挙野(あげの)
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福井県敦賀市挙野 福井県敦賀郡東浦村挙野 |
挙野の概要《挙野の概要》 三方から「嶺」が迫る山麓の小台地上、国道より少し高い所にある。西は敦賀湾に面し、「嶺」の本体が海に落ちているところ。南は五幡。7軒ばかりの小集落なので、五幡の一部かと思い、まさか独立した村だとは思わずに、つい通り過ぎてしまう。国道8号はこの先は海岸沿いなり、トンネルや落石防止のためのものかトーチカのような頑丈な半トンネルのような道になる。昔はこの海岸沿いの道はなった。国道から分岐した市道が集落に入り、東側の段々畑と谷川沿いの山路を進み、利椋峠から阿曽に至る山路が古道であったという。 中世の上野浦は、戦国期に見える浦名。元亀2年(1571)4月2日の五幡浦刀禰・江良浦刀禰・挙野浦年行事等連署言上状に「上野浦年行事」と見える。これは近江の塩商人の獺谷道に関する訴訟に際して「浦々百姓」も塩商人と同心なのかとの朝倉家家臣の尋問に対して答えたもので、当浦の浦役人は刀禰ではなく年行事と呼ばれていたこと、当浦の塩が近江商人に売られていた可能性のあることなどがうかがえるという。慶長国絵図では五幡浦289石余の一部。 近世の挙野浦は、江戸期~明治22年の浦名。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)鞠山藩領、明治3年小浜藩領。享保12年(1727)の家数9(高持4・無高5)・人数52、牛3、塩かま屋2・塩高42俵余。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に、戸数4・人口31。「傍ラ採薪並ニ水路運送ニ従事ス、古ハ塩焼ヲ事トセシカ塩田激浪ノ為メニ埋没セラレタルヲ以テ近世後之ヲ止メタリト云フ」と記す。同22年東浦村の大字となる。 近代の挙野は、明治22年~現在の大字名。はじめ東浦村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西20間・南北23間、戸数4、人口は男15 ・ 女9、小船1。 《挙野の人口・世帯数》 16・7 《挙野の主な社寺など》 八幡神社 『敦賀郡神社誌』 村社 八幡神社 敦賀郡東浦村挙野字堂ノ脇
位置と概況 本區は南方五町にて五幡區に、北方約十七町にて阿曾區に隣してゐて、北陸街道より一町餘の東方山麓にありて、戸数僅に六戸で、東南北の三面は山に包まれ、西方は海に臨んでゐる。往昔は舊北陸街道に沿ふてゐたが、新に北陸道の開通を見たので、今は里道となつて存置され、奈良平安朝時代より明治初代に至る、交通文化の變遷を物語つてゐる。氏神八幡神社には、白山大神を相殿として奉祀されてゐる。境内は區の東北端で極めて狹い、山麓に拜殿あり、其の側に薬師堂がある。こゝより五十九段の石階を上りて本殿に詣づる。社地に連続せる廣き私有林は、一見社域の如くなる雑林で、鎮守の森をして一層廣大ならしめてゐる。本殿は西南に面し、當區附近での景勝地である。 祭神 應神大皇 相殿 菊理媛神 伊弉諾命 伊奘冊命 由緒 按ずるに、當社の創立年代等は不詳であるが、往昔より俗に宇佐八幡社と尊崇した。相殿の白山大神は、往昔加賀國から來た人が、故ありて當區刀禰市左衛門の家僕となり、永年忠實に勤勉主家に仕へ、そして生国の氏神白山大権現を奉斎して、朝夕崇拝したが、其の後刀禰家の分家として一家を創立せしめた際、八幡神社の相殿に奉斎したと傳へてゐる。明治十一年頃村社に列せられ明治十六年十二月二十八日祭神脱漏につき編入の許可があつた。 祭日 例祭 四月十五日(元舊四月八日) 祈年祭 三月二十四日 新嘗祭 十一月二十五日 九月節句と獻供 九月九日は九月節句と稱して、糯米の蒸したものを刀禰皿に盛り、これに柳箸を添へて神前に献供する古風がある。この糯米は、その年の九月八日の晩までに苅り取つた新穀を、精米にして作った初穂である。 薬師堂 小さな村の故か寺はない。元禄5年(1692)6月の福伝寺ニ付出入覚書に「源誉相果被申候後寺たいてん仕、五幡浦西勝寺と申寺へ参詣仕候、此西勝寺ハ五幡と挙野浦との堺唯今浜ニ罷成候所ニ寺御座候ニ付、江良・五幡・挙野三ケ浦参詣仕候」とある。当浦衆は遅くとも宗門人別改が行われた寛永12年(1635)には五幡の浄土宗西勝寺檀徒になったという。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 挙野の主な歴史記録挙野の伝説挙野の小字一覧挙野 トクラ谷 山田 ミチノ上 トチ木谷 ハシゴダ 中ノゲムダ ハシノゲムダ ウスノ元 ムガ山 カミノ上 堂ノ脇 ドド岩 村下 ヲリト 浜田 丁田 向平 大兀 利椋 谷山 堂後谷 長谷関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『敦賀郡誌』 『敦賀市史』各巻 その他たくさん |
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