蛭子(えびす)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから探索してください。超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都府宮津市蛭子 京都府与謝郡宮津町蛭子 |
蛭子の概要《蛭子の概要》 市街地の西部。如願寺川下流沿岸で白柏の一つ山手の通り両側町、西は宮町。何か気になる地名だが由来はわからない。 蛭子町は、江戸期〜明治22年の町名。「えべすちょう」ともいう。宮津城下白柏町組の1町。安政3年葛屋町が改称したもの。家数は明治維新以前117軒、明治19年99軒、同21年98戸。明治22年宮津町の大字となった。 姪子は、明治22年〜現在の大字名。はじめ宮津町、昭和29年からは宮津市の大字。 文政5年の百姓一揆の際に当町の大工長五郎が捕らえられて獄死した。大工などの職人が多かった。安政3年蛭子町と改称した。 《蛭子の人口・世帯数》 《主な社寺など》 《交通》 《産業》 蛭子の主な歴史記録《丹後宮津志》(地図も)
黒が元禄時代。赤は大正14年。 関連項目 |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『宮津市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2009 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |