丹後の地名

東野(ひがしの)
宮津市


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京都府宮津市東野

京都府与謝郡世屋村東野

東野の概要




《東野の概要》

市の北部で、世屋川およびその支流域、汐霧山(624m)の西麓に位置する。松尾の西方標高380m前後の地域。過疎により廃村となった。

東野村は、江戸期〜明治22年の村名。「慶長郷村帳」の世野村のうち。はじめ宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。
幕末の草高は25石余、年貢率は定免で5割1分8厘。高掛物14石、山手運上米4斗余、稲木運上銀など4匁余。戸数6ですべて百姓、人口32(与謝郡誌)。明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同21年の戸数6。同22年世屋村の大字となる。
東野は、明治22年〜現在の大字名。はじめ世屋村、昭和29年からは宮津市の大字。

《東野の人口・世帯数》0・0

《主な社寺など》
東大明神

《交通》

《産業》

東野の主な歴史記録

『丹哥府志』
◎東野村(松尾村の次、是より木子村へ出る)
【東大明神】

『両丹地方史』(S39.12.30)
亡びゆく村々を思うて
宮津市 岩崎英精
 前略。本日これから申しますことは、他の諸先生方のようご研充発表ではありませんで、実は私どもの位に奥丹後地方に、ここ数年来ひきつづいておこりつゝある恐ろしい現象、それは幾百千年の歴史ある山村が、次ぎ次ぎと潰れていくという事実につきまして、これはやがて全国的にひろがる性質の現象でもありますので、この際ぜひとろ皆さん方に絶大なるご関心をいただくよう、お訴え申し上げたいものであります。
ご承知のとおり、かって徳川時代によくみられた「逃散−ちょうさん」ということ、すなわち村中が先祖伝来の故郷を捨てて一夜のうちに住民が離村して村が潰れてしまうという事実、その「逃散」が昭和の今日、自民党政府の政治のなかで、あちらにもこちらにもみられる現象なのであります。私はこの事実を「現代的逃散」と申しておりますが、実に白夜堂々と「逃散」が行われ、しかも徳川時代のように「強訴・徒党・逃散」といって、幕藩による圧制への抵抗としての犯罪ともみられないで、政府も地方行政体もほとんどとこれという対策もないままに、住民は村を見捨てて離村してしまうのが、まことに現代的逃散にみられる特長であります。
 そこで私共の住む奥丹後地方で すでに亡びてしまった村々をあげますと、左のような実状でありまして、なんとも言葉にもあらわしえぬようなひどい有様であります。その村々こいうのは…
宮津市。旧日ヶ谷付の牧、旧世屋村の麻谷・松尾・駒倉・旧府中村の西谷・東谷。
与謝郡。伊根町旧筒川村の田坪・吉谷。
竹野郡。丹後町旧豊栄村の力石・旧宇川村の竹久僧・旧野間村の住山・小杉。
といった実状でありまして、これらはいずれも現在潰れた旧藩時代の村々であり、町村制施行後は大字部落乃至小字であります。
 いま申し上げた村々は例外なく山村、丹後半島の屋根といわれる五〇〇メートルから七〇〇メートルの山々に囲まれた山村でありますが、この幾百千年の歴史に生きてきた村人が、先祖代々の墓をはじめ、苦心して築きあげた家屋敷も、先祖代々の血と汗とで育ててきた田畑、さらに個人の、あるいは共同の山林原野までも見捨てゝ、これらがいずれも経済的生産の価値を失って、まさに自然にかえってしまっても、何処からも誰からも一円の金も補償してはくれないのであります。
 しかもなおこれらの人々は村を棄てゝ出てゆくのでありますが、その出てゆかねばならぬ理由がどこにあるかと申しますと、それは「もうこの村ではとても生活が成りたたないから…」という一語につきるのであります。ある週間雑誌や新聞には昨年の豪雪に将来を絶望して出るんた…などと書いていたのもありますが、この人々は断じて単なる豪雪、一年や二年の大雪でヘコタレたのでは決してありません。楽しい生活、平和な暮しができるのなら、こうして先祖伝来の村を捨てるでしょう、もっとも多少の時代的影響はありましても、断じてこれらの村々が潰れるといった現象はおこらないはずであります。
 いわば、そこには豪雪よりも台風よりも、もっともっと恐ろしい現代的飢餓が彼ら村人をおそい、日夜ひしひしとその苦しみが肌にせまってくる昨今の生活、この怖ろしい現代的飢餓にたえられなくった人々が個々にまた集団で、村々を見捨てゝ出てゆき、そうして村は潰れ亡びるのであります。
 ではいったいその怖ろしい現代的飢餓とはどこからきたのでしょうか、それは戦後の生活環境の激変、ことに自民党池田内閣の「所得倍増政策」の結果でありまして、独占的な資本のみにはほゝえむ所得倍増政策こそは、豪雪よりも台風よりも怖ろしい飢餓の波であり、こゝにこそ現代的「逃散」は当然におこるべくしておこりつゝあるのであります。
 おそらく以上申し上げた村々だけが亡びたのではなく、きっとこれからもどしどしと亡びる村が出るでしょうし、これはやがて全国的規模において現われる前徴であることも間違いないと思うのであります。
 さて私が皆さんに訴えて、お願いしたいことは、ここであります。私はここで政治を語り、社会経済を云々しているのごはなく、このようにして潰れ亡びる村々と、その村々をつつむ村や町や市の、その歴史の変化を、この際ぜひとも強い関心をもって見守り、お互に地方史を目標とするものが協力して、私たち現代人の責任においた、後世の若い人たちに誇りをもって引継ぎうるような歴史を明らかにすべきだと思うものであります、どうかこの歴史の激変期に、ぜひとも皆さん方と共に、進ませていただきたいものであります。                (完)


東野の小地名


東野
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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん




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