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旧・愛発村(あらち)
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旧・愛発村の概要《旧・愛発村の概要》 旧愛発村は敦賀市の南東部、滋賀県との境になる山中である。 『敦賀郡誌』に、 愛發村
愛発村は、明治22年~昭和30年の敦賀郡の自治体。笙ノ川と支流五位川流域の低平地に位置する。市橋・疋田・追分・駄口・山中・奥野・曽々木・麻生口・奥麻生・新道・刀根・杉箸の12か村が合併して成立し、旧村名を継承した12大字を編成した。明治22年疋田に役場を置き、翌23年曽々木に移転したが、同28年の大洪水で書類が浸湿したため、翌29年再び疋田へ移転した。中郷村の南にあり、東南は近江國伊香郡に接し、南の一部は高島郡に接し、西は粟野村に接し、北は中郷村及東郷村に接す。村内に愛發山あり、村名此に負ふ。 同45年刀根に信号所が設置され、大正5年刀根停車場と改称。昭和2年度の乗降客は、疋田駅3万2,000余人、刀根駅1万5,000余人。 明治28年7月の大洪水で椿坂川(余呉町)の堤防が決壊し激流は刀根隧道に入り、さらに刀根を流下し鉄道線路を破壊、民家・耕地を流した。これにより建物の流失倒壊64棟、田畑の荒地化したもの40町余、不毛地45町余に及ぶ被害を出した。 明治25年疋田に愛発尋常小学校を置き、駄口・麻生口・刀根・杉箸に分教場を設置。同34年麻生口・刀根・杉箸の各分教場を独立させ西愛発・中愛発・東愛発各尋常小学校と改称、駄口分教場は西愛発尋常小学校駄口分校となる。昭和28年西愛発小学校・愛発中学校山中冬季分校を開設。 昭和2年当村に電話は停車場や巡査駐在所などにあるだけで民家には1台もなく、ラジオは5~6軒にあった。大正8年疋田・市橋に電灯がつき、駄口集落全戸についたのは昭和30年末。 昭和26年敦賀~木ノ本間を国鉄バスが運行し、僻地の不便な地とされていた奥部の新道・奥麻生・麻生口・曽々木をはじめ、疋田は汽車・バスともに至便となった。 同30年敦賀市の一部となり、当村の12大字は同市の大字に継承された。 旧・愛発村の主な歴史記録![]() 関連情報![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『敦賀郡誌』 『敦賀市史』各巻 その他たくさん |
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