丹後の地名 越前版

越前

沓(くつ)
福井県敦賀市沓


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福井県敦賀市沓

福井県敦賀郡松原村沓

沓の概要




《沓の概要》
マチの方から行けば、常宮神社の少し先にある集落。東は常宮湾に面する。集落の東に小さな岬があり、小崎という。この小崎と名子にある名子崎、二村の弁天崎に至る小湾を常宮湾と呼ぶ。冬の北西風を小崎が防ぐため冬でも波静かな湾である。地名の由来は、名子に八幡大神が出現し、突然に当地へも神幸したが、村人が馳せ参じた時にはすでに姿はなく神馬の沓跡のみ残されていたことによると伝わる。
中世の沓浦は、鎌倉期から見える浦名で、建暦2年(1212)9月日の気比宮政所作田所当米等注進状に「沓浦田四丁二反百二十歩〈敦賀郡内、承元三年実検定〉」とあるほか、本家・領家・大宮司に納める「月別御菜」を大縄間浦・手浦とともに「三ヶ浦」として負担している。下って天文20年(1551)9月8日の刀禰職彦大郎実在が沓浦刀禰職に補任されている。一方戦国期になっても、「三ケ浦山」「三ケ浦刀禰百姓等」「従三ケ浦相勤候諸公事陣之詰夫守護役」などと見え、ヶ浦としてのまとまりが維持されている。
近世の沓浦は、江戸期~明治22年の浦名。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)からは小浜藩領。西浦10ケ浦の1つ。万治2年(1659)には塩年貢91俵余・本島手銀30匁のほか、新役として塩年貢22俵余・新島手銀70匁・新山手銀71匁余・駄肴7匁・牛役2匁余・きじ札1匁を負担している。享保12年(1727)の家数21(高持17 ・ 無高2・寺2)・人数132、塩竃屋5・塩高79俵余、舟15、本島手銀30匁・新島手鈑70匁・新山手銀71匁を負担している。「雲浜鑑」によれば、家数18(ほかに寺2)・人数128。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。明治7年の戸数20。「滋賀県物産誌」に戸数16(すべて農)・人口140、田地15町余・畑地9反余。また,江戸期には漁業専業者が6軒あったが、漁業のみでは生計が立たず、明治維新後は農業を主とし漁業を従として生活するに至ったという。同22年松原村の大字となる。
近代の沓は、明治22年~現在の大字名。はじめ松原村、昭和12年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西1町余・南北2町余、戸数22、人口は男77・女72、小舟39。

《沓の人口・世帯数》 63・20


《沓の主な社寺など》

八幡神社

『敦賀郡神社誌』
祭神 譽田別尊
由緒 按ずるに、當社は桓武天皇の御宇、名子郷の名子浦に、八幡大神が出現し給ひ、忽然當宮へ御神幸の瑞祥あり、浦人等はいとも畏し、逸早く御拜せんものと馳せ參りたるに、既に御尊影は消させ給ひて、神馬の沓跡のみ残つてゐたので、浦人等は尊き大神の御幸の地と祝きて、御殿を建て大神を齋き奉り、里の名をも名子郷と稱へて居たが、これに因みで大字名を沓浦と名づけ、社を正八幡宮と尊崇したと傳へられてゐる。明治九年七月無格社に列せられた。
祭日 例祭 五月八日(舊四月八日)春祭 舊二月一日 秋祭 舊八月十五日
八朔行事 陰暦八月一日を八朔と稱へ、初穂を抜きで神前に供へる風習がある。こは區民一般に行はれるのでなく、八朔を田實(タノミ)節とも云ふ事から、頼む意にて農民間に祝する行事である。

産屋と不淨屋 當區は初産と然らざるとを問はず、三十日間産屋生活を爲し、青色を帯べる魚類即ち脂肪質のもの其の他油気に富めるもの、或は酸味あるものを禁じ、従って鳥獣肉の如きも食はざることになりてゐる。 産屋〔間口三間奥行九尺〕瓦葺 不淨屋 産屋とは別に建てゝある。
古墳及ひ横穴 當神社より約二町足らずの北方の丸山地籍が古墳であつて、形式は圓塚にて、昔時は此の丘陵に稲荷社の神祠が建てられてゐたが、後世八幡伸社の境内に遷されたと云はれてゐる。此の丸山古墳は柱石のある珍らしい式で先年刀・子持土器・曲玉・坏・瓶類等五十餘點を發掘したが、今は多く散逸して僅かに其の一部が保存されてゐる。又古墳の封土も破壊されたが、原形を推想するに足るだけのものが殘存してゐる。丸山古墳の東側に二個の横穴式の古墳がある。
名所 姫子松 幹圍一丈位の姫子松が、珍らしくも海中に突出した巌の上に成育し、而も樹容雅致に富んでゐるのは一の美観である。俵岩 沓浦區と手浦區との間の海中にある巨巌の上に、段層を爲して巨巌が積み重なり、恰も米俵を積みたる如き偉観を呈してゐるので此の名がある。


浄土宗薬王山常福寺

『敦賀郡誌』
氏神、八幡神社、境内神社、夷神社・磯邊神社〔志摩磯邊神を勧請す〕二社あり。 常福寺、淨土宗鎮西派、原西福寺末、元龜元年二月智蔵創立。萬福寺、同宗同末、正長元年嘆阿創立。
正長元年(1428)創建の同宗万福寺は昭和27年廃絶した。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


沓の主な歴史記録




沓の伝説






沓の小字一覧

沓浦  丸開 丸山 長尾 橋ノ詰 孫子谷 阿闌谷 藪ノ内 野口 塩田 金谷尻 脇ノ手 脇ノ田 浜田 中田 昇り道 青原 小山越 南小山越 山崎 早稲田 松ノ本 弁天 今安 狸原 惣林 東中山田 西土取 和佐田山 鈍ケ谷 土取 上土取 山神下 下星守 押守 上星守 吹矢 平岩 山神谷 金呂本 南山神谷 立岩 萩ノ谷 上萩ノ谷 屼ノ谷 池ノ谷 大水口 西中山田 寺ノ後 北屋敷 西ノ前 弁天山 平石 ナキラ 坪石 金谷 椿谷


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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