三河(そうご)
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京都府福知山市大江町三河 京都府加佐郡大江町三河 京都府加佐郡有路下村三河 |
三河の概要《三河の概要》 三河は由良川下流域の左岸、支流三河川の流域に位置する。下は高津江、上は北有路、対岸は二箇である。 三河村は江戸期〜明治22年の村名。三河は明治22年〜現在の大字名。はじめ有路下村、昭和26年からは加佐郡大江町の大字、平成18年からは福知山市大江町の大字。 《三河の人口・世帯数》133・39 《主な社寺など》 由良川の川底から縄文式土器が出土し、縄文前期遺跡(三河遺跡)とされる。また古墳(三河古墳)も確認されている 鶴ケ尾神社 氏神は隣村高津江の高吉明神 檀那寺は隣村北有路の曹洞宗光明寺 《交通》 国道175号 《産業》 三河の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》〈 三河村 明見と云う大石二柴庵あり、この二ケ村串柿を商ふ事凡そ家業の半分なり。 〉 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 定免七ツ二分 三河村 高百三拾六石九斗四升 内六斗 万定引 七石御用捨高 明見卜云大成石弐ツ 〉 《丹哥府志》 〈 ◎三河村 【荒神社】 【妙見入道城墟】 【付録】(愛宕社、秋葉社、稲荷社、観音堂) 〉 《加佐郡誌》 〈 三河、高津江の二ケ字はもと志託郷岡田庄に属していたものである。高津江の西南丘上に廃跡がある。一色氏の臣荒賀五郎八の城址であったとか。 〉 伝説など 『大江のむかしばなし』 〈 狸のすもう 三河 山中 美津子 むかし、大良(だいら)いう山があってな、大きな高いとこな。高い山ですわいな、それこそ三時間ほども行くような山に、そこの炭焼きしとる人があってね、私らの部落に。そこのおっさんがなあ、小坊さんとすもうとったいうて、そしたら狸やったって。そんな話聞きますで。 〉 三河の小字三河 坪尾 スルタ 松ノ木前 善光谷 舟戸 渡り所 谷合 岩花 惣谷 根来 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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