丹後の地名

金谷(かなや)
京丹後市久美浜町金谷


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京都府京丹後市久美浜町金谷

京都府熊野郡久美浜町金谷

京都府熊野郡川上村金谷

金谷の概要


《金谷の概要》



金屋とも書かれる、金屋とは鍜冶屋、鋳物師屋だが、そうした集落だったと思われる。同じ地名は舞鶴や大江町、宮津や加悦町にもある、鍜冶関係といってもそれはずいぶんと広いもので、実際にどんな仕事をしていたのか、製鉄なのか鋳造か鍛造か、そうしたことは発掘でもしないとわからない。当地も不明で地名から想像するしかない。
『鉄の民俗史』(窪田蔵郎)

 〈 普通は金屋あるいは金谷と書いているが、金矢などと書かれるときもある。この場合の職人集団は鍛冶屋よりも広く、製鉄、鍜冶、鋳鉄のグループのほか、一部他の金属を扱う山師のような人びとも含まれていたかもしれない。東北では南部領の金屋や鉄山が多いが、仙台領になると烱屋が多くなる(八戸では烱屋は鋳物師)。兵庫県の朝来郡生野町には奥銀谷オクカナヤ、口銀谷があり、これもカナヤと呼んでいる。その付近の古文書、伝承などの調査、とくに周辺出土鉱滓の科学的データなどを累積していかなければ、どのような職種の人びとが居住していた地域なのか結論は出し難い。過日著者が三重県桑名郡の多度神社に参詣のため、参道を徒歩で行ったところ、神社の一つ手前のバス停は金屋であった。こうしたことも、現在ではまったく関係なくなっているであろうが、往時は金屋集団の人びとが門前町を形成していた聚落であって、金属に所縁の深い多度神社の氏子の中核をなしていたものでなかろうか。なお、城下町の町名にある場合は、藩侯の都市整備によって政治的に造られたものが多い。富山県の高岡市金屋町などがその例である…  〉 
川上谷川の上流部、須田の一つ上の集落。東山麓の東金谷、西山麓の西金谷、その中間の中島の3集落から成る。金谷村はもと畑村と一村であったと伝え、庄屋は両村で一人しかいず、明治初年まで正月には両村を回礼したという。当地の式内社三島田神社は現在金谷・須田・畑3地区の氏神であるが、往古は周辺10か村(須田・畑・金谷・市場・新庄・新谷・品田・市野々・布袋野・出角)の氏神であったという。
中世の「かなや」で、「丹後御檀家帳」に「一 川かみのかなや 家百軒斗」と見える。同書にはまた「一 川かみの屋まへ 家五拾軒斗」と見えるが、この「屋まへ」も金谷のうちと推定されている。
金谷村は、江戸期~明治22年の村。はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年宮津藩領、享保2年からは幕府領。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年川上村の大字となる。
金谷は、明治22年~現在の大字。はじめ川上村、昭和30年からは久美浜町の大字。平成16年から京丹後市の大字。


《金谷の人口・世帯数》 124・41

《主な社寺など》

式内社・三島田神社
三島田神社(金屋)
川沿いのタンボの中、小字今ゴ田に鎮座。熊野郡式内社に比定される。祭神は大山祇命で垂仁天皇の代に川上摩須の勧請と伝える。
宝物として鏡二面、次の鋳込み銘がある。「三島田大明神霊鏡、宝暦辛巳九月、鏡師京都田中伊像、七ケ村氏子中、三島田神社氏子中」(「社寺上伸書」金谷区有文書)。
祭礼は10月8日、9日(旧暦9月)。9日の太神楽舞の分担は金谷、たいまつをとぼし太鼓の先触れで神輿を先導する奴は須田、境内での相撲は畑と、それぞれ分担が決まっていたという。
『京都府熊野郡誌』
 〈 三島田神社 村社 川上村大字金谷小字今ゴ田鎮座
祭神=大山祗命。
由緒=式内社にして其の創立最も古く、丹後一覧記丹後旧事記等によるに、垂仁天皇の代川上摩須の勧請に係れるものにて、宝永三年の銘ある鳥居には、三島大明神と刻し、文政十二年の棟札には三島田明神と記し往古は三島明神にして後世三島田明神と改称せるものの如し、而して当社の別当としては神宮寺あり、廃絶して字海士宝珠寺に合併せりといふ。神社の東三町程にしてジンゴの森あり。神宮の森にして神宮寺の遺跡たり。此の神宮寺存立の年代等詳記せるものなく正確に知るを得ざれど、元境内に安置せる釈迦観音地蔵の三石仏あり、維新後境外に移転せるものにて、右石仏の裏面に神宮寺六十六部供養とあり片書に永享十二年庚甲六月十九日とあれば、神宮寺存立の年代を推察するに足る。永享十二年は今を距る事四百八十年前にして、神宮寺は当社の別当たりしなり。而も当社は元十ケ村の氏神なりしが、後世七ケ村となり尚分離の結果現今は金谷、畑、須田の三部落の氏神として崇敬せり。大正二年十月神饌幣帛料供進神社として指定せらる。
氏子戸数=貮百貮拾九戸。
境内神社。鎮守社。祭神=天穂日命、天思兼命。
     竹生島神社。祭神=不詳。  〉 

『丹後旧事記』
 〈 三島田神社。川上庄市場里。祭神=三島大明神 天神玉命。
 垂仁天皇の朝川上麻須良勧請なりと国名風土記に見えたり。

川上摩須郎。当国熊野郡川上の庄須郎の庄に館を造る開化天皇より崇神、垂仁の朝に至る。古事記に曰く旦波道主命娶川上摩須郎の女生御子比婆須姫渟葉田入瓊媛真 野媛薊瓊入媛朝廷別王以下五柱。川上摩須郎は将軍道主の命と共に当国に有て熊野郡川上の庄に伊豆志禰の神社、丸田の神社、矢田の神社、三島田の神社を祭る。  〉 

「室尾山観音寺神名帳」「熊野郡八十四前」
 〈 正三位 御嶋田(ミシマダ)明神  〉 

「丹後国式内神社取調書」
 〈 三島田神社
 ○【旧事記】天神玉食三島縣主等祖
【覈】川上庄市場村ニマス【明細】金谷村九月九日【道】所在同上【豊】同上大山祗神)(志は丹波志・豊は豊岡県式内神社取調書・考案記は豊岡県式社未定考案記・道は丹後但馬神社道志留倍・式考は丹後国式内神社考・田志は丹後田辺志)  〉 

