吉野(よしの)
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京都府舞鶴市吉野 京都府加佐郡朝来村吉野 |
吉野の地誌《吉野の概要》 吉野は朝来谷の中ほど、朝来小学校南側の山麓の集落。明治40年までは下谷といっていた。 ここも海軍第三火薬廠に旧地を取られたと思われるが、それを記したものに出会わない。村の位置が変わっているかも知れない。 裏山に銀鉱山があった。伝説では南朝の皇族が隠遁した地とされ、その宿所であったという奥宿・中宿の家があり、御所ケ谷の地名がある。そうである。 《人口》124《世帯数》52 《主な社寺》 稲荷神社 《交通》 《産業》 農業 吉野の主な歴史記録《丹後国加佐郡寺社町在旧起》 〈 下谷村 〉 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 定免六ツ五分 下谷村 高弐百四拾石 内弐石弐斗壱升四合五勺 万定引 四拾三石御用捨高 〉 《丹哥府志》 〈 ◎下谷村(白屋村の次) 〉 《朝来村史》 〈 吉野 古来下谷村と称し来たったが、明治四年十二月二十九日吉野村と改めた、戸数二十・副業を営まず田畑本位の純農を以て明治、大正まで一貫し舊高二百四十石、貢率セツ六歩である。此持高は白屋、登尾の一倍半、笹部の四倍半、朝来中の二倍に達する一戸当り平均に相賞する。更に畑地、山林も多くの面積を有し郡内にも比類尠き地所持部落なりと申傳えられた。然りながら今少しく其内容を調べ見る時矢張り他の村持との差格別大して多いとばかり謂へないこともある。即右二百四十石の内百十石は倉内三家に於て所有し、残り百三十石を十七戸に割当する時は平均一戸の持高七石六、七斗を出でないので敢えて白屋、長内、登尾等と大差なき田畑の割合となる訳である。 地勢南方に高き山を抱擁し、北方河流を通じ更に小丘の東方に横たはるあり、朝の陽光を遮ぎり西日は強く照射するを免がれない。地相鑑定者に謂はしめば或は此土地に進取の気概に富める人の輩出し難きを評するやも知れない。併かし常に南及西南の強風を防ぎしかも百日の旱天にでも枯渇する例めしのないと謂う清清冽の谷川がある。普通に働きさへすれば貧乏せすに暮してゆける安全の理想郷、然れば住民一般質実温良、徳義に篤きを以て識られ特に神事、仏縁奉仕等に於て懇切局到なるを傳統的に行ひ来つてゐる。昭和聖代となり軍港勤務者の多きを加ふると共に普遍的に生活向上しつゝあるのは当然のことである。 休鑛山と戦跡 小字東山の奥に昔の堡塁らしきものあり石垣等現存する。又上戸谷元林家の住まひし屋敷の上なる山嶺にも廣き平地がありて防塞を築きたらん跡を存するけれども確たる文献を有せないのは遺憾である。小字東山の奥、行者さんを祠つれる向ふに以前鑛物を発掘せし地点あり、銀を産出したと請うが嫁行績かず廃坑となってゐる。 馬田の傳説 朝来中と吉野は戦国時代、或は夫れ以前に於ても時に戦乱の巷であったことは疑えない。慶長五年大阪方の将小野木縫殿助田辺城を攻め、細川氏と戦ふや郡内の要所を占領し其勢侮るべからざるものありし当時小野木の偏将某朝来谷を其手に収め、中村の小野山に陣せし事がある。其頃のことならんか戦闘中の一武士が乗馬傷き斃れ、愛惜の清に堪えずして愛馬の死骸を隙を見て田圃の中に埋め、其盛り土の上に一本のむらの樹を植え附けておいたと謂うのである。後年此のむろの樹は大きくなって遠方からでも見られるので馬田、馬田と称するにいたった。里人の傳説の儘を記す。 参考 宝暦十四年当時の下谷村十九軒の家名 倉内四郎左衛門 倉内七兵衛 才助 久左衛門 太兵衛 市左衛門 清左衛門 藤兵衛 清右衛門 彦左衛門 與兵衛 惣右衛門 長左衛門 小右衛門 久兵衛 長右衛門 弥平 五兵衛 吉兵衛一、 瑜伽神社 字吉野小字東山鎮座 祭神 岡山県県社瑜伽神社祭神分霊 一、由緒 不詳 一、信徒人員 吉野全区 瑜伽宗と謂うがあり昔印度の世親の開いた宗派である。瑜伽とは「相応」の義、主観、客観の合一不二と唱えた。瑜伽三密と謂ひ瑜伽宗で其教義を実行する爲、身、語、意の三つに就き修することを謂うのであるが岡山の瑜伽神社は今尚神道と佛道と二様に祀つられてある。兎に角非常に信仰を集めた神様であるから吉野の人々丁寧にお祀りしてゐる。 瑜伽神社の境内に稲荷神社を奉斎しあり尚最近、荒神社、秋葉神社を移転、鎮斎し結構なる神域となってゐる。 〉 瑜伽というのはヨーガ(ヨガ)でよく知られるが、どうしたここにあるのだろうか。 《加佐郡誌》 〈 吉野は明治四年十一月からの名で昔は下谷村といった。 〉 吉野の小字吉野 イモジ 桜ヤブ アザミ 西山 奥山西 奥山 奥山東 東山 上戸谷 狸カケ 中山 東角 岸下 万留 大ヤブ 林前 長通 六地蔵 林 林下 京塚 縄手上 縄手下 中ゴ イジリ 村口 村中 村奥 相山 サコ 西ノ下 岸ケ前 清水元 五反田 大石垣 コオノス 宮ノ前 タモノキタ 立石 宮ノ下 大師山 関連項目 |
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