丹後の地名 越前版

越前

長沢(ながそ)
福井県敦賀市長沢


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福井県敦賀市長沢

福井県敦賀郡中郷村長沢

長沢の概要




《長沢の概要》
金山バイパスの北側、旧国道8号に沿った両側。戦前は農村であったが、昭和30年代後半頃から国道8号沿いに事業所・工場が進出したという。民間による小規模の宅地造成が繰り返され、新興住宅街が形成されたという。道路は複雑で、どう行けばどう行くのであろうかと悩む。当地付近は黒河川扇状地の湧水点にあたり、「敦賀志」に「此村の北の端に清泉涌出、臼の水といふ」とある。
中世の長沢は、南北朝期から見える地名で、貞和2年(1346)3月日の行豊田地売券(京大古文書集)に「合壱町者〈字長沢〉在越前国敦賀津守郷道口之内」と見え、古くは道口に属したことが知られ、当地の1町が行豊から新御所又三郎・余呉又次郎に売却されている。明応7年(1498)12月13日の三郎大夫田地売券(永厳寺文書)に「なかさう」「なかさわ」と見えるほか、慶長3年(1598)の道口村検地帳写(石井左近家文書)にも「なかさわ」「長さう之ひかし」とあり、中世を通じて「ながさわ」「ながさう」の訓が併存したことがわかる。前記売券によると、当地は名が5つあって、売買地に対する違乱は「五名の名主」が裁くとしている。戦国期の当地に、西福寺領が4反(西福寺文書)、金前寺領が2反のほかに長沢東に4反(金前寺文書)、善妙寺領が2町5反(13筆、長沢東・東長沢を含む)あった(善妙寺文書)。うち善妙寺領の1筆は「長沢村」と表記する。また現在の八幡神社にあたると思われる「八幡」の名も見える。慶長国絵図では350石余。
近世の長沢村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)からは小浜藩領。享保12年(1727)の家数35(高持19 ・ 無高16)・人数156 (男81・女75)、 馬17。「雲浜鑑」では家数41 ・人数210。当村には馬借の番所が置かれ、馬指が常時詰めて馬持や背持の不法稼ぎを監視した。「敦賀志」に「此村より南、江州海津・大浦・塩津・柳ケ瀬等に至る間を邑俗上宅(カミヤケ)街道と云、日々往還の人馬駱駅として踵をつげり」とある。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に、戸数48・人口228、物産は莚3,200束・菜種30石。同22年中郷村の大字となる。
近代の長沢は、明治22年~現在の大字名。はじめ中郷村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西1町余・南北2町、戸数39、人口は男120 ・ 女125。昭和32年、一部が石ケ町、同49年観音町・羽織町・樋ノ水町となった。


《長沢の人口・世帯数》 1053・485


《長沢の主な社寺など》

八幡神社

八幡神社は字南街道に鎮座、祭神応神天皇、旧村社。もとは諏訪八幡社と称した。境内社に内宮・外宮・日吉社・愛宕社がある。
『敦賀郡神社誌』
村社 八幡神社 敦賀郡中郷村長澤字南海道
位置と概況 本區は、敦賀町津内より南方に通ずる江州街道(柳ヶ瀬道)に沿ひ、木ノ芽川の板橋(この附近を土橋と云ふ)を渡り數町の畷を経て區内に入るが、昭和五年秋敦賀町の發展計画と、笙ノ川、木ノ芽川の改修工事に件ひ、新に國道を建設したので、今は此の新國道に連絡せる里道を設けて、敦賀町との往復に使してゐる。當區の人家は、多く江州街道の兩側に沿ひて軒を並べ、東南九町にて坂下に、南方十町餘にて道ノ口に南西約八町にて古田苅に隣接し、周圍は平坦なる田野である。明治十三年舊二月二十九日、區内に火災があり、僅かに神社と人家二戸とを殘した程の大火なれば、神社附近の如き人家稠密の場所は、一面の火の海と化し、社殿は全く猛火に包まれ、神木悉く烏有に歸したれど、社殿の炎上を兔れたるは實に不思儀にて全く感歎の外なく、それより區民の尊崇は一段と高まった。社地は區の中央西部にて、低き石垣と石階を以て二分し、社殿は其の上の淨域に東面して鎭座し給ふ、西南の一部は耕地にて、他方は皆人家である。本殿は明治四十三年九月莊厳に改築された。明治十三年の大火に燒損したる、タモの巨樹の根幹が、今も行路人の目を引き、由緒深き往古を物語つてゐる。
祭神 應神天皇
由緒 按ずるに、當社は安貞元年卯月八日、源氏の将北國下向の際、守護神とせる武神の像を村民に托し、之れを奉齋すべしと云ひて立ち去りたれば、村人この地を選み、一宇を建立して、尊崇奉斎したるものであると傳へてゐる。往昔より、俗に諏訪八幡宮、又は正八幡宮と尊稱したが、其の後明治十一年三月村社に列せられた。
祭日 例祭 五月十日(元舊七月二十七日)
 祈年祭 四月下旬  新嘗祭 舊九月二十七日
これ社殿の創立の月日を以て、例祭日となしたとの口碑がある。

本殿 …
境内神社
 内宮 祭神 天照皇大神
 外宮 祭神 豐受皇大神
 日吉社 祭神 大山咋命 山王社とも稱す。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


長沢の主な歴史記録




長沢の伝説

『越前若狭の伝説』
八幡神社   (長沢)
むかし源氏の大将が北国下向の際に、守護神としていた武神の像をこの村民に託して、これを祭れといって立ち去った。村人が一宇を建てて尊崇したのが、この八幡神社である。      (福井県の伝説)



長沢の小字一覧

長沢  上鰐ケ渕 北小畑 南中清水 東小畑 石橋 六枚町 フケ森 上フケ 三反長 糠塚下 東三反長 西三反長 壱丁田 公文名 瀬戸川 堅梨子 西小畑 下河原 失人 内河原 古川 柳原 上河原 橋詰 美ノ渕 砂瀬 石川 高岸 五反田 南海道 前田 西石ケ町 北石ケ町 六町田西 七町田西 南石ケ町 八反田 石ケ町 小河田 辻堂前 三反田 堀田 二俣 乞喰作 岸ノ上 稲場尻 大田 水掛 フゴ 蛇田 辻堂 岡山下 岡山 厚街道 タモノ本 狐塚 明神 ザル

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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