神宮寺
当社の東300mほどに「ジンゴの森」(神宮の森)とよばれる地があり、ここに当社の神宮寺があった、のちに廃絶して海士村の宝珠寺に合併したという。
境外南西にある石仏群は、明治維新後境内から移したもの、石仏裏面に「神宮寺六十六部供養源貞総」とあり、また「永享十二年庚申六月十九日」と記し、この時期の神宮寺の存在が確認される。源貞総は畑(金谷)城主。
神宮寺地蔵(金谷)
そこの案内板には、
 〈 三嶋神社石仏
 ここに奉祀されている石仏は、三嶋田神社の東方「神宮(ジンゴ)の森」にあった、三六嶋田神社別当神宮寺の祭られていたものである。(別当神宮寺とは、神仏習合思想に基づき、神社に付属して建てられた寺で、祭祀や管理を司っていた。)
 神宮寺廃絶後、石仏は三嶋田神社境内に移転安置されていたが.明治初年の神仏引き分けにより、神社境外に覆い屋を建て、再び移転された、その後、昭和四十四年に行われた土地基盤整備事業により現位置に安置され、現在に至っている。
 中央の大きな石仏三体は釈迦如来を中心に左が地蔵菩薩、右が聖観世音菩薩である。
 釈迦如来の背部には「神宮寺六十六部供養、永享十二年庚申(一四四〇年)六月十九日」と記銘されている。
 また、聖観世音菩薩の背部には「千部経供養施主 源 貞総」の記銘が残る。
 この三体の石仏は、三嶋田神社の祭神の本地仏で、宝永三年に建てられた同神社の旧鳥居に刻まれている梵字、?(バク)(釈迦)、?(サ)(観音)、?(カ)(地蔵)とも一致する。(本地仏とは、日本古来の神に姿を変えて、衆生救済をされる仏のことをいう。これは仏か万物の根源である、という考えに基づいており中世においては、主の神社では本地仏が定められていた。)
 地蔵菩薩の左は、庚申塔で日輪月輪の下に「天の邪鬼」を踏みつけた三眼六臂の青面金剛が刻まれている。
 その左側の小祠は、基盤整備の際、小字イカシマ三五七番地付近より現地に移転されたもので、内部に五輪塔の水輪と六地蔵の刻まれた石幢の龕部が祭られている。この六地蔵は神宮寺地蔵菩薩と伝承されており当初祭られていた位置が神宮寺の跡とも推察される。
 聖観世音菩薩の右側には石祠を有する板碑がある。
 この板碑には、地蔵菩薩が彫られており、別名を麦飯地蔵と呼ばれている。古来より麦飯の嫌いな者がこの地蔵尊を信仰すれば、麦飯か好きになり、体も丈夫になると伝えられている。また、この地蔵尊は昔、狐に化かされた侍が刀で切りつけて二つになった、という話も伝えられている。地蔵尊の年代は、こに祭られている石仏中、最古のものと伝えられるが不明である。因みにこの唐破風造りの石祠は後から造られたものと考えられ、側面には「宝暦二年(一七五二年)七ヶ村氏子中」と刻まれている。
 その右には、宝篋印塔がある。これは宝珠相輪が欠けでいるものの「中心飾付格座間」を刻み、室町時代に造られたと伝えられる。
 その右側の大師像は明治時代初期に前述の覆屋を建てた際に合祀されたと思われる。
 最後に一番右側にある四体の地蔵尊は、現在地より北へ二百米の場所、通称チシャの木(小字古戸三〇八番地の東南隅附近)にあったものである。
これも基盤整備により.現在地に移転安置されたもので、その際、当初祭られていた地点から多数の灯明皿か゜出土したことが知られている。
 この他に現在、神社の前を通る道が古代の街道であったことが判っており、石仏の存在、由緒等と合せて歴史考察の上で大変貴重な資料となっている。
久美浜町教育委員会
金谷区  〉 

『京都府熊野郡誌』麦飯死蔵
 〈 石仏
 大字金谷に於ける釈迦観昔地蔵の三石像は、元三島田神社の境内に安置せし處なりしが、明治維新後神仏引分の際之を境外に移転し、境内地の西南端道路の傍に安置せり。右は神社の別当たりし神宮寺に於て供養をなし建立せし處たるは、同石像裏面の文字に明なり。
 石像は肉彫の立像にして、高さ五尺のものを釈迦の像といひ、同形式高さ四尺五寸のもの二躯之を観音地蔵となす。釈迦像といへる石仏の裏面には、神宮寺六十六部供養と誌し、片書に永享十二庚申六月十九日とあり、石の摩滅せる處ありて判読に苦しみしが、漸くにして其の字形を知るを得たり。永享十二年は大正十年を距る事四百八十一年前にして、観音の像なりといふ石仏の裏面には、千部経供養とあり傍に施主源貞総と誌せり。
 麦飯地織 前石像と同一場所に安置し、最も古き石像にて石の龕中に安置せる高さ二尺九寸肉彫の尊像なり。麦飯を厭ふ者信仰すれば、麦の美味を覚り嗜好に向ふの霊験ありといへり。此の石龕所謂上家の側面に宝暦二年七ヶ村氏子中とありて、石仏保存の爲其の当時石龕を作せしなり。七ヶ村氏子中とあるは三島田神社の氏子中にて、此の石像も境内に安置せし事を知らる。古石仏たれど年代の詳ならざるを遺憾とす。  〉 


子安神社
『京都府熊野郡誌』
 〈 子安神社 無格社 川上村大字金谷小字小宮
祭神=木花咲耶姫命。
由緒=創立年代等詳ならねど、安産の神として衆人の賽する者多く、境内に夫婦木とし椿樹の地上四五尺にして一樹となれるあり、此の樹間をくぐれば安産すといへり。  〉 


