高野由里(たかのゆり)
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京都府舞鶴市高野由里 京都府加佐郡高野村高野由里 |
高野由里の地誌《高野由里の概要》 高野由里は西舞鶴の南部。高野川の中流に位置する。KTR宮津線、東西に府道志高西舞鶴線(旧河守街道)。高野の谷の出入り口にあたる。地名の由来は、由里は出入口を意味し、高野の入り口に位置することによるという。また首里の転訛ともいう(加佐郡誌)が、おそらく違うだろう。 東北端の山麓谷間に寿住宅があり、宅地分譲も進む。 高野由里村は江戸期〜明治22年の村名。同22年高野村の大字となる。昭和11年舞鶴町、同13年からは舞鶴市の大字となる。 《人口》434《世帯数》158 《主な社寺など》 一色氏家臣今安相模守貞平の高野由里城 日吉神社 山神社 高野小学校 《交通》 高野由里の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》〈 山王権現、油里、野村路両村の氏神なり、峯薬師堂あり。昔今安相模守山城に住す、細川越中守在々の小城潰す、その時今安地下へ下り土民の木屋の端に夫婦蟄居す、細川これを聞きたまひ追出し真倉下近くまで行きたるを鉄砲を以て打たるとなり。 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 高野由里村 高三百八十一石九升 内五石八斗三升三合三勺 万定引 六十石御用捨高 古城 今安相模守 山王 野村路村 由里村 ノノ氏神 六月十二日夜祭 相撲 峯薬師 〉 《丹哥府志》 〈 ◎由里村(引土村の次、以下四村高野の郷といふ、城の西南にあり) 【山王権現】 【峯の薬師】 【今安相模守城墟】 〉 《加佐郡誌》 〈 高野由里は旧くは単に由里といって高野村の出入口である。岡田由里、河辺由里など考へ合せると由里は或は入口の意味を有する語であるとも考へられるし又首里の転訛であるともいはれているが付会の説に過ぎない様である。中筋村字引土との境にある引地に山城址がある。東西二十五間、南北二十間足利氏の晩年に一色氏の臣、今安相模守貞平が居った所であると云ふことである。細川氏の丹後に来ると間も無く追はれて民間に下った。後胤は現存している其宗家は今安四郎左衛門である。 〉 《地名辞書》 〈 或云、和名抄の高橋郷は今詳ならず、本郡に岡田村の首里を由理と云ひ、河辺村高野村の首里いずれも由里と云へり、由里の名義を詳にせず、或は疑ふ高橋は高野の誤にして、即田辺の南なる高野村かと。又云、和名抄の刊本に田辺郷を田造郷に謬る。今高野村大字女布(古訓メフならん)に延喜式目原メフ神社あり、又隣村池内の大字今田に延喜式倭文シツリ神社あり、舞鶴の南二里にして分水嶺あり真倉峠と云ひ、何鹿郡綾部山家に通ずる坂路とす。 〉 《まいづる田辺道しるべ》 〈 高野由里 高野由里の地名については、地名学者である吉田金彦先生の説によると、 「由里という語は、もともとは、身を寄せるという意で「ヨリ」「ヨル」が「ユラ」「ユリ」「ヨリ」となり、人や魚などが寄り集まって来る処という」 又、高野由里は、古くは単に由里と称し、「首里」の転訛したものともいわれている。 当市には「岡田由里」「河辺由里」と同じ地名があり、いずれも同じ様な地形にあり、一説には、由里は「出入口」の意ではないか、或いは「入口」の意ではないかともいわれている。 高野由里の高野川沿い、小字才ケ日向より、女布へ通じる三叉路に、現在道標が立っている。この道標は、元はこれより西方(上流)約百メートルばかりの高田穣氏と高田いよ氏との宅地の問に、女布へ通じる古い道(現在はない)の岐路に立っていた。その後、高田穣氏が現在地へ移設したという。 この古い女布道より、川向の字後山へ渡る橋が架かっていた。この橋が明治十三年の地図に書かれており、この道は、かつて女布より後山へ渡り、八田峠を越え引土へ通じる道であった。この橋は、現在なくなっているが、橋跡には橋桁に使われた石が今も残っている。 ここに立っている道標には、 すぐ河守 左 天王 道 と書かれており、この道標が、いつ頃建立されたか銘記が無く不明であるが、この石に書かれている「すぐ河守」の「すぐ」は、真っすぐこの道を行くと河守であるとの意で、「すぐ」そこに河守があるという意味ではない。 「左 天王道」は、女布の金峰神社のことで、この神社には、牛頭天王が祀られている。牛頭天王は、薬師如来の化身で祇園精舎の守護神であるといい、又、牛の神様ともいわれている。… 〉 高野由里の小字高野由里 コエジ 下広丁 水戸 松ケ崎 深田 ソリ 八田谷 後山 才ケ日向 ユリ下 引地 タワノ段 善寿寺 鳥居河原 上広丁 砂ゴ田 深迫 大クゴ 谷田 中西 小西 五反ガケ 辻 オクラ 坂尻 朝代 堀 家下 アマ谷 藤ノ木 ユウ谷 花ノ木 カンジリ マカベ 岩坪 垂水 岩鼻 荒山 石ケ坪 城ケ越 ソリ本 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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