田ノ谷(たのたに)
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京都府福知山市三和町田ノ谷 京都府天田郡三和町田ノ谷 |
田ノ谷の概要《田ノ谷の概要》 細見谷の三春街道(府道709号線)をどんどん入って、山の中に入った所である。土師川支流細見川上流域に位置する。東田ノ谷・西田ノ谷に分かれる。 田ノ谷は、昭和5年~現在の大字名。はじめ細見村、昭和30年三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年より福知山市の大字。もとは細見村細見奥の一部。 細見奥。単に「奥」ともいう。土師川支流細見川の上流部で、集落は田ノ谷・西松(さいまつ)両渓谷に点在する。西と南の河合峠・野瀬峠・三井ノ庄峠などで氷上郡と接する。 細見奥村は、江戸期~明治22年の村。細見辻村の枝郷。集落は西ノ谷・田ノ谷・松村の3か所がある。当村と細見辻・細見中出3か村入会の広大な野山があり、この入会地には他村民がたびたび無断で立入って、争論となったという。 明治4年鶴牧県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年細見村の大字となる。 細見奥は、明治22年~昭和5年の細見村の大字。当地は2つの谷に分かれていて、1区としては行政上不便なため、大正7年田ノ谷・西松の2区に分け各区長を置いた。昭和5年大字細見奥を廃し、田ノ谷・西松は大字として独立した。 《田ノ谷の人口・世帯数》 17・7 《主な社寺など》 八幡神社 三春峠に向けてドンドンと入っていく。入りすぎたかな、と心配になった辺りに浄水場があり、その先に鎮座する。武内宿禰も祀っているよう、紀氏の祖になる。 武内宿禰も祀っているよう、この祠だろうか。何も書かれていないので確かではない。
《交通》 《産業》 《姓氏》 田ノ谷の主な歴史記録『丹波志』 奥村 西ノ谷 松村 田ノ谷 綾部領 高貳百四拾二石七斗八舛二合一勺 民家 西ノ谷三十戸 田ノ谷四十戸 松村三十五戸 田ノ谷ニ御代官所 入組在 西ノ谷ハ奥村ニ中手村ノ出戸 田ノ谷ニ三谷アリ 谷口民家在 東ノ谷ヲ東越河谷領多紀郡桑原村ノ内 河谷迄十五町荷馬不通 又南エ越 野瀬嶺氷上郡野瀬谷村迄一里斗牛馬道 細見谷ノ村々ヨリ篠山ニ行道アリ 又西ノ谷在 中ヨリ西ヲセリフ谷ノ奥セリフ嶺 松村エ越ス 凡拾町牛馬道也 松村ヨリ毘沙門谷ノ奥ヲ南越 右同斯 是ハ田ノ谷ユリ氷上郡黒井迄ヘ行道ナリ 黒井迄二里半 又西ヶ谷奥エ氷上三井ノ庄ノ内ニ原ト云所ニ越ス 三井ノ庄嶺ト云 凡三十町馬不通 又松村ヨリ西ヘ越ス 神池嶺奥村ノ内 神池迄凡廿町牛馬道 氷上黒井迄三里 又神池嶺ノ麓ヨリ左ニ谷筋ヲ行 右ノ方横尾ヲ登リ南西エ尾ヲ行ハ氷上郡妙高山神池寺道壹里馬モ通則三井ノ庄道也 伝説田ノ谷の小字一覧田ノ谷(たのたに) 菖蒲谷(しょうぶだに) 藤迫(ふじさこ) 坪谷(つぼたに) 田ノ谷(たのたに) 高城(たかしろ) 向ノ地(むかいじ) 出合(であい) 星谷(ほしだに) 松尾(まつお) 登尾(のぼりお) 亀石(かめいし) 岩ケ端(いわがはた) 田ノ谷東(たのたにひがし) 段(だん) 長ノ谷口(ちょんたにぐち) 長ノ谷(ちょんだに) 小屋谷(こやのたに) 小屋谷口(こやのたにぐち) 菖蒲谷口(しょうぶだにくち) 岩ケ花(いわがはな) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『三和町史』各巻 その他たくさん |
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