丹後の地名 越前版

越前

駄口(だぐち)
福井県敦賀市駄口


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福井県敦賀市駄口

福井県敦賀郡愛発村駄口

駄口の概要




《駄口の概要》
市街地の南方、七里半越えの峠の途中にある。東西は山地。集落は国道161号(旧山中越)西側にある。地名の由来は、地内を西近江路が通り、かつて宿場をなし、荷馬運送が行われていたことに関係しているといわれる。俗謡に「行けば山中もどれば駄口 馬の背を解く五位の川」が残る。
中世の田グチ。戦国期に見える地名で、「冷泉為広卿越後下向日記」延徳3年(1491)3月6日条に「田グチ〈里〉」と見え、冷泉為広は近江から越前に入り、最初に当地を通っている。慶長国絵図には駄口村と見えるが高は疋田村666石余に含まれる。
近世の駄口村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)からは小浜藩領。享保12年の家数24(高持7・無高16・寺1)・人数134、馬8。敦賀から当村・山中村を経て京畿に向かう七里半越(西近江路)は馬足道とも呼ばれ当村はその宿駅の1つである。駄口宿は冬季(11月~1月)3か月間を除く下り荷の荷継場で、問屋1軒、ほかに茶屋兼宿屋1軒があった。宿場としての性格は山中村に比べると薄く、住民は生活の基盤を農業におき飼っている駄馬により副業的に街道で駄賃稼ぎを行った。「雲浜鑑」に家数25。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に戸数25(全戸農)・人口118、産物は麻11貫余・葉煙草10貫余・製茶96斤・炭7,528俵・桑725貫。同22年愛発村の大字となる。
近代の駄口は、明治22年~現在の大字名。はじめ愛発村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西32間・南北2町余、戸数26、人口は男61 ・ 女60。養蚕は明治期から大正期にわたって行われ、製炭は明治末期に起こり、大正期から昭和10年頃までほとんど全戸が炭焼きに従事した。

『敦賀志』
駄口村 追分の南疋田より一里
氏神山王権現・山神社愛染社有、浄翁山清光寺(浄土宗原村西福寺末)此村人馬の駅にて海津より爰につぐ、冬十一月より春三迄ハ、雪ふかきに因て、海津より山中につぐ、
冬期は通行不能だったよう。しかも「安政三年深坂街道開馨アリシヨリ本村ハ旅人ノ往来ヲ減シ、物品運送ヲ業トナセシモノハ生計ヲ失フヲ以テ漸ク衰」えた(滋賀県物産誌)。


《駄口の人口・世帯数》 11・7


《駄口の主な社寺など》

日吉神社

氏神の日吉神社。弘長2年(1262)の創立という。旧村社。近代に入り追分の日吉神社に合祀された。
『敦賀郡誌』
駄口 追分の南に在り。藩政時代の宿驛なり。 氏神、日吉神社、弘長二年三月創立、文政三年四月再興、明治十一年三月村社に列せらる。今は追分日吉神社に合祀す。 清光寺(浄翁山)浄土宗鎮西派、原西福寺末、慶長五年三月、慶讃開基。

浄土宗浄翁山清光寺

慶長5年(1600)慶讃の開基と伝える。


《交通》
一里塚
江戸初期に設けられた一里塚が集落の南はずれ、国道161号沿いに現存している。

「福井県」と刻まれているから、この塚石は明治になってからの物であろうか。

《産業》


《姓氏・人物》


駄口の主な歴史記録



駄口の伝説

『越前若狭の伝説』
村田家の弥陀仏   (駄口)
駄口の村田家に安置されてある阿弥陀如来は、像の高さが約三尺あり、京都の誓願寺および大和の長谷寺の阿弥陀如来像と同一木、同一仏師の彫刻したものであるという。むかしこの阿弥陀如来を江州の某寺に譲ったが。一夜村田の主人の夢の告げに、「おれを早く迎えに来い。」と仰せられ、また江州の某寺の僧には、「おれを早く愛発へ帰さないと、その方に不幸がある。」と告げたので、ただちに村田家にもどしたという。なおこの如来は、日毎のお守りの良否によって、お顏の相が変るという。           (福井県の伝説)

稚子桜      (駄口)
駄口から七八町川をさかのぼると、義経の笈(おい)掛松があって、その下方にみごとな一本の桜があった。里人はこれを稚子(ちご)桜と呼んだ。この桜は、乳の出ない婦人に乳を授けるという。付近の乳の出ない婦人が、米を持参してこの桜に供え、祈願してからその米を持ち帰って、かゆをこしらえて食べると不思議に乳がでたので、婦人の信仰心がいよいよ厚くなった。それでこの桜の枝に指を触れるのを遠慮した。しかし五六十年前(昭和十一年起算)、何びとかの手によって、この桜の木は伐採せられた。    (福井県の伝説)

不動の滝   (駄口)
駄口から西の谷へ約半里入ると、岩壁に滝がかかっている。これを不動の滝といっている。水の量はさほど多くはなく、滝つぼも浅い。この滝の岩壁に数体の如来がまします。常人にはこれを見ることができない。ごく善良な人が、この滝に面すると、光明が輝き、あまたの如来を拝することができるという。霊験きわめてあらたかで、誠心こめて祈願すると、諸事ことごとく聞き召されるので、里人はもちろん敦賀方面にも尊崇者は多く、不動会を設けて。毎年春には参けいをおこたらない。
    (福井県の伝説)



駄口の小字一覧

駄口  下焼山 上焼山 ドンド 六路勢 細廻 ハゲ尻 大田 丸山 稲葉 蛭ケ谷 西側 神田 懸ケ戸 小木原 下向山 上向山 川向 久保 宮ノ脇 上ノ山 小谷 道辻 日永谷 奥日永ケ谷 南日永ケ谷 落シ田 中辻 平瀬 小屋ケ谷 笹ケ谷 割谷 丸岡 二ツ川 上川向 一里塚 紅葉原 今坂 権現 五位川 権現谷 尻掛谷 池ノ谷 丸岡山 勝負花 抜ケ戸 笹ケ谷山 割谷山 小屋ケ谷山 日永ケ谷山 小谷山 掛ケ戸山 土橋谷 蛭ケ谷山 細廻山 トント原 焼山 源右衛門山 海老坂 轆轤師谷 狼谷 下川向 東山 紅梅原 当ヒ谷 今坂山


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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