市場(いちば)
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京都府舞鶴市市場 京都府加佐郡志楽村市場 |
市場の地誌《市場の概要》 市場は志楽川の河口に位置する。 『角川日本地名大辞典』は、「地名の由来は、4と6の日に六斎市(牛市が中心)が立ったことによるという(諸国廻り・新舞鶴案内)。丹後国加佐郡志楽荘春日部村のうち。文明6年閏5月12日、小倉いね大夫・弥三郎・三郎太郎3人が連署売券を作成、8斗代の地代を代銭2貫500文で志楽西浦宗賢方へ売渡しているが、その在所は「志楽市場しんてん小倉いね大夫持分」であった(梅垣西浦文書)」としている。 市場は元々は泉源寺村の枝郷で、幕末から明治初期に独立したものという。軍港となり現在の東舞鶴の市街地がつくられるまではここが東地域の中心地で市場町として栄えた。 《人口》《世帯数》 《主な社寺など》 八幡神社 設楽五郎右衛門や逸見駿河守の居城であった市場城址 《交通》 国道27号線(若狭街道・北国街道) 《産業》 市場の主な歴史記録《丹哥府志》 〈 ◎市場村(矢之助村の次、若狭街道) 【奈具神社】(延喜式) 奈具神社、今市姫大明神と称す。 【逸見駿河城墟】 〉 《地名辞書》 〈 市場。志楽市場の謂にて、今本村の大字とす、舞鶴の東二里半、若狭街道に当り、西は海港の支港に傍へり、市場の東二里吉坂峠を以て若州の国界とす、青葉山三国岳の山脈に当る。 ○丹州三家物語云、慶長五年の夏、細川忠興は若州を経て近江路へ打出んと、丹若の境なる吉坂まで押れける、爰に若州熊川には近年関所有けるが、敦賀の城主大谷刑部少輔下知をくはへ、熊川の関所を弥堅固にして、往来尤やすからざるよし聞えければ、忠興吉坂より取り返し、丹波路を山家へかかり、伏見へこそ出られける。補〔市場〕加佐郡 ○貿易備考、市場村牛市場は天保十四年の創設にして、嘉永二年に至るまで毎年凡そ四十四頭を出せり、其三年より明治七年に至るまで凡一百頭、爾後十五年に至るまでは、三百三十四頭許りとす。 ○今、志楽村。 〉 市場の小字市場 竜宮 村中 松尾田 井根口 大上権 小尻 サイノ上 ウルシ畑 倉谷 オヤカタ 高屋 ケミ谷 沖手 知中 坊中 関連項目「志楽つづき」「泉源寺」 |
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