丹後の地名

上司(じょうし)
宮津市栗田


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京都府宮津市上司

京都府与謝郡栗田村上司

上司の概要




《上司の概要》

宮津市の東南部。東は栗田湾に面した表栗田地区の中心集落。KTR宮津線・国道178号・同バイパスがほぼ並行して走り、国道から分かれて府道栗田半島線が北に進み中津に至る。西の栗田トンネルを抜けると宮津市内に入る。KTR宮津線栗田駅がある。栗田幼稚園・栗田小学校・栗田中学校・府立海洋高校(旧栗田海軍航空隊跡)・栗田郵便局などがある。
上司から中津方向

中世、といってももう終わりの方だが天文7年(1538)の「丹後御檀家帳」の「くんたじやうし町」で、戦国期には見える町名。丹後国与謝郡栗田のうち。「一  くんたじやうし町」と見え、「一城の主也小倉殿御内の人川島左衛門尉殿」「かうおや(講親) 畑ケ中の太夫殿」があげられている。丹後国で歴史上に町と名が見えるのは当町が最初という。
上司町は、江戸期〜明治22年の町名。与謝郡のうち。近世初期には慶長検地郷村帳にみえる栗田村に含まれていたと思われ、延宝3年郷村帳に「栗田上司村」と記される。はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。当初上司村と称したが、享保10年頃から上司町となる。農業をおもな生業とし、漁業も締網・地曳網が行われた。明治22年栗田村の大字となる。
上司は明治22年〜現在の大字名。はじめ栗田村、昭和29年からは宮津市の大字。

《上司の人口・世帯数》567・220

《主な社寺など》
小字蟹ヶ杜(かにがもり)の住吉神社は延喜式「久理陀(クリタ)神社」に比定する説もある。9月13日の祭には田井の代長(しろなが)神社、小田宿野の日比宮(ひいみや)、中津の浦宮から御輿が出て社頭に集まり、神事は荘厳を極めたという。
住吉神社の社殿は上司の海岸に向けて建ち、その例祭は「けんか祭」とも呼ばれる近隣の大祭。
曹洞宗嶺松山竜源寺は高妻山城主河嶋備前の開基と伝える。
同じく河嶋氏に関係の寺に曹洞宗道樹山永久院がある。


《交通》

《産業》


上司の主な歴史記録

《丹後御檀家帳》(天文七戊戌年 度会神主 福井末高)
一  くんたじやうし町
  一城の主也小倉殿御内の人   かうおや
     川島左衛門尉殿        畑ヶ中の太夫殿
    〆

《丹哥府志》
◎上司町 (中津村の次、所謂北国海道宮津より一里餘)
【久理陀神社】(式内)
久理陀神社今住吉大明神と称す。祭九月十三日、或云延喜式に載せたる久理陀神社は今小田村にある栗田大明神是也といふ其説眞に近きに似たり。されども九月十三日の祭に栗田一郷の人各其村の神輿を舁出て皆住吉の社に集る斯の如きは一朝一夕の故にあらす、之を以て考る時は古より称する久理陀神社は蓋此社の事ならんか。
【鶴林山永久庵】(曹洞宗)
【嶺松山龍源寺】(同宗)
明応年中前備州大守安叟常供大居士の開基也開山を快岸和尚といふ。安叟常供大居士といふは即是高妻山の城主河嶋備前守宜久の法名也、寺に宣久の肖像あり剃髪して禅衣を着す。其上に僧景趙の賛辞あり、其文云鶴然和気凜乎威儀入則遊心于山河嶋嶼出則披懐于忠恕仁慈濁脱無依清風一柄便面?光不味明月百八摩尼常頭坐断他是阿維口+夷将謂在家菩薩子由来了事大丈夫児永正十年癸酉仲春初六日景趙叟宗誌とあり。蓋是時居士の十三回忌日に富るよって其女松岩妙秀といふもの最趙和尚に乞ふて賛辞を求めしよし、今寺の賽物とて圓鏡一面并豹の皮にて張りたる太鼓二つあり、皆河嶋氏所持の品なり。
河島備前守城墟(高妻山といふ所にあり)
【附録】(嶺松簑面山権現、稲荷社、愛宕社、薬師堂、十王堂)

《与謝郡誌》
龍源寺(上司)
嶺松山龍源寺
 栗田村字上司にあり、本尊十一面菩薩、文亀元年十二月同村高妻山城主河島備前守の創立にて廓堂禅師を講じて開山となす、備前守名を宣久と云ひ法名を安叟常供といふ寺に其肖像ありて祝髪して禅衣を着し上に永正十年癸酉仲春初六側僧景趙の賛辞を附す、蓋し水正十年は宣久の十三回忌に相當せるより其女松岩妙秀景趙和尚に賛を求めしなりと、寺宝圓鏡一面並に豹の皮張の陣太鼓二個あり皆河島家の遺物なりと、檀徒三十七戸境内薬師堂あり、もと住吉神社鳥居前に医林山大願寺あり本尊薬師佛を祀りしを明治十一年四月當寺境内に移転改築したるものなり。

