旧・粟野村(あわの)
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福井県敦賀市関・金山・野坂・砂流・櫛林・莇生野・市野々・野神・和久野・公文名・御名・長谷・山 福井県敦賀郡粟野村 |
旧・粟野村の概要《旧・粟野村の概要》 旧・粟野村は、明治22年~昭和30年の敦賀郡の自治体の名。敦賀平野の南西部に位置し、西の井ノ口川、東の黒河川がそれぞれ扇状地を形成する。 関・金山・野坂・砂流・櫛林・莇生野・市野々・野神・和久野・公文名・御名・長谷・山の13か村が合併して成立し、旧村名を継承した13大字を編成した。村名は中世の 黒河川上流の黒河山は、もと櫛林・御名・公文名・砂流・山の5か村の入会山であった、明治9年に官有林に編入された。これに対し同28年から黒河山の下げ戻し運動が5か村を中心に起こり、村会の決議を経て繰り返し申請が行われたが、同42年結局認められず、国有林所属が確定した。 明治28年木ノ芽・疋田・笙・黒河などの河川が集中豪雨により氾濫し敦賀郡内の各所に被害をもたらした。当村は人家流失2・全壊1・半壊1・破損2・浸水59、山崩壊42か所、荒廃田畑35町、作物の損失1万7,000円の被害となった。翌29年には暴風雨で人家のほかに粟野村の丹後街道の並木が大きな被害をうけた。同30年、黒河川増水の際の放水池としての機能を果たしていた金山の井ノ口川右岸の畑地・原野に連隊兵営が建設されることになったため、井ノ口川の改修工事が行われることになり、同31年に着工、河身の付け替えを中心とする粟野村管轄部分が大正2年に竣工した。 昭和30年敦賀市の一部となり当村の13大字は同市の大字に継承された。 旧・粟野村の主な歴史記録関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『敦賀郡誌』 『敦賀市史』各巻 その他たくさん |
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