金谷城跡

東畑の裏山小字城地(しろじ)に畑城跡が残る。金谷村の谷に向けて道があり、城主の居館は金谷にあったとか、畑・金谷は一村であったなど説がある。金谷のケンケン寺谷には本丸とよぶ小高い山がある。畑城主は丹後国田数帳にみえる「川上本庄」のうち二六町九段三〇二歩を所有する伊勢肥前守とされ、のち暦応年中(1338-42)に野村氏が城主になったと伝える。丹後国御檀家帳に「川かみのかなや…、一城の主也 野村殿」とある。暦応年中、野村忠興が足利尊氏より丹後に1万石を拝領、天正年中、野村監物が豊臣秀吉に討ち滅ぼされるまで16代当地に住したという(天竜山大雲寺記録)。
『京都府熊野郡誌』
 〈 金谷城は字畑小字城地に在り。元来金谷畑は通じて金谷といひしが、後両字に分離せるなり。檀家帳に川かみのかなや一城の主也野村殿とありて、今を距る三百八十余年前の古城たりしなり。

大字畑小字城地に在り、元来字金谷及び畑は同一の大字にして、共に金谷といひしが、後世分離して畑区を為せる所たり。されば丹後国御檀家帳にも、川かみのかなや一城の主也野村殿とありて、大正十年を距る事三百八十余年前の古城たりしなり。城主を野村監物といへり。其の菩提所たる大字須田大雲寺に石碑及び位牌を存すれど、そは天明元年二百年之遠忌に際し作製せるものにて、野村監物卒去天正当時のものにあらざれば信をおき難きも、位牌の表には「当山開基天祥院殿高山宗桂大居士之位」とあり、裏には「畑村城主野村見物源忠通天明元丑天九月十五日 修二百年之遠忌立石塔竝木牌者也 現住相翁」とありて、遠忌を修せし事を知る。さて金谷城は元伊勢肥前守の居城にして、野村氏其の後を襲へるものの如し。以上は史乗に現はれたる古城址にして、其の他布袋野にも現今愛宕神社を奉斎せる城山あり、落城の際の遺物として現今尚焼米の土中より出づるあり、大字出角にも城山といひ小字を城の谷といへり、安達兵庫之輔居城の跡なりといひ伝ふれど文献の徴すべきものなし。  〉 


《交通》


《産業》


金谷の主な歴史記録


『丹後国御檀家帳』
 〈 一川かみのかなや  家百軒斗
 一城の主也     野村殿の御内かへしする人
 野  村  殿    小 田 中 殿

一川かみの屋まへ  家五拾軒斗
 田中はやし神右衛門殿 木戸五郎九郎殿  〉 

集落の西の谷から中島の間に横枕という小字が残る。宗雲寺過去帳に「山べの横まくら」との記載があることから、丹後国御檀家帳に「川かみの屋まへ 家五拾軒斗」とあるのは金谷村の地内にあたると思われるという。


『丹哥府志』
 〈 ◎金屋村
【三島田神社】(延喜式)
三島田神社今三島大明神と称す。(祭九月九日)  〉 



金谷の小字一覧


金谷(かなや)
北谷 中尾 南谷 滝ノ下リ 紋谷口 戸石場 ケン々寺 堂谷 青地口 ヌカミソ 小三郎 神子谷 市場堺 ヨノ木ノ下 宮ノ下 古戸 クゴ田 谷口 下ノ谷 上ノ谷 下地 上地 上河原 畑堺 深田 棚田 上西谷 横枕 イカシマ 実塚 五反田 クゴ 砂田 曲リ 茶円ケ谷 トクラ坂下西谷 クモノ木 宮ノ前 赤崎 宮ノ上 今ゴ田 須田堺 上東ケ坪 東ケ坪 豊田 青谷 谷 西谷 青地 石田 中嶋 高クロ 七反田 宮ノ後 京泉 才ノ神 大ダモ クレカケ チサノ木 角田 地蔵 今ゴ田 フルカワ

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹後資料叢書』各巻
『京都府熊野郡誌』
『久美浜町史』
その他たくさん



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