の子孫であったとの口碑が残る。 《交通》 牧川を渡って南側にJR山陰本線の「上川口駅」がある。明治44年にこの線路はできて、駅もその時にできたという。 《産業》 下小田の主な歴史記録
下小田の小字一覧下小田(シモオダ) 荒砂 麻町 池尻 家ノ上 石畔 岩ケ谷 井根ノ上 鋳物師段 イゲ谷 後田 江尻 円浪 大石 岡田 扇畑 奥ノ宮 オク田和 金田 上ノ山 片山 鎌倉 岸ノ下 小島 小丸山 立間屋河原 権現 観音畑 笹ケ市 笹ケ田和 汁田 蛇ケ谷 高畔 竹ノ替 上ケ田和 出合 鳥岡 堂ノ岶 堂ノ本 中間 中ノ坪 長祖 仁王坂 野路野 八幡 墓ノ下 馬場 広畑 樋ノ詰 丸畑 曲坂 宮ノ腰 宮川原 宮地下 水上 水畑 三室谷 山ノ神 山吹 湯舟 横野 六田 和田 鳥ケ岡 観音端 才ケ田和 赤岩 井根ノ上 家ノ上 池尻 石畔 岩ケ谷 鋳物師殿 イゲ谷 臼谷 榎岶 大石 奥ノ宮 扇畑 上ノ山 片山 鎌倉 唐竹 降リ谷 小丸山 権見 笹ケ市 蛇ケ谷 笹ケ田和 高蛇礼 段坂 土ケ田和 寺岶 伝五 堂ケ岶 野路野 平ヒ上 水畑 三室谷 向山 山吹 山ノ神 湯舟 六田 割合 井根尻 青羅 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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