丹後の地名 越前版

越前

木崎(きざき)
福井県敦賀市木崎


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福井県敦賀市木崎

福井県敦賀郡松原村木崎

木崎の概要




《木崎の概要》
国道27号の北側、ひくい山並が見えるが、そのふもと、敦賀自動車学校があるあたり。
中世の木崎郷。南北朝期~戦国期に見える郷名で、敦賀郡野坂荘のうち。延文2年(1357)5月8日の某長丸名名主職宛行状に「木崎郷内長丸名」とあり、藤原氏女に宛行われている。同名名主職を応永11年(1404)6月11日に西福寺に補任した泰遍は当郷の地頭かという。その後室町期・戦国期を通じて、寄進や買得などにより郷内の土地が西福寺や永厳寺・金前寺などの寺領となった。当郷内には長丸名のほかに、重国名・久乃・助近名・阿密・砂田・一王丸・近光・傍世・八段田・竜躰・かさ平ミ・高木・カネト・コホシノ本などの名や字が見える。永正16年(1519)12月12日、木崎郷の惣有田を売った時の売券には忠衛門以丁10人の百姓が連署している。
近世の木崎村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)からは小浜藩・鞠山藩の相給。享保12年(1727)の家数56(高持26 ・ 無高29 ・ 寺1)・人数293 (男140 ・ 女153),馬3、入本銀42匁余・牛馬銀22匁余・入草銀9厘余・雉子札銀1匁・小鍛冶米1勺余・夫役7分・夫米5俵2斗余・馬足25匹を負担。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」によれば、幅員は東西13町余・南北10町余、戸数51 ・ 人口286、田地85町3反余・畑地4反余・山地7町9反余など、産物は筵3,000束・粳928石・糯96石など。同22年松原村の大字となる。
近代の木崎は、明治22年~現在の大字名。はじめ松原村、昭和12年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西4町余・南北2町余、戸数50、人口は男135 ・ 女169。.昭和44年一部が平和町となる。


《木崎の人口・世帯数》 2201・932


《木崎の主な社寺など》
天満神社

『敦賀郡神社誌』
…鎮守の社は區の南方西端の山麓にて、域内入口の社標の邊から石燈籠・鳥居を過ぎると、その側に「木崎の大杉」と呼ぶ老杉一株が亭々として天を摩し、他木に秀で幹囲一丈八尺餘に及んでゐる。こゝより石階六十五級を上ると北面した拜殿に至る。これより本殿に詣づべく進めば、正面に高さ二尺五寸の石垣を築き、その中央に四階の石段があるこの上の左右及び東側は石玉垣を繞らしてある。この域内に本殿は南面して鎭座し給ふ。拝殿の西隅に當る小高き所に石階十級を設けて、境内社の日吉神社が鎭り、又拜殿より稍々隔てた東方南端の平地には神明社が鎭り給ふ。社域り東方崖下には浄土宗の一寶治院があり、東北方は開けて氣比松原の風色や又これに績く敦賀灣を望んでゐる。西北の一部は山麓にて松・椎等多く、特に社後り椎樹數株は古色蒼然で山色の靜閖幽雅と相和して賽者の心境を清め、氏子一團の活動も此の森嚴なる神域を中心として發動してゐる。
祭神 菅原道眞公
由緒 按ずるに、當社は往昔より天神社と尊稱して、八王子ノ宮を祀るという謂ふ説あるも、當社域内接続地に八王子社の神祠があるので、此の兩社を混同した説であらう。敦賀志稿によると、當區には天神社と八王子社とが記されてあるが、今は明細帳の祭神に從ふたのである。明治維新神社制度の改新に際し天満神社と改稱し、明治九年七月十七日村社に列せられた。社殿は明治三十六年八月十一日御炎上の亊あつで、同四十二年六月再建し奉り、大正四年一月十六日神饌幣帛料供進の神社に指定せられた。
祭日 例祭 四月二十五日 祈年祭 三月二十五日
   新嘗祭 十一月二十五日
本殿…
境内神社
日吉神社 祭神 大山咋命、大物主命、火産靈命
由緒
 明治三十六年八月十一日、本宮天満神社御炎上の際共に焼失し、同四十二年六月再建した、其後四十三年三月一日金毘羅神社祭神大物主命、秋葉神社祭神火産霊命を合祀し奉つた。而して兩末社を俗に山神樣と稱へてゐる。
神明神社 祭神 天照皇大神、豊受大神
神社附近の舊蹟 當區墓地に古墳がある。石槨は花崗岩にて圍み、往時内部より劒一振・金環一個及び土器類數點を出土したと云ふ。
尚區の西南端の山麓にて、人家より三十數間を隔つた西麓に(墓地に至る細き道に沿ふ)二箇所の横穴式古墳がある、現今破壊されて全く原形を失ひ、纔に墳穴を推想するのみである。

当社は山城の跡ではなかろうか。木崎は柵前(きさき)であろうし、このあたり山城を築くに適した塩梅のよい山となれば、この山(木崎山)しかない。この参道は山城の大手道、ゼッタイに古代の山城だとワタシは見るのだが、そうし記録は見当たらない。


曹洞宗宝治院
天満神社のすぐ隣にある。何かヤカタがあった跡地かも…
『敦賀郡誌』
寶治院、淨土宗鎭西派、原西福寺末、同寺二世良信開く、もと西福寺掛所たりしが、明治元年冬和尚寺となる。
山縁の墓地に古墳があり、三尺に六尺の石槨は花崗岩で囲まれ、明治末年に剣一振・金環一個・土器数個が出上。ほかに、横穴古墳が二基ある(敦賀郡誌)という。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


木崎の主な歴史記録




木崎の伝説






木崎の小字一覧

木崎  鰻穴 縄田 大円 南サマナシ 北サマナシ 流山道 樋詰 六反田 南牛丸 牛丸 三反田 松ノ角 神田 助広 上広ノ田 高土手 中ノヲサ 白丸 向河原 上野田 深沢 出川 湯ゴモ 八反田 辻堂本 通道 西子 五反ヲサ 佃 藤ノ木 四ツ屋 モロノ木 上海道 西中道 東中道 大門通 免田 南溝尻 上三田 北溝尻 南湯詰 一杷丸 堀ノ内 後久 油田 北湯詰 溝端 兼戸 三太夫 桑塚 池田 西松本 東松本 南松本 椎ノ木 大田 小川通 山脇 葭原 広田 東長尾 西長尾 西大坪 東大坪 南屋敷本 北屋敷本 馬坂 杉ノ木 西亀田 花ソゲ 東亀田 畔ナシ 三ゲタケ 北松本 高木 西八反田 亀田 西馬坂 北長尾 南椎ノ木 南モロノ木

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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