《与謝郡誌》
住吉神社(上司)
住吉神社
 栗田村字上司小字蟹ケ社鎮座。指定村社、祭神表筒男命、中筒男命、底筒男命、鎭座年暦未詳なりと雖も明応四年上司高妻山城主河島備前守社殿修理すと社記に傅へ文明元年九月再興元禄十四年辛巳九月修覆天保十三年三月改営の棟札現存し累代宮津藩主の崇敬篤く例祭には概ね御参拝あり。毎年九月十三日祭典には当社は元より田井の代永天王、小田の日比宮、中津の浦宮等の谷村より神輿を舁ぎて社頭に集り神事荘厳を極め.参拝の子女近郷より繹絡として織るが如きの雑沓あり丹哥府志丹後細見録、丹後一覧集等には延喜式神名帳所載の久理陀神社は当社なりとし又丹後國式社證實考には小田宿野村の栗田神社にて当社は断じて式社にあらずとなす。明治六年二月村社に列せられ大正元年十二月十七日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。本殿.拝殿、幣殿.社務所、寵所等完備し境内末社に稻荷神社、恵比須神社、若宮神社、八阪神社あり。

《丹後宮津志》
栗田村=新宮(奥山)・脇(脇嶽)・中村・小寺・上司・中津・小田宿野・島蔭・田井・獅子崎・矢原。世帯数571、人口2856

(上司という地名は各地に見られるが、どうした意味かはわからない。下司は庄園の下級荘官であるが、上司もそうした意味があるのかも知れない。しかしどう見ても鉄の地であるのだが…)




上司の小字


上司
由良谷奥 由良谷 廻り田 狐田谷 家カヱ 的場 地浅 片山 ヒヨ谷口 青山 青山谷 ミヤ 新宮ノ宮 藤五郎谷奥 藤五郎谷口 橋詰 水舟 三所田 新宮家ノ下 赤松 新宮ケ坪 行道寺口 大井根 石田 河原口 河原奥 河原口 クミ谷奥 河原グミ谷口 ヤスラ 長ケ原 中河原 出生 橋出 川原 ハサキ 清水ケ鼻 上沢田 宮ノ腰 京田 深田 ムツキ 井根口 東水口 ウルシ谷 ホコラ 山ノ口 友池 鈴河原 作立 作立井根下 砂走井根下 作立井根上 石ケ坪 石ケ坪水口 岡崎 瓜野 前田 堤ノ下 堤ケ谷 佐次郎谷 清水 狼谷 狼谷口 屋台田 大門東 大門西 大門井根上 若宮中 若宮下 宮坪 大門井根下 妻口 高妻口井根上 井根下 宮ノ腰 高妻口 鍵町南 木−久木 寺池 板木 鍵町 ソ子ヅヱ 砂ノ美 背戸深田 宮津谷 連花保 石ケ鼻 荒神前 為成 成原 為成深田 出張 北柿 為成東 為成南 為成北 水ケ尻 庵池 武州谷 荒神後 五反田 堀ケ尻 日谷口 南谷 塚谷上 塚谷 藤森 糸谷口 糸谷 峠 峠谷 太夫谷 土谷 古峠 ヤシキ谷 鍬差 九反田 壱町ケ坪 赤熊 細田 鎌研場 角田川淵 下山川淵 峠淵 角田 ソウケ谷口 下山 椿谷 シノキガ谷 鬼谷 下山谷 丸町 生河 平田 古田 宿野田 山崎 和久原 ワトチ 和久ノ原 禰キ田 根木田 子キ田 赤坂 堂ノ後 コウノス カワラケ谷 堂ノ浦 ソウモリ谷 焼板 桑谷 シル谷 シル谷口通 デンガク谷口 デンガク谷 アザミ谷 キジガ谷 越浜新田 越浜 元宮 奥谷口 尾鼻 寺ノ後 寺ノ北 墓ノ下 若宮 高妻 任連ノ尾 フリヤ 立ノ谷 背戸 城ノ腰 城山 城山ノ上 武州谷口 ビヤガクビ 土林 ユリカキ谷 堀ケ尻 日谷口 梨木谷 塚本 藤ケ森 緑谷口 カシキ谷 ソウケ谷 船山 船山南 古森 椿ケ鼻 カワラ谷 広畑 ミイ谷 桑ケ谷 シル谷ロ シル谷口下ノ小谷 西畑 砂走 浜畑 南 北 浜 西 東 大門 彦太夫 鳥ノ後 背戸川 道淵 前 川クゴ 道端 林八屋敷 境外 田淵 地蔵川 南畑 南畑共 宮浜北 松本 狭間 生河 宮大門 城ノ下 高妻内寺池 虫谷ノ内宮津谷 大門川道淵 大門川 上り畑 東畑 北畑 下小路虎口 娘谷奥檀 高妻ノ内奥見山 日谷 コツトイ谷 塚谷滝ノ下 市左ヱ門谷 土谷口 下山大谷 シノギカ谷 魚谷 箕谷 ジヨク谷 焼?《私注・木編久》 シル谷下ノ小谷 谷口奥 岡崎ノ内奥谷 林ケ谷 虫谷 魚見川 武州谷ノ内荒神鼻 武州谷奥 武州谷ノ内宮津谷 塚谷口 船山和久原 船山畑 ヱン谷 武州谷 緑谷 城山ノ下

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん




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