京都府与謝郡与謝野町香河
京都府与謝郡加悦町香河
京都府与謝郡桑飼村香河
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香河の概要
《香河の概要》
野田川支流の香河川の一番の上流で先の大宮峠を越すと上宮津に出る。集落は奥香河と日晩寺に分かれる。
地名の由来は「和名抄」の神戸郷が、川が香気を発したことから香河に転訛したものと「丹哥府志」はいうが、カゴは古代朝鮮語で銅のことであろう。
香河村は、江戸期〜明治22年の村名。はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年桑飼村の大字となる。
香河は、明治22年〜現在の大字名。はじめ桑飼村、昭和29年からは加悦町の大字。平成18年3月からは与謝野町の大字。加悦谷では算所村に次いで小さな村であったそう。
《香河の人口・世帯数》
《主な社寺など》
日晩寺集落に横穴式石室のある陣取古墳2基
『加悦町誌』より、
陣取一号古墳 日晩寺にあり、山頂の円墳で、径二○メートル、高さ三メートル、横穴式石室が南に開く。出土品は壷(須恵器)
陣取二号古墳 日晩寺にあり、山頂の円墳で、径二○メートル、高さ三メートル、横穴式石室、一号と同じ型。
一之坂神社。
一之阪神社
桑飼村字香河小字大河邊、村社、祭紳大市比売命、由緒不詳、元三十八社大明神と號し明和元年三月再建、明治六年村社、氏子二十四戸、祭同上。
外に小字陣取に神取神社、丸山に稻荷、愛宕秋葉、赤道に道阻紳あり無格社なり。
(『与謝郡誌』) |
一之坂神社 香河小字大河辺
大市比売命を祭る。
大山津見命の子で、市の神である倉稲魂命の母に当る。
一七六四年(明和元年)三月再建。もと三八社大明神という。
境内の石灯籠は春日式で、文化財的価値がある。
一九二九年(昭和四年)九月二十一日改築した。
(『加悦町誌』) |
三谷神社
三谷神社
桑飼村字香河小字堂谷、村社、祭神奥津比古神命、もと三面六臂の佛像三寳荒坤を祀り三面大明神と崇めしを明治維新の改廃により三谷神社と號し明治六年村社に列せらる、氏子二十四戸、例祭同前。
(『与謝郡誌』) |
三谷神社 香河小字堂ケ谷
奥津比古命を祭る。
素戔鳴命の孫で大山咋命の兄であり、かまどの神である。もと神仏習合説により、三宝荒神(カマドの神)を祭り、三面大明神と称した。明治維新の廃仏毀釈令によって三谷神社と改めた。
一七六九年(明和六年)八月再建、一九四〇年(昭和十五年)十二月五日本殿上家及び拝殿の改築をした。
(『加悦町誌』) |
山添神社
山添神社
桑飼村字香河小字大迫、村社、祭神大山津見命、由緒不詳、貞享二年再興明治六年村社、氏子三十戸、例祭七月廿四日、境内末社大阪神社。
(『与謝郡誌』) |
山添神社 香河小字大迫
大山津見命、大宮比売命、宇気毛智神を祭る。大山津見命は伊邪那岐命の子で山を司る。
鹿屋野姫を妃とした。
一六八五年(貞享二年)三月再建、年代は不明だが陣取神社(祭神大宮比売命)と稲荷神社(祭神宇気毛智神)が合祀されている。
境内に大阪神社がある。
(『加悦町誌』) |
臨済宗妙心寺派香河山慈雲寺
与謝郡
一 石河庄 百卅四町五段三百卅歩内
六十二町四段百四十四歩 御料所
十二町六段三百六歩 御料所方 嘉吉三年永所
十五町三段十八歩 加松冨名 国分寺
一町卅六歩 慈観寺御免
二町 九世戸御免
二町九段 普甲寺御免
一町四反 同寺内御免
一町四反 慈光寺御免
六段 大谷寺御免
三町七段 善法寺御免
三町 慈雲寺御免
一町 西善寺御免
一町 鍛冶給御免
二段 溝目給
六町三段 惣庄反銭無
十三町六段百九十八歩 国分寺領無現地
伍町九段三百四拾八歩 御料所方無現地
(『注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録』) |
香河山慈雲寺
桑飼村字香河の堂ノ谷にあり本尊阿禰陀如来、応永十一年元哉和尚開基創立安永年中探源和尚中興。
(『与謝郡誌』) |
香河山慈雲寺 香河小字寺下
一三八四年(元中元年)天田天寧寺の元哉和尚が開山したものである。一説に、上宮津喜多村城主小倉播磨守の家老山崎玄蕃によって一四〇四年(応永十一年)建てられたともいう。一色兵部少輔範光を慈雲寺殿というから、この寺に葬ったものと思われる。
本尊は釈迦牟尼仏、寺宝に大槃若波羅密経六〇〇巻、竜のうろこがある。檀家は約六〇戸。
(『加悦町誌』) |
大龍 香河の慈雲寺は、天寧寺の元哉法師により建立、昔、龍がこの地に降りてしばらく天に昇れなくなった。丁度ある時、龍巻が起こり、これに乗じて昇ろうとしたが、運悪くけがれた女にその姿を見られてしまった。今度昇ろうとすると、山に千年、海に千年の修行をしなければならない。そこで龍は、名僧から経典を賜わった時に天に昇ることができるので、当寺で女に化身し、供養を行うため参詣する。
ところで名僧は、「寺は女人禁制のところであり、経を賜わる時は真の姿になり、参詣すべし」と、引きとった。やがて龍は、再び口中より火を吹く大龍となって当寺へその姿を現わした。こうして僧から経を頂き、天に昇る際に、礼のしるしとして、自分の前足をかみ切り当寺に置いて行った。それが現在当寺にあり、龍のうろことして寺宝となっている。
(『加悦町誌』) |
香河城祉
香河城跡 香河の丸山にあり、城主は山崎氏で、城跡に愛宕社がある。
山崎氏は宮津喜多城主小倉播磨守の家臣。当地に小倉姓、山崎姓が残っている。
(『加悦町誌』) |
《交通》
《産業》
香河の主な歴史記録
『丹哥府志』
【奥山】(是より宮津の庄有田村へ道あり、以下三村石川村の支郷)
【亀山】
【香河村】
丹後名奇曰。古老の伝にむかし京師の沙門石川村の辺を徘徊せしに山川の水時ならず匂ひければ、怪しみて流をつたひ山の方へ入りぬれば、香気ますます盛んなり、時に十歳ばかりの女子をみる、其顔ばせ玉の如し、かの香気は此女子より出るなり。よって奇異の思をなしただちに其親に請ふて都に携へ帰る。後に此女子朝廷に聞て后とぞなりぬ。
元亨禅書云。如意尼は丹後与謝の人なり、天長帝の次妃となるといふは此人の事なるべし。薙染の後故郷に帰り一宇の精舎をたつ、是を善法寺といふ。今名み残りて田の字となり其手づから彫刻せし観世音菩薩は其隣村神宮寺といふ寺にありとかや。抑香河は和名抄にいふ神戸なりしが川の匂しより香河とぞなりぬ。
【附録】(卅八社大明神、山添大明神、愛宕権現)
【香河山慈雲寺】(臨済宗)
【三面大明神】(祭九月廿五日) |
『加悦町誌』
弓の名人 香河に山崎源助という大屋の家に弓の名人がいた。ある日、宮津城の門前にタカが二羽飛んでいた、源助は弓を放ち、二羽とも射ち落した。二時間ほど弓を張ったまま突立ち、二羽重なるのを待っていたという。源助は、三八社(一ノ坂)の相金明王に参拝、ある時、大猪に似た化物が出て来た、源助はその化物の左目を射ち、さらに右目にも射ち込んだ、この時化物は山崎家には末代片端を絶やさんぞと叫んだという。その後五十年ほど前まで山崎家には片端ができたという。
大龍 香河の慈雲寺は、天寧寺の元哉法師により建立、昔、龍がこの地に降りてしばらく天に昇れなくなった。丁度ある時、龍巻が起こり、これに乗じて昇ろうとしたが、運悪くけがれた女にその姿を見られてしまった。今度昇ろうとすると、山に千年、海に千年の修行をしなければならない。そこで龍は、名僧から経典を賜わった時に天に昇ることができるので、当寺で女に化身し、供養を行うため参詣する。
ところで名僧は、「寺は女人禁制のところであり、経を賜わる時は真の姿になり、参詣すべし」と、引きとった。やがて龍は、再び口中より火を吹く大龍となって当寺へその姿を現わした。こうして僧から経を頂き、天に昇る際に、礼のしるしとして、自分の前足をかみ切り当寺に置いて行った。それが現在当寺にあり、龍のうろことして寺宝となっている。 |
香河の小地名
香河
芝原・四人持・濱柿・障取・一合盛・中島・井根口・城谷・橋詰・中上・赤道・小倉・福地・柳原・元日晩寺・五反田・安田・丸山・尾越・蛭ケ谷・白田・後田・寺谷・溝苗・中川原・堂ノ浦・畦高・棒外・池之谷・ばんじゃ・堂屋敷・一斗田・椎ノ木坂・辻・関戸・竹ノ上・才見・寺ノ下・堂谷・若ヤ・サコ・荒堀谷・笹尾・松尾口・大谷・ほふづき谷・大宮峠・エノコサコ・入道谷・向ケ谷・ワサ田・地主・西谷・玉子原・ゆる田畑・なふ田.岡田ケ鼻・山ノ神・登り谷・岳坂・トゝ尾・岳・トゝ谷・岳岡・ふか田・タチク・上ケ坂・東岡・口上ケ.上ケ・松葉原・大河辺・アサ町・大田・にがたけ・向岡・畠田・由舟・八十切・宮ノ下・平野.粟谷.粟峠.四反田・向茂・玉ノ木・見原・むりノ木・口ノ谷・ヲサコ・金引・上小西・下小西・上毛・
山林
陣取・福地・元日晩寺・ヒルカ谷・丸山・寺谷・椎ノ木谷・幡蛇・堂谷・荒堀谷・大宮峠・入道谷・玉子原・ダチ・上毛・大河辺・粟谷・向茂・三原・大サコ・金引・小西・大谷・西谷・シヨケ.
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