丹後の地名 越前版

越前

名子(なご)
福井県敦賀市名子


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


福井県敦賀市名子

福井県敦賀郡松原村名子

名子の概要




《名子の概要》
縄間の一つ手前の集落。
中世の名子浦は、戦国期に見える浦名。明応5年(1496)8月16日の三ヶ浦刀禰百姓等宛角鹿某折紙で「三ヶ浦(縄間浦・沓浦・手浦)山木」を塩田用燃料以外に用いることを禁じ、「名子浦山」も同前としている。元亀2年(1571□(正力)月21日の名子浦百姓等連署請状に、縄間浦に網入れ期限の延長を嘆願した結果、将来の前例としない条件で、3月までの延長が認められており当浦沖の漁業は縄間浦の支配下にあり、主として鰯漁を営んでいた。
近世の名子浦は、江戸期~明治22年の浦名。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)からは小浜藩領。西浦10か浦の1つ。享保12年の家数8(うち高持5・無高2・寺1)・人数54、塩竃屋3・塩高48俵余、船4、本島手銀15匁・新島手銀50匁を負担。「雲浜鑑」によれば、家数8・人数47。当浦前の漁場の支配権は古くから縄間浦にあり、この権利をめぐって両浦の間に海論がたびたび起こった。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。明治7年の戸数11。「滋賀県物産誌」に、戸数10(全戸農)・人口66、同22年松原村の大字となる。
近代の名子は、明治22年~現在の大字名。はじめ松原村、昭和12年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西1町余・南北1町余、戸数12、人口は男36・女37、小舟21。


《名子の人口・世帯数》 42・14


《名子の主な社寺など》
八幡神社

『敦賀郡神社誌』
祭神 應仁天皇
由緒 按ずるに、當社は往昔區民が鰯網を引きたるに、鰤や烏賊が網に充滿してゐたので、漁民等大に喜び、舟に積み磯に上げたところ、網の中の魚類と共に、金銅の神像一躯を發見したたので、今更の如く狂喜感激し、これ正しく八幡大神の御神像である。あな畏し如何にせんと事議りてありけるに、其夜浦人の小児に神憑まし、御身に甲胄を着け、左右に弓箭を持ちて、白馬に乗御し給へる大神出現ましまして、此の地に社殿を立てゝ吾れを祀るべしと告げ給ひて、東北の空へ去り給ふと言ふのであった。よつて區民等は畏き神託を奉じ、直に地を開き社殿を建てゝ齋き祀った、これ即ち當社創立の由来で、後に弓矢八幡と尊稱し奉つたと傳へられてゐる。明治九年七月無格社に列せられた。
祭日 例祭 陰暦九月九日 春祭 五月八日 (元舊四月十五日)
例祭日由緒 陰暦九月九日は海中より八幡大神の神像を發見した、當社創立の由来ある日であると。
特殊神饌 例祭には故事によりて、鰤・烏賊は必ず獻ずるのが、往昔より慣例になつてゐる。


浄土真宗本願寺派竜勢山明光寺

『敦賀郡誌』
名子  二村の北に在り。秦文書明應五年八月の文書に名子浦と見ゆ。 氏神、八幡神社。明光寺、眞宗本願寺派、西本願寺末、もと田結興隆寺末、文明七年十月創立、貞享二年三月二十九日寺號許可。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


名子の主な歴史記録




名子の伝説

『越前若狭の伝説』
名子八幡   (名子)
むかし名子の区民がいわし網を引いたとき、ぶりやいかが網一杯だったので、おおいに喜んで舟に積み、いそに上げてみると、網の中に魚類とともに、金銅の神像が一体現われた。漁民はもったいないどうしたらよいかと相談した。その夜浦人の子どもに神がかりがあって、「身によろいかぶとをつけ、左右に弓矢を持って、白馬に乗った大神が現われ、この地に社殿を建ててわれを祭れと告げ、東北の空へ去った。」と申した。よって区民らはその神託を奉じて、社殿を建てて祭ったのが、名子の八幡神社である。    (敦賀郡神社誌)




名子の小字一覧

名子  坂ノ平 坂ノ尻 畦ノ下 平 笹ケ谷 上平 口山田 中山田 奥山田 鶸茶平 西山田 山神 宮ノ上 下田 東沢 沢 奥見山 小名子 西小名子 地蔵崎 名子崎 上坂ノ平 上笹ケ谷 上平山 山田 大谷 治良四山 ウコンサブロ 真谷 猿ケ平 滝ケ谷 西鶸茶 脇ケ谷 松山 中村 沢山 小名子山 地蔵ケ崎


関連情報





資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順


若狭・越前
    市町別
 
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市

丹後・丹波
 市町別
 
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市




【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2022